第7話 覗く瞳②
夕方になって連れていかれた執務室では、ようやく依頼主である当主と顔を合わせることが出来た。
「失礼します」
「入れ」
低い声で応えたのは、顎髭が目を引く40代くらいの男性である。机で書物に目を通していたらしく、ディアナさんがノックして入ると、かけていた眼鏡を外して立ち上がった。
当主の後ろで控えるエプロン姿の老女はメイド長のおばあさんだろう。
「少し話がある。君は下がってくれ」
室内の異様な雰囲気にのまれたのか、主人に命じられたディアナさんはぎこちなく返事をし、そそくさと退室していった。その足音が遠ざかったのを確認して、全員が浅く息を吐く。
「話には聞いていたが、本当に、その」
「子どもでビックリしましたか?」
消え行く語尾を引き取ると、主人は呻いて「失礼」と付け加えた。ココが柔らかく微笑んで「慣れていますから」と返す。悔しいが、おっさんから見りゃガキだろうしな。
「いや、もしもの時を思うとね」
犯人と争うことになった場合を想定しているのだろうか。俺は半歩前に出て切り出した。
「心配ご無用です、と言っても気は晴れないでしょうが、二人とも一応は正規の兵士で、そこそこ経験を積んだ魔導士です」
部屋を見回し、机上の燭台に目を止めた。夕刻でまだ火の灯されていない
俺の視線につられて主人とメイド長が首を動かしたところで、控えめにパチンと指を鳴らす。ぽっと小さな音を立てて蝋燭が明るくなった。
「!」
「最終的には信じて貰うしかありません」
呪文を唱えて火を付けるだけの、見習いでも教わる初歩の魔術だ。
それでも二人が驚いたあとに俺へ向けた目の色が、明らかに最初と違うことは感じ取れた。動揺、安心、そして畏怖。色々なものが混ざった瞳だ。
「『原因が分からない事象は人の精神を侵す』……ですね」
「え?」
ココの呟きに主人が弾かれ、耳を澄ます。彼女はにこりと笑って解説した。
「随分前に読んだ本の一節です。今お二人が驚かれたのは、魔術への恐れが根底にあるからではありませんか?」
「それは……」
メイド長もおそるおそる頷く。その怯えにも似た様子に、火付けだけにしておいて良かったと思った。もっと盛大にやっていたら泡を吹いて倒れていたかもしれない。
「一般の方が魔術を怖がるのは、『魔術』が扱う者以外には理解しきれないものだからです」
訪れた静けさが、ココの言わんとしていることを全員に伝える。
屋敷に起こっていることも、魔術への恐れと性質は同じなのだ。正体の分からないものへの恐怖に耐え続けられるほど、人間は強くない。
きっとそれは生きるために必要な本能なのだろう。間違ってはいけないのは、ここがそんな本能の発揮されるべき「戦場」などではないという事実である。
俺は恭しくお辞儀をして言った。
「最善を尽くします」
使用人の食事は主人一家が食べ終えてから、順次細々と取る。この時になって、ようやくメイドが3人居ることを知った。メイド長のおばあさんと、ディアナさん、そしてまだ会っていなかった眼鏡の女性だ。
屋敷の規模に比べると少ない気がしたが、毎晩起こる悪戯に怖くなって逃げ出したんじゃないだろうか。事情を知らないディアナさんには、俺達は穴埋め要員だと思われているのかもしれない。
食事の片づけを終える頃ともなると、自然と生活音も微かなものへと変化し、代わりに虫の声が耳に届き始める。
「さてと、調査開始といくか」
悪戯は夜に起こるらしいから、ひとまずもう一度各所を見回ってみることにした。といっても、さすがに来ていきなり遭遇するとは思わない。
屋敷はそれなりの広さがあり、一度案内されただけで隅々まで覚えきれるものではないから、当面の指導係になってくれたディアナさんにはそれを理由に歩き回る許可を貰った。
「にしても、やっぱ広いよな」
掃き清められた玄関を見回しながら呟く。貴族の屋敷とは、どうしてこう無駄な空間が多いのか。個人の部屋や執務室、客間などの他にもこんな沢山、何に使うっていうんだ?
「そうですか?」
「……ココに同意を求めた俺が間違ってたよ」
どうせ自分の家の方がデカいんだろ? ちぇー、このセレブめー。
「今日は目星を付けるだけで終わりそうですね」
二人で周囲に人がいないのを確認し、短く呪文を唱えると、魔力の在処を探る術をかけた。術者から円上に効果が広がるもので、魔力や魔術の痕跡に反応する。
俺は感知系の術は不得手だ。細かい調節は感知も行使もココの方が圧倒的に上手い。師匠いわく、自分の強過ぎる魔力が感覚を阻害するらしい。でも、毎晩の特訓で人並みにはこなせるようになった。
「ヒットしたら、それはそれで困るんだけどな」
反応があれば、即ち屋敷内に魔導士がいる、もしくは侵入されたことになる。目的が何であれ、話が一層ややこしくなってしまう。
「可能性の一つを潰すためです。やっておいて損はありませんよ」
「けど消耗が半端ないよなー」
「手分けしたら、すぐに終わりますよ」
こうして俺が一階、ココが二階を担当し、終わり次第各自で部屋に戻って就寝ということにして、階段前で別れたのだった。
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