第7話 覗く瞳④
「あとは、よく出入りしてる人間か」
貴族の屋敷に足しげく通う人間など数が知れていると思っていたら、職人や商人など、結構いて意外だった。使用人が少なく外へ出せない分、家まで呼んでいるせいもあるようだ。
その中から怪しい人間を絞ってみる。ココと何人か挙げていく中で、俺は声を潜めて「あいつ怪しくね?」と告げる。目星を付けた奴がいたのである。
「え、あぁ。もしかして、お嬢様の家庭教師の先生ですか?」
「そう、あいつ!」
おっと、ここは壁が薄い。あまり大声を出すのはまずい。でも、ピンと来たってことは、ココも気にかけていたんだな。
「エドガーだっけ? 背が高くてちょっといい顔してるからって、偉そうにしやがって」
「それはヤルンさんの個人的な印象なのでは……?」
「絶対怪しいって」
エドガー。この屋敷のご令嬢に勉強やマナーから、ピアノなどの芸術面に至るまで、幅広く教える家庭教師だ。年齢は20代中盤くらいで、一見すると上品な優男なのだが、相手によって態度を変えるところが難点だ。
「貴族にはへらへらしてるくせに、俺達にはあれこれ命令してさ。いけ好かねぇよ」
「あの方ご自身も貴族の出身のようですし、貴族にはそういう人間が多いのかもしれません」
「えっ、いや、別に貴族のことを悪く言ったんじゃなくてだな」
申し訳なさそうに言うココに、俺は慌てて取り繕ろった。普段、気取った態度を見せないから忘れがちになるけれど、彼女だって貴族なのだ。身内を悪く言われれば不快にもなるだろう。まずったか。
「分かってます。果たしている役割が違うだけで、一生懸命生きることに、身分なんて関係ありませんよね」
言って、ココは薄く微笑む。それからふと何かに気付いたように、自分のピンク色の唇に指で触れた。
「そういえば、エドガーさんは貴族といっても身分はこちらのご主人よりずっと低かったはずです。だからこそ家庭教師として雇われているのでしょうけれど」
「何が言いたいんだ?」
「騒ぎを起こして何かを得ようとしている可能性は、あるかもしれません」
ココの考えでは、家庭教師が犯人だった場合に考えられる目的は二つらしい。ひとつは、起こした騒ぎを自分の手でおさめて、主人や令嬢に頼れるところをアピールして取り入る。
「お嬢様と結婚するためってことか?」
「ご主人に恩を売って、重要な人物だと思わせる効果もありますね」
そして、もうひとつは土地や建物を欲しがっている場合だ。住人を屋敷から追い出したあとで、裏から手を回して自分の物にする企みってわけだな。
「うわ、めちゃめちゃありそうだぜ、それ。超怪しいって!」
「……でも、あくまで想像で、何の証拠もありません」
「だったら証拠を掴むまで張り付くだけだ」
と、思ったのだが。
「……まただよ」
俺が精神的に参っている原因は、事件が解決しないこととは別にもあった。
廊下を掃いている途中、背中に感じた視線にげんなりして、そっと振り返る。誰もいないのは表面上だけだ。
振り返った瞬間に誰かがさっと身を隠した気配があって、息を殺したみたいに通路が静まり返っている。仕方なく俺はそれを睨み付けて作業に戻る。これを何度繰り返したか、数えるのもアホらしくなって途中でやめた。
そう、俺は執拗なストーキングに頭を悩ませていた。美女に好かれて困るなぁ、なんて嬉しい展開ならともかく、今の状況でそれはない。
「……」
これでは魔術を使うことも出来ない。もちろん、家庭教師の身辺捜査なんて無理に決まっている。ったく、こんなに「気付いてますよ」感を出してるのに、見つからないとでも思っているのか。
間抜け過ぎる。いい加減、この陳腐なかくれんぼに嫌気がさして、背を向けたまま大きくため息をついた。
「ご用がおありなら遠慮なくどうぞ、お嬢様?」
「……どうして分かったの」
どうしてじゃねぇよ。バレバレだったろーが。呆れの目を向けると、ようやく姿を現した彼女は上気した顔を、ばつが悪そうに歪めた。
「まだおれ……自分のこと、疑ってるんですか。あれはマグレ、たまたまですって」
「いえ、偶然なんかじゃないわ。だって、今も私の完璧な尾行を見抜いたじゃないの!」
どこが完璧だ、どこが! あんなの素人だって気付くわい。まぁ、ここで「正しい尾行講座」なんぞ開いたら、それこそ真っ黒確定だから言わないが。
「足音が聞こえてましたよ」
「えっ、そ、そんなはずは」
嘘でも言った者勝ちだ。相手は途端におろおろし始めて、よし、煙に巻けると踏んだ……ところで、別の声が鋭く響いた。
「お嬢様。何事です?」
げっ。口に出さなかった自分を褒めてやりたい気持ちで首を巡らせると、例の家庭教師・エドガーが眼鏡をわざとらしく直しながら歩いてきた。
後ろには用事でも言いつけられたのか、ココが付き従っている。使用人の服を着ていても
「そのように軽々しく使用人と言葉を交わすのはおやめ下さいと、いつもお願いしているでしょう?」
相変わらずムカつく野郎だぜ。そう思っていても、睨みでもしようものなら嫌味をたっぷり聞かされる羽目になるので我慢する。
「ただのお喋りじゃないわ。私、絶対に正体を暴いてみせるのだから」
おい、俺を退屈な毎日を紛らわすための玩具か何かと勘違いしているらしいのも困るが、ターゲットに変な情報を植え付けるのもやめてくれ!
エドガーは「何を仰るかと思えば」と軽く笑みを浮かべた。
「何の正体を暴くと言うのです? どこからどう見ても、ただの平民ではありませんか」
「でも、倒れそうになった私を見事な身のこなしで助けてくれたわ」
「お嬢様を救ったことは、良い働きをしたと褒めてやっても構いません」
と、ここで俺を細目で見やり、「運が良かっただけのこと。このような者がお嬢様に触れたことの方が問題ですね」などと嘲笑した。なんだよその言い草は! 助けてやったのに、汚いもの見るような目ぇしやがって!
「ん、何か言いたいことでも?」
山ほどある! でも、エドガーの後ろで一生懸命「ヤルンさん、だめです」と口パクで叫ぶココがちらちらと視界に入っては、殴るのも蹴るのも魔術で吹き飛ばすのもNGだろう。
「い……イイエ」
無理やり笑顔を作ろうとして、心の中とのギャップに頬が引きつる。頼むからこれ以上刺激してくれるな。でないと「貴族の屋敷で謎の爆発事故」、なんて見出しが新聞の一面に踊り出ることになる。
それに今は最後の防衛線である師匠がいない。ココにはもしもの時に俺を止めきる役目は荷が重いはずだ。――しかし、事態は意外な方向へと動いた。
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