第12話 暴君様?再臨①

 迂闊うかつだった。

 もうすっかり王城での日常にも慣れ、休日には街も自由にぶらつけるようになった。……そのせいで油断していた。

 その時、俺は城内の庭園を突っ切っていた。次の訓練が行われる場所まで結構な距離があり、抜け道にとここを通ったのだ。


 蔦状の植物が巻き付いたアーチや、均整に刈られた木々達が並ぶ美しい庭園は兵士がウロウロしていて良い区域ではなかったが、人気が多いわけでもない。

 誰かに見付かりさえしなければ、目的地へのショートカット効果は抜群だった。


「あっ、アナタ!」

「えっ」


 甲高い声にびくっとして立ち止まる。げっ、もしかして見付かった!?

 でも、そういう風には聞こえなかった。咎めるような響きは、見知った誰かを呼び止める内容だ。女声のようだが、こんな上品な場所には随分と似つかわしくない刺々しさを帯びていた。


「……」


 一瞬、肩が跳ねたけれど、俺には関係なさそうだ。女性に呼び止められる覚えがあるとすれば、ココかルリュスか女性教官くらいで、そのどれとも違う声だった。


 ここは城で、使用人の女性達は人前で大声を上げる不作法はしない。ならば、どこぞの貴族のお嬢様か奥様だろう。そんな高貴な人々は、俺みたいなガキなんて道端の石ころ程度の認識しかないはずだ。

 結論。変に関わり合いになる前に、さっさと立ち去ってしまうに限る!


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」


 まだ言っている。相手も早く反応してやれば良いのに。あぁ、庭園だもんな、恋の駆け引きでもしてんだろうぜ。ったく、お貴族様はイチイチ面倒臭いものだ。


「待ちなさいって言ってるでしょ、ヤルン!」

「え、お、俺ッ!?」


 今度こそ本気で驚いた。観念して足を止め、ぐいっと首を巡らせて声の主を探す。ふわっふわのドレスの裾を掴み上げ、お付きの侍女達を放置するようなズンズンとした歩みで近寄ってくる、一人の女性が通路の向こう側に見えた。


「ま、まさか」


 それが最初の感想だった。その麗しの美貌には見覚えがある。本当にまさかという言葉しか頭には浮かんでこない。会う機会など、二度とないと思っていた相手だ。


「せ……セクティア様!?」

「そうよ! ちゃんと覚えてるんじゃない。この城で私を無視するなんて、良い度胸してるわね!」


 腰まで伸びた長い髪を揺らしながら、その女性――ユニラテラ王国第二王子・スヴェイン殿下の妻、セクティア妃は俺の前にででんと立ち塞がったのだった。


「す、すみません。まさかセクティア様が俺、じゃなくて私なんかをお呼びだとは思わなかったものですから」


 うひぃ、マジかよ。やっぱりちゃんと遠回りしておけば良かった! 最初の衝撃が去ると、今度は酷い焦燥感に襲われる。城で一兵卒が王子の奥方に声をかけられることなど、天地がひっくり返っても有り得ない展開だ。

 どうするどうする、このままじゃ訓練には遅刻決定だぞ。


「お姫様に声をかけられてました」と説明しても信じて貰えるかは超が付くほど怪しいし、それも含めて結局怒られるのは目に見えている。……まぁ、もしかしたら姫様もあの美形の夫に叱られるのかもしれないが。


 ん、結婚しているなら呼び方はセクティア「夫人」だろうって? 年齢は二十歳を過ぎているらしいが、この人全然「奥方」らしくないから呼びにくいんだよな。


「セクティア様……?」


 後ろから追い付いてきた、姫付きの娘達はおしなべて怪訝な表情をしていた。主人に声をかけるべきか迷っている様子である。そりゃそうだろうな。でも、当の本人は全く気にならないらしい。


「なぁにその話し方。前みたいに喋ってよ」

「いえ、そういう訳には参りません」


 馬鹿だろコイツ。立場分かってて言ってる? 俺を不敬罪でさらし首にでもするつもりか?

 もう何でもいいや。とにかく、ささっと終わらせて立ち去るのが一番だ。やりとりを交わせば交わすだけ、こちらの首がしまっていく妄想しか浮かばない。


 えぇと、こういう時はなんて言えば良いんだっけ? とりあえず対等の視線で話をするのはマズイよな。そう思い、さっと片膝を付く。


「ご挨拶が遅れ、大変失礼しました。私のような者の名前を覚えていて下さったとは、光栄に存じます」


 よ、ようし、それっぽいこと言えたぞ! 前に、将来騎士になった時のためにと本で礼儀作法を勉強しておいて正解だったぜ。気を付けないと舌がもつれそうだけど!


 けれども、こちらの軽い安堵感とは裏腹に、セクティア姫は明らかに気分を害したようだった。ドレスから伸びた細腕を組み、きっと俺を睨み付けてくる。


「……どういうつもり? 私のこと、名前も覚えられない馬鹿だって言いたいの?」


 はぁ? なんでそうなるんだよ。このお姫様、こんなに卑屈だったっけ? なんとか弁解しないと、本当に俺の首が物理的に飛んじまうぞ。


「ご、誤解です。そのような意図は断じて……わっ!?」

「あぁ、もう!」


 慌てて言葉を重ねていると、いきなり強く腕を掴まれ、そのままぐいっと引き上げられた。軽々しく触るなよ、立てと一言命令すれば済むだろうに!

 わ、なんか花みたいな香りがする……って、頼むから無造作に近寄らないでくれ、お付きの人達の目、逆三角形に吊り上ってるって!


「セクティア様!」

「仕方ないわね。こんな場所だからなんでしょ? だったら行くわよ」


 姫の軽々しい態度に、さすがに後ろから注意の声がかかっているってのに、本人はガン無視だ。つか、行くってどこにだよ。唐突過ぎんだろ。無理無理無理。


「いえ、折角のお誘いですが、私はこれから訓練がありますので……」

「ふん、逃げようったってそうは行かないんだから」

「そんなつもりは」

「ないっていうの?」


 あるよ、ありあり! このトンデモ姫に付いて行ったらまた面倒なことになるに決まっている。

 スウェル城でも兵士の訓練について根掘り葉掘り聞かれて、魔術を見せろだのと散々迫られたのだ。今度も旅の話をねだられたり、またしても新しく覚えた魔術を披露しろと命令されることだろう。


「訓練に遅れるのが困るのね? なら、私が手配するわ」

「へ、手配?」

「人を遣って、出席出来ないって説明させればOKでしょ。私の名前を出せば怒られないわよ」


 うおっ、なんかとんでもないこと言い出してるぞ。王族の名前なんて出されたら教官はひっくり返るだろうし、また変な噂を立てられるのは明らかだ。これ以上の悪評を重ねられてたまるものか。


「お気遣いには及びません。何の準備もなく御前に立ち続けるわけには参りませんし、後日改めて参上いたしますので、今日のところはどうかご容赦を……」

「むうぅう」


 あ、地雷踏んだっぽい。顔が林檎みたいに真っ赤になってる。


「逃がさないって言ったでしょ。私の言うこと聞かないと――」


 え、言うこと聞かないとどうするって? 嫌な予感しかしないぞ。


「このまま訓練に付いていくんだからね!」

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