第9話 甘くて苦いお菓子

「はい、どうぞ!」


 そう言ってココから手渡されたのは小さな小さな包みだった。赤い包装紙にピンクのリボンがかけられたささやかなプレゼントに、俺は首を傾げる。


「え、今日は別に誕生日じゃないけど?」


 きょとんとして言ったこのセリフは、その後暫く笑いのネタにされてしまうのだが、知らないものは知らない。見栄を張ったところで更に恥を上塗りするだけである。


「あれ。ヤルンは知らないの? お、ありがとー」


 わざわざ部屋を訪ねてきたココは、同室のキーマにも全く同じ小箱を渡して微笑んだ。う、可愛い。めっきり寒くなってきた頃合いに反して、室温がやや上昇した。


「今日は、女の子がチョコをくれる日なんだよ」

「チョコくれる日? なんだそれ」


 意味不明だ。でも、手のひらに乗せたままの贈り物が甘いお菓子だと知って、内心「へぇ」と呟く。言われてみると、ほんのり甘い香りがするような……?


「犬じゃないんだから」

「ほ、放っとけ!」

「王都では年に一度、好きな人にチョコを渡して告白する日、なんだそうですよ」

「えっ、こ、告白!?」


 どきっと胸が強く打たれる。が、それも一瞬のことで、すぐにこれがココからの告白ではないことに気が付いた。


「ちなみに今お渡ししたのは日頃の感謝のしるしの『お世話チョコ』です」


 うん、分かってた。もし告白だったら、こんなシチュエーションありえないもんなー。ちぇっ。


「女の子からのプレゼントなんて照れるね。ねぇ、ヤルン?」


 目配せしてくるキーマはそれでも余裕ありげな雰囲気で、そういえばコイツが割とモテる事実を思い出した。長身で金髪、飄々ひょうひょうとした姿が女子にはウケるらしい。どこがいいのか、俺にはさっぱり分からないぜ。


「あ、ありがとな」


 実はこんな改まった形で女性からプレゼントを貰うのは初めてで、どぎまぎしてしまう。近所の幼馴染みや母親から貰うのとは違う、なんともこそばゆい感じだ。


「そういえば、お返しとかはしなくて良いのか?」


『貰い物は、それがたとえどんなにちっぽけでも、きちんとお返しをしておけ』

 商売人の両親から良く聞かされた教えだ。まぁ、「感謝の気持ち」よりは「縁を作っておくと後々得だから」などという、下心満載の理由ではあったけれど。


「来月の同じ日に、お菓子を贈るんだっけ」

「あ、はい。でも気にしないで下さい。本当に些細なものですから」


 キーマの言葉に、ココは逆に恐縮してしまったふうに手を振った。見返りを求めないなんて、いかにも彼女らしいと思う。


「それでは失礼します。他の皆さんにもお渡ししてこようと思いますので」


 他の皆って、一体幾つ作ったのだか。あの様子ではきっと師匠や同期生達にも盛大にバラまくつもりだろう。もう完全に菓子屋だな。


「おう」


 ぺこっと頭を下げて部屋を出て行くココに短く返事をした。パタンとドアが閉まり、足音が遠ざかっていくのを確認してから、俺は包みのリボンに恐る恐る指をかける。

 リボンも一つ一つ、あの細い指で結んだのだろう。せっせとチョコを作っては箱に入れる様子を想像してみると、思わず口元がニヤけてきてしまう。


「ヤルン、よだれ出てるよ」

「っ!」


 俺はぎょっとして唇の辺りをごしごし擦った。が、すぐにキーマの悪戯だと気付いて顔が熱くなってくる。


「分かりやす過ぎ。ヤルンってそんなに免疫なかったっけ?」

「うるせぇな。放っとけって言ってるだろ!」


 するりとリボンを解き、小箱を優しく開いた瞬間、ふわっと甘い香りが鼻をくすぐる。そして、兵士になってからはめっきり遠ざかっていた感覚に、なぜだかツンとした痛みを覚えた。


「え、泣くほど嬉しい?」


 引き気味に聞いてくるキーマに「違ぇよ!」と怒鳴っておいて、中を覗きこむ。


「――え」

「何、どうかした?」


 固まった俺を怪訝そうに窺っていた相棒も、自分の分の箱を開いて数秒間は絶句していた。


「……お、おい」


 声を絞り出す。別に、形が変だとか、不味そうだとか、そういったことが原因じゃない。きちんとお菓子の体裁を保っているし、この分なら味も十分食べるに値するのだろうが……。


「これ、やばくね?」

「だね」


 数分前のココとのやり取りが脳裏にリピートされる。俺達二人にチョコを渡してくれた彼女は、笑顔でこう言っていた。「今お渡ししたのは日頃の感謝のしるしの『お世話チョコ』です」と。


「俺らはちゃんと確かめたから分かるけどさ」


 小さな箱に二つ重なるようにして入っていた薄いチョコレートは、赤と黒の綺麗なハート型。いかにも寄り添ってます! って雰囲気が溢れている。

 こんなものが直接手渡されずにどこぞにポンと置いてあったり、或いは手渡した時の説明を怠ったらどうなるか。……さーっと血の気が引いていく。


「これ、勘違いの被害者、出るんじゃないかな」


 キーマがこれから起こる事態をズバリと言い当て、二人揃って青ざめた。

 兵士の宿舎は断然男の比率が高い上に、血気盛んな連中ばかりだ。誤解が誤解を生んで、噂が一人歩きして肥大化し、騒ぎに発展する恐れも大いにある。

 俺は半笑いで呟いた。


「ココを巡って大騒動、しまいには流血沙汰……なんてことになったりして?」

「はは、ははは。そんな、大げさな」

『……』


 沈黙が降りる。普通なら笑い飛ばす話でも、俺達の耳には妙にリアルに聞こえた。


「ちょっ、待っ! 待て、ココっ!!」

「そのチョコは危険過ぎるって!!」


 二人して部屋を飛び出したのは言うまでもない。


《終》

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