第7話 覗く瞳①

 そっと、そうっと、ドアを開けて目を凝らす。

 見付からないように。気付かれないように……。


「潜入捜査ぁ?」


 あんぐりと口を「ぁ」の形に開けたままの俺に、師匠が笑って「面白い依頼を受けてのう」と言った。

 郷里を王都くんだりまで旅した時と同じように、隣国ファタリアでも海沿いを行ったり山を登ったり、くねくねと進む道行きに未だ終わりはない。


 ていうか俺らどこ行くんだよ、そろそろ行き先教えてくれっての。ま、どうせまたこの国の王都なんだろ? だから面倒臭がって説明しないんだよな?

 それはさておき、またしても訪れたやや大きめの町の宿の一室。しぶしぶ夜の訓練に取りかかろうとした俺に、師匠が妙な話を持ちかけてきたのだった。


「この町の貴族の依頼でな。最近、変なことが起きるらしいのじゃ」

「変なこと?」


 その貴族の屋敷では、人気のない場所で足音が聞こえたり、触ってもいないのに物が動いたり、書類が消えたと思ったら数日後に全く違うところから発見されたり、と不気味なことが続いているらしい。


「依頼主は、始めは気のせいか悪戯だと思ったらしいが、あまりに連続しておるのでな。家族や使用人に危害が及ぶようになっては困ると言っておる」

「悪戯、ねぇ」


 俺は胡散うさん臭そうな目を師匠に向けた。しょっちゅう賊に忍び込まれるようなら警備が杜撰ずさんだし、そうでないならあとは内部の者の仕業だとしか考えられない。


「警備は無論強化済みじゃ。もし調査して身内の恥をさらす事態になってはと、わしらに依頼してきたのじゃろう」


 通りがかりの旅人なら、万が一のことがあっても噂もさして広まらないだろうってことか。それに、と師匠は続けた。まだ何かあるのかよ。


「もし幽霊だったら、普通の調査員では対処できぬであろう?」

「はぁ? ゆうれいぃ?」


 ふと脳裏に浮かんだ、見習いだった頃の事件を振り払いながら、怪訝な表情を濃くする。いや、もうシチューも寸胴鍋もいいから。


「幽霊なんて。本当にいるかどうかはこの際置いておくとしても、魔導士は聖職者じゃないし、悪霊退治には専門家がきちんといるでしょう?」


 俺は兵士であって、退治屋でもはらい師でもない。そう思うのを重々承知していた風の師匠は、「言ったじゃろう?」と念を押した。


「面白そう、だとな」

「暇つぶしかよ!」



 時刻は昼過ぎ。そんなわけで、俺はココと共にくだんの貴族の屋敷へとおもむいた。建物は貴族としてはいたって普通のサイズで、派手というよりは堅実そうな雰囲気があり、正直ほっとする。

 もしも成金趣味全開だったら、家主が裏で何をしているか分かったものではない。師匠に叱られるのも覚悟の上で、引き返そうと思っていたからだ。


「ったく、師匠が行けば良いだろっつの」

「まぁまぁ、これも修行ですよ」


 玄関の前でぶつくさ文句を言うのは、面倒臭さからばかりではない。半分くらいは、身に付けた服装のせいである。身内に犯人がいる可能性を見越して、俺達は使用人として屋敷に入り、調査することになったのだ。


「なんでこんな格好を……。これじゃあウチから奉公に出されるのと一緒じゃねぇか」

「私はちょっとワクワクします」


 ココが楽しげにエプロンをヒラヒラさせて、ふふっと笑う。

 そりゃあホンモノの貴族の令嬢からすれば珍しい体験かもしれないが、商家では良くある話なのだ。俺だって兵士にならなければ、今頃どこかで商人見習いとして下働きさせられていたことだろう。


「掃除も洗濯も見習いの頃やってただろ?」

「それとは雰囲気が違うじゃありませんか」


 そういうものだろうか。うーん、さっぱり分からん。人の世話なんかして、何が楽しいんだか。


「あぁ、あなた達が今日から来るっていう新人さんね」


 表から堂々と入るのは気が引けたので、建物の外周をくるりと回って勝手口を探した。出迎えは若いメイドのお姉さんだった。ココと同じ、濃い色のワンピースに白いエプロン姿の、一発で職業が判る服装をしている。


「はい、そうです」

「よろしくお願いします」

「よろしくね」


 だが、どんなに明るい笑みを浮かべてはいても、目の下のクマは濃く、疲れが溜まっているのが見て取れた。依頼の件を知るのは依頼主とメイド長だけと聞いているので、ここはあくまで新人として振る舞う。


「こっちよ」


 更に屋敷を回って離れへ案内されると、そこには住み込みの使用人用の部屋があった。縦に細長く狭く、簡素な作りながらも小綺麗に掃除されており、ベッドも棚もきちんとしたものが備え付けられている。


 奧にぽつんと設けられた窓からの日射しが、やけに強く感じられるのは、他の使用人が仕事中だからだろうか。静けさは感覚を敏感にさせるのかもしれない。


「一通りの仕事について教えたら、旦那様のお部屋へ連れていくわね」


 ただの顔見せ、お優しい方だから安心して、と緊張をほぐしてくれようと声をかけてくるお姉さんは、本当に人が良いのだろうなと思わせる。もっとも、俺達が妙にりきんでいるのは緊張のためではないけれど。


「じゃあ、まずは部屋を覚えて貰いましょう」

『はい』


 カバン一つで済んでしまう荷物をそれぞれの部屋に置いたら、本館に戻り、こうして仕事を教わりつつ、怪事件が起こる主な場所を下見した。

 素人目にもわかる名画や、値段を聞いただけで背筋が寒くなる花瓶など、さすがは貴族と思わせる美術品がさりげなく飾られた客間や廊下が続く。


 台所や浴室も隅々まで掃除が行き届いていて、外から眺めた時の印象と食い違いのない、品の良いお宅である。

 ある程度見て回ったところで、ふいにお姉さん、もといディアナさんが声を潜めて「それで……」と切り出してきた。


「あなた達、その……このお屋敷の話、聞いている?」


 きた。さりげなく見えるように気を遣いながら互いの視線を合わせ、「イタズラ、ですか」と問い返す。

 ディアナさんは小さく溜息を付いた。既知であったことに安堵しているようにも見えたから、知らなかった場合はどう説明しようかと悩んでいたのかもしれない。


「昼間はあまり起こらないの。でも夜になると、今案内した部屋でも……」


 ぽつぽつと話してくれたところによると、最初は気のせいだと思っていたのが、段々それでは片付けられない頻度と内容になり、使用人の中にも不眠を訴える者が出てきたという。


「あなた達も気を付けてね」


 その不安げな横顔を眺めていると、何ともいたたまれない。この人のためにも事件を解決しなければ。

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