第6話 脱兎の如く・後編

 これ以上もないくらいのきっぱりとした否定に、あからさまなショックの表情をそいつは浮かべる。いやいや、頼むから泣かないでくれよ。


「どうしてですかっ」

「おま……君、いくつ?」

「10歳です。体力には自信あります」


 それはさっき十分に知った。もう実演しなくていいからな。


「家は何やってるところ?」

「農家です」


 これも予想通りだ。土を耕し、種を植えて、草取りし、水をまいて、害虫を追い払って収穫する。農業は足腰をかなり鍛える行為なのだろう。近寄るな、まだ腰が痛いんだよ。


「兄弟は?」

「兄貴は何年か前に兵士になるって出ていきました。でも弟がいるから大丈夫です」

「親御さんは」

「心配要りません。絶対に説得してみせます! ……わっ!?」


 俺はそいつの脇腹に蹴りを入れた。当然、全く予測していなかった少年は見事に吹き飛び、原っぱに肩から突っ込んでいった。柔らかそうな地面かどうかチェック済みなのをせいぜい有難がるんだな。


「ちょっと、ヤルンさん!?」


 ココが目を見開いて少年に駆け寄ろうとするのを、キーマが無言で推し留めて首を振る。さすが相棒、以心伝心ってスバラシイ。こちらは揺れる瞳で腹を押さえて横たわるガキに、嘲る視線を浴びせる。


「お前、大馬鹿野郎だな」


 結論から言うと、まだ修行中の俺には弟子など取れない。あのかなり常識に欠けた師匠に付いて学ぶことが、まだまだ山とある。魔力の制御方法とかな。そこ、悲しいけど泣いてないから誤解しないように。

 それに、剣を取って騎士になる夢を諦めてもいない。本当の本当に!


「お前が昨日のうちに親を説得して、いますぐ家を出る準備も万端で、何もかも捨てる覚悟の顔をしてたら、きちんとした理由を説明してるところだ」


『師匠になってください』。その一言は心の奥をくすぐって、舞い上がりたい気分にさせた。理由が何であれ、自分を認めてくれるやつが現れたのだと思うと、口の端が上がりそうになる。だが。


「お前はなーんもして無ェじゃねぇか」


 嬉しさを通り越すと、今度は悔しさにも似た怒りがふつふつとわいてきた。


「夢を追いたい気持ちは分かる。けどな、家のことを弟に押し付けるっつうのは許せねぇ。農家の手伝いは体力勝負なんじゃないのか。弟は、お前より小さいんだろうが」


 少年は口を開けたまま痛みも忘れて呆けたように、一方的にまくし立てる俺の話を聞いていた。

 自分だって、目の前のそいつより幾つか年上なだけだから、「親の気持ち」なんていう想像上のもの押し付けるつもりはない。兄弟の話をしたのは、その方が話しやすいし、話の間に見え隠れする軋轢あつれきにイラついたからだ。


「なによりな、俺は半端な決意が大っ嫌いなんだよ!」


 吐き捨てて近寄ると、そいつはびくりと体を震わせたが、逃げ出そうとはしなかった。それくらいの度胸は持ち合わせているのか、恐怖で足が竦んでいるだけなのかは分からない。


「悪かったな。蹴ったりして」


 しゃがみ込み、そっと手を伸ばして、吹っ飛んだ拍子に擦りむいたらしい少年の頬に触れる。二三呟き、指先が温かくなったかと思うと、怪我は初めからなかったかのように綺麗さっぱり消え去った。おし、成功!


「あ……」


 本物の魔術は見るのも初めてだったのだろう。ヒリヒリとした痛みが急に治まったことに驚いて、少年は何度も触って確かめていた。

 それから、ひと時の緊張から解放されて溢れてきた涙を下目蓋まぶたに溜めて、ごめんなさいと呟いた。


「オレ、何も考えてなかった、です」

「あの気迫は凄かったよ」


 キーマが言い、俺が「気迫ナシ男のお前に比べたら誰だって凄いだろ」とツッコみ、ココがくすくす笑って少年に手を差し伸べ、立たせてあげる。

 彼女がそっと脇腹に触れたのは、具合を調べて打撲を治すために違いない。お世話になります。


「その年でなりたいものに出会えるなんて素敵です。きっといつかチャンスがありますよ」

「ココがそれ言うか?」


 この国に来てから、ココが兵士を志願した理由を知ったこちらの身としては、なんとも微妙な気分である。でも、子どもの家出を未然に防いだし、少年は反省して良い顔しているし、晴れて円満解決……のはずだった。


「こらあああああああああああああああああっ!」


 などという、地響きのような声が遠くから聞こえるまでは。


「今度はなんだ!?」

「うわっ、父ちゃんだ。きっと師匠がオレをさらうと思って、追いかけてきたんだ!」

「何ィ!?」


 怒鳴り声の主は意外にもすぐ近くまで迫っていて、大きな巨体を揺らして走ってくる。その姿は山を闊歩かっぽする猛獣にしか見えない。あんなのに締め上げられたらさっきの比じゃない。一巻の終わりだ……!


「ヤルンさんヤルンさん」

「な、何だよココ、こんな時に」

「今こそ、昨日ヤルンさんが村の皆さんにお教えした方法を実践する時じゃないかと思います」

「だから、俺、何言ってたわけ?」


 そういえば一連の騒動ですっかり聞きそびれていたっけか。


「はい。『とにかく逃げろ!』って、ずっと叫んでおられました」

「それもっと早く聞きたかったなぁ!?」


 話し合いの余地はなさそうだ。俺達はまさしく脱兎の如く逃げ出し、師匠達が作業をしている小屋へと飛び込んだ。


「なんじゃ、お主ら。騒ぐでない。馬が驚いてしまうじゃろう」

「そ、それどころじゃないんスよ! 助けてくださいってば!」


 小屋は馬を繋いでおく場所で、突如入り込んだ俺達を馬達がじろじろと眺めまわしてくる。馬は臆病な生き物だ。ビビらせて済まないが、こちとら今は大事な瀬戸際なのだ。ご了承願うしかない。


 最初は凄まじい剣幕で追ってきた親父も、さすがに馬や大人を交えた場所だと冷静さを欠いた振る舞いをするわけにもいかないらしい。きちんと事情を話し終えると、ようやく事件はおさまりを得たのだった。


「はー、助かったぜ。一時は命がないかと思った」

「冗談抜きでね」


 馬に鼻面を押し付けられながら、はははと乾いた笑いを交し合う。


「やはり、ヤルンさんの回避術は効果抜群でしたね」


 子どもと松明の話を覚えているだろうか。大人なら、森で猛獣に出会っても火や武器で追い払えるかもしれない。でも、魔導士を前にした一般人は丸腰の子ども同然だ。


「相手にどれくらいの力があるかも分らないのに、無闇に立ち向かっても返り討ちに遭うだけだろ」


 それに今回の場合、追ってくるのが本当の敵なら撃退する手もあったが、相手はただの勘違いした村人だ。怪我をさせるのは非常にまずい。え、少し前? 火花? なんのことだか全く分からないな。

 とにかく逃げ出すのが一番手っ取り早い。そう言う俺に、キーマは全力疾走したせいでやや引き攣ってしまった顔をしながら、大きく伸びをした。


「まさかこんなに早く実践するハメになるとは思わなかったねぇ」

「本当ですね」


 いや、ほんとほんと。


《終》

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