第6話 脱兎の如く・前編

「たまにはのんびりするのも良いよな~」


 日差しが照り付けるファタリア王国にも、ようやく遅い秋がやってきつつある。暑い時期には青々と茂っていただろう木々の葉が、赤や黄色に色づいているのを見て、あいつらは役目を終えたのだなと柄にもないことを思う。

 もちろん、キーマに聞かれるとからかわれるだろうから、口には出さない。


「一つのところに留まって心を落ち着けるのも、時には必要なことかもしれませんね。心が豊かになる気がします」


 隣で同じ景色を眺めていたココがゆったりとした口調で言い、その更に隣に並んだキーマが、俺の方を向いてツッコんだ。


「ヤルン、今恥ずかしいこと考えてたでしょ」

「お前は師匠かッ!」


 モノローグを読むな!



 少し内陸に入って海が見えなくなると、途端に周囲を山に囲まれた農村然とした風景が広がっていて、なのに潮風の香りが薄く漂っているのが不思議である。それとも、長く嗅いでいたせいで鼻に残っているだけなのだろうか。

 途上にある村に立ち寄った俺達は、珍しくそこへ2・3日の間滞在することになった。


 「村」にしてみれば規模は大きめで、けれど特に目を引くような珍しいものもない。着いた当初も、ただ挨拶と食料調達をして通り過ぎるだけの予定だった。

 なのに何故急に留まることにしたかというと、「村の男達に護身術の手ほどきをお願いしたい」なんていう、村長からの依頼があったからだった。


 お金の代わりに、滞在中の食事と買い込むはずだった食材をタダで譲って貰えるとあって、急ぎの旅でもないからと師匠と師範は依頼を受けることにしたらしい。

 護身術を教えるなら、師範と剣士組が適任だ。まさか俺達はぼーっと待ちぼうけか? と思っていたら、一緒に先生役として指導するように指示された。


 普段、教わることはあっても教えることはほとんどない。そりゃあ、ちょっとくらいワクワクしても仕方ないってもんだろう。

 ――というわけで、剣士は武器を向けられた時の対処法を、そして魔導士は魔術からの護身をごく簡単に教えることになった。


「……って言ってもなぁ」

「そうですね」


 剣士組はともかく、俺達魔導士組は目を合わせて首を捻ってしまった。

 魔術は先天性の才能で、魔力が皆無の人間には魔導具でもなければ扱えない。魔導具だって、知識もなしに使用するのは危険だ。

 小さな子に火が点いた松明を与える様を想像してみて貰うのが分かりやすい。すぐに取り上げたくなるはずだ。


「何を教えればいいんだよ?」


 数人の、素人と玄人の間に位置する魔導士を、それ以上の人数の村人が取り囲んでいる。村人全員が手ぶらとはいえ、真剣な眼差しを送ってくる彼らは異様な空気を漂よわせている。

 皆真剣なんだろうが、袋叩きにされそうで怖いんだよ。仲間の視線が一通り彷徨い、助けを求めるように自然と俺に集中する。……オイ。


「え、なに、俺がリーダー?」

「ヤルンさん、よろしくお願いします」

「待て待て、いつ決まったんだよ!」


 いや、リーダーって響きはちょっぴり嬉しいけど、この状況じゃあ厄介事押し付けたいだけだろ! 師匠は木陰で完全にお休みモードで、助けてくれる気ゼロっぽいし!


 でも、一度引き受けた依頼を反故にするのはまずい。中途半端な真似をして師匠に叱られるのはもっと嫌だ……じゃなくて、師匠達の面子を潰すわけにもいかない。ええい、ままよ!


「えぇと……魔導士とは――」


 俺は今持てる知識を総動員して、上擦った声で講義を始めた。



 そして依頼をこなした翌日、契約どおり依頼料として貰った食材等を荷造りする。合間に出来たちょっとした時間を利用して、俺とキーマとココは山の景色を眺めていたのだった。


「なぁ、俺……昨日はどんな話してた?」

「えっ、覚えていらっしゃらないんですか?」

「緊張してたし、必死だったからさ」


 きょとんとするココに、苦笑まじりに言い訳する。まさか自分が先生役を務める日がくるなんて思いもしない。突然任されて何をどう喋ったのか、あとから思い出そうとしても記憶はあやふやだった。


「とても具体的で解りやすいお話でしたよ」


 ふむ、どうやら俺は、まず魔導士がどういうもので、魔力や魔術がどんな力なのかについて説明し、それから回避する術を熱弁したらしい。本当かよ。

 それにしても、「具体的で解りやすい」護身術って、何を指南したのだろう。一番大事なところを全く覚えていないぞ。だから、恥を忍んでその重要な部分を聞こうとした時だった。


「師匠~!」

「うおっ!?」


 甲高い声がしたと思ったら、いきなり後ろから誰かに抱き付かれ、腰がグキッと音を立てた。痛い、痛い痛い! ヤバイ音がしたって、音が!!


「なな、ななな何だ!?」


 腰を庇いながら振り返ってみると、俺よりやや小柄な少年が目をキラキラさせながら腹の辺りをギュウギュウ締め上げていた。

 突撃された時の衝撃も結構なダメージだったが、農村の子どもらしく農作業でも手伝わされているのか、なかなかの筋力だ。


「や、やめでぐれ……じぬ」


 俺の消え入りそうな声に、少年ははっと我に返って離れ、それでも拳を握り締めて言った。濃い茶髪も気合に燃えるように逆立って、ってそれは元からか。


「あのっ、オレの師匠になってください!」

「はぁ?」


 何がなんだか訳が分からない。とりあえず詳しく話を聞こうとすると、そいつは自分からペラペラと喋り始めた。まるで身振り手振りを使って全身でアピールするみたいにだ。


「オレ、昨日大人にまじって参加してて、そしたら年上の大人相手に堂々と教えてるのがめちゃめちゃ格好良くて! オレも師匠みたいになりたいんです!」


 お願いしますッ! と最後に頭を下げて、そいつは動かなくなった。……あ? なんだって? まだ腰が痛むからか、イマイチ要領を得ない。戸惑う俺をよそに、キーマが横から口を挟んだ。


「要するに、ヤルンの弟子になりたいってこと?」

「はいっ」


 気をつけの姿勢のままの、期待の眼差しがグサグサ突き刺さってくる。困惑を含んだ、張り詰めた空気が数秒流れた。にしても、弟子になりたい、ねぇ?

 やがてかけられた「あの、どうします?」というココの問いに、俺は「どうするも何もないだろ」と溜息をついた。


「あー、昨日は話を聞いてくれてありがとう。でも、駄目だ」

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