第11話 魔術の歴史講座
王城の馬鹿みたいに大きな講義室にいると、時折自分たちが見習いじゃなくなったのだと実感する。その瞬間の一つが「魔術史」を教わる時間だ。
「あー、我々がこうして使っている魔術だが……」
三十代後半から四十代前半くらいに見える魔導師の男性教官が、低い声でのんびりと喋りながら、意外に角ばった文字を黒板にカツカツと刻んでいく。
いや、書いているのは白いチョークそのもので、本人は触ってすらもいない。師匠もやっていたけれど、あれが単なる面倒臭がりとは明らかに違うことに、王都まで来てようやく理解した。
実は、チョークを操って文字を書かせるだけなら簡単だったりする。黒板を見ながら術を組みさえすれば、軽くて短い棒は命じた通りに動く。見習いでも、頭の良いヤツならやろうと思えば出来るだろう。
教官の術は、それとは全く次元が違う。チョークを見ずに、しかも俺達に話をしながら書かせている。講義の間中、ずっと術を発動させ続けているということだ。
「どうなってんだ……?」
俺にはどんな仕組みだか分からない。話の間の取り方から考えても、最初に全部用意しておくのとも違う気がする。
あれには少なくとも二重詠唱を易々とやってのけられるくらいの技術が要るだろう。俺には絶対無理な芸当だ。さすが、王城お抱えの術者の地位は伊達じゃない。
「ん?」
そういや、師匠は更に喋っているのとは全然違う内容まで書かせていたような……、この教官を凌ぐ実力かぁ、認めるのヤだなー。
そんな愚痴はさておき、今日の講義内容は魔術の成り立ちについてだった。そこには惜し気もなく、一切の補足もなく専門用語がずらりと並ぶ。
「うへ、これなんだっけ? 前の時に習った気が――」
分からない単語が出てきても、頁を
「駄目だ。後回しだな」
文句を言っても仕方がない。前にも言ったような気がするが、「魔術史」なんてただの一兵士やそこらのフリー魔導士には必要のない雑学分野だ。
知らなくても問題のないことをわざわざ知ろうとするからには、それなりの覚悟をしろということなのだろう。
はてさて、そんな魔術史は神話から始まる。師匠から以前に聞きかじってはいたものの、詳しく知ると正直驚かずにはいられなかった。
だってさ、偉い先生が突然、両手を広げて天井を仰ぎながら、「遥か昔、この世界を創造した神がいた……」とか言い出したら、普通のけ反るだろ?
素直にふむふむと頷く魔導士がいたら、すでに知っているか、まっさらな心の持ち主か、考えなしのどれかだ。
魔術は魔法じゃない。発動条件が確立された、れっきとした技術の一つ。魔力を持たない人間にとってはどんなに怪しく見える現象でも、魔導士には他の学問や武道と同列のものだ。
その始まりに突然「神」なんて不確かな存在が文字通り降臨したら、そりゃあビックリもするだろう。俺は黒ミサでも始まったのかと思ったぞ。
「我が国に残る古文書には、『神々は何かを巡って争いを起こしたが、なんとかこれを終結させた。その時に光の一つを人に譲り渡した』と書かれている」
全くわけがわからん。「光」ってなんだ? 魔力か?
「世界を創造するほどの力を持った者達が、一体何を求めて争ったのかは、現存するどの古文書にも残されていないが……」
いやいや、カミサマがこぞって取り合うような「何か」こそ重要だろ古文書! 俺が確かな精神を保つために心の中でツッコんでいると、教官は一呼吸置いて続けた。
「譲り渡された『光』が、魔力と深い繋がりがあるのでないかというのが、最も有力な説となっている」
まぁ神話を魔術と繋げようとするなら、その解釈が妥当だよな。
神様なんて、大多数の人間にとっては、いざという時に祈るくらいの価値はある「いるかもしれないもの」じゃないかと思う。でも、本当にそんな超常的な存在が俺達と関係しているのだろうか?
「太古の昔、光を受け取った人間は、神の命に従って地上を守護してきたと伝わっている。口伝の部分も多く、解釈を巡って研究者でも意見が分かれるところだがな」
そりゃ、古文書も口伝もあやふやなんじゃあ、意見が分かれもするだろうぜ。うーん、本格的に教会にいるような気分になってきた。現実には足を運んだこともないのに。
商人である俺の両親は、何事にも金勘定が先に立つ人達だった。考えはスパッとしたもので、「施しも悪くはない。大きな得になって返ってくると感じた時は
縁起を大事にして、商売繁盛の神様はやたら拝んでいたっけ。宗教や教会、信仰なんて遠い世界だと思っていたのに、よもやこんなところで出くわすとは、人生とは予測が付かないものである。
「魔術史を極めたいなら宗教学は避けて通れまい。自然と民俗学にも足を突っ込むことになるだろう」
「げ」
教官のセリフに唸り声が漏れる。いや待て待て、別に研究者なんか目指してねぇし? 広く浅くで良いよな? そんな考えを見抜いてか、中年教官はにやりと笑った。
「技術の習得を優先するのは勝手だが、魔術は知識が深いほど威力と精度が増すことを忘れないように。以上」
うげぇ、マジかよ。これ以上剣の時間を奪わないでくれってば!
講義後、俺と同じように疲れた顔のココが荷物を抱えて近寄ってきた。席数は膨大でフリーだから、待ち合わせでもしない限りは隣同士にはなれないのだ。
それこそ女同士や恋人でもあるまいし、わざわざ講義中までずっと一緒にいてもなぁと思っている。恋愛沙汰の噂なんて流されたらココも困るだろう。
「宗教学ねぇ?」
「考えたこともありませんでした」
開口一番、ココは困惑を吐き出した。真面目な彼女のことだから、そんな自分の未熟さをどこかで恥じているのかもしれない。
「あれ脅迫だろ。魔術史はともかく、宗教なんて勘弁して欲しいぜ。ずっぽりハマって神官になっちまったらどうすんだっつーの」
冗談半分で言ったら、「ヤルンさんならありそうですね」と笑顔で返された。やめてくれ。
「でも、きっと
「あぁ、師匠から逃げる最終手段にはなるか? 『俺、今日から神の僕になります!』とか。……いや、やっぱ無理じゃね?」
「教会が破壊されないと良いですね……」
ちょっとばかり良い考えのような気がしたが、どう転んでも、神の膝元が砕け散る以外の結末が見えない。あのじいさんがそれくらいで見逃してくれるなら、俺はこんなに苦労していない。
「やめだやめ。第一、俺に教会の戒律なんて守れる気がしないし」
「ふふ、確かにヤルンさんには兵士の方がお似合いですよ」
「俺より、ココの方が似合うって。お祈りも行ったことあるんじゃねぇの?」
問いかけると、ココは「はい」と頷いて過去を振り返るように目を細めた。
「両親に連れられて何度か。そうそう、子どもにはお菓子が貰えるんですよ」
「へぇ」
「私、それがちょっと楽しみでした」
ステンドグラスから暖かい光が降り、澄んだ讃美歌が響く中、幼いココが長椅子に座ってお祈りをしている光景が浮かんでくる。うっわ、超和む。是非見たかった!
「あ、お腹すいたなぁって思ってます?」
「え、違う違う……でもないか。お菓子の話なんかされるとな」
いつものキーマや師匠との掛け合いとは全然違う反応が楽しくて、俺達は一通り笑い合った後、伸びをして食堂へと繰り出した。
《終》
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