第8話 年末の一騒動
世の中が新しい年を迎えるまで、あと数日と迫ってきた。
街は年越しの準備に追われる人々の焦りと活気に溢れ、城もめでたい日を控えて使用人達が右往左往している。
人手はいくらあっても足りない。新年の式典やら大掃除やらで、この時ばかりは兵士も常時の任を解かれて駆り出されることになる。
けれどそんな大忙しの中、宿舎の自室で、備え付けの机に向かって俺は苦悩していた。
「う~、新たな年を迎え、いかがお過ごし……じゃあ、堅苦しいよなぁ」
目の前には支給品の紙切れとペンとインク壺。
頭を抱えてうんうんと唸っていると、我ながら哀愁すら漂わせていると思しき背中に呑気な声がかかる。確認するまでもなく、同室の相棒だ。外に出ていたはずなのに、いつの間に戻ってきたのだろうか。
「何やってんの、ヤルン。新年の挨拶なんてまだ早いよ」
どうせ放置しても懲りずに話しかけてくるだろう。気怠げにのっそり振り返ると、予想通りキーマが首を傾げていた。
「演説でもするつもり?」
「そうですよ。大掃除だって途中ですし」
今度はココがキーマの隣で同調している。人差し指を口元に当ててきょとんとする様は、文字でいっぱいになった俺の脳を一瞬だけ沈めてくれたが、すぐさま眉間に皺が戻った。
「違ぇよ。実家に新年の挨拶状を書いてるんだよ。一応、『俺は元気です』って送っておこうと思ってさ」
内心、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。でも、俺だって兵士になったからには一人前の大人として振る舞わなきゃいけないだろう。礼の一つも知らない人間は、騎士にはなれないからな。
「へぇ」
「それは良いですね」
ところが、感嘆の声に続いたのは、胸にぐっさり刺さる事実だった。
「って、今から? 遅くない?」
うっ。そりゃあ確かに、もっと早く出しておくべきだったかもしれないけどさ。
「こ、これは英断なんだっ。決意を固めるのに時間がかかったって仕方ないだろっ」
「英断て」
誰だって、家に届いた手紙を見て家族が爆笑するだろうって思ったら出せないだろ!? しかし、喉元まで迫り上がった言い訳はうまく舌にのらなかった。話したら今まさにここで爆笑されること必至だ。
「なにいきなり慌てふためいてんのさ?」
「あの、スウェルは国境沿いです。今から送っても新年初日には届かないかと……」
う、その可能性もちょこーっとは考えていた。ただ、それは皆同じはずだ。要するに無事の知らせが届きさえすれば良いのだから。
「そういう二人はどうするんだよ」
「もうとっくに送ったよ」
「私も、つい先日送りました」
俺は目が点になった。何だって? もう、送っただと? いつの間に!?
「この前、仲間内でその話題になった時、この際だから書いて送ってしまおうってことになって」
キーマがあっけらかんと言い放った。ココも苦笑いで頷く。あちらこちらの土地から集まった同じ境遇の者同士で、地域差や個人差などといった話題で大いに盛り上がったらしい。
「なにー!? どうして俺にも一声かけてくんねーんだよっ」
なんと薄情な奴らか。これが所謂「はぶにされる」ってやつだ。イジメか、職場内イジメなんだろ!?
「虐め反対、無言の暴力反対っ。断固、武力を持って抗議するぞ!」
「いや、ヤルンはオルティリト師に呼ばれて特訓してたし。っていうか暴力に武力で抗議じゃあ、ただの喧嘩だよ。ヤルンの場合、絶対に城を破壊するからやめとこう?」
「すみません。その、訓練のお邪魔するのは良くないと思いまして……」
「なんだよぉ~。おかげでこんなギリギリに書く羽目になっちまったじゃねぇかよ~」
「す、すみません」
怒りが悲しみに変わったのを見て、ココが再度済まなさそうに謝る。やっぱり優しいなぁと思っていると、真の薄情者が本性を現した。
「ただの言いかがりだから、謝らなくていいって」
「言いがかりとは酷いな。友達甲斐がないのは事実だろー!」
責めてばかりは悪いかなと思いかけたが、こうなったら反省なんぞしてやるものか。機嫌損ねまくってやるからな!
つかみ所のないこの男は、言い返すどころか変化球を投げつけてきた。それも攻撃力抜群の。
「ほらほら、喚いてないで早く書かないとホントに間に合わないよ。定期便の受付窓口だって年末は閉まっちゃうしね」
「えっ、マジで!? 王都は年中無休じゃないのかよ!」
もし窓口が閉まる前に書き上げなければ、当然の如く年始には届かない。年が明けてから送るなんて間抜け過ぎだ。
「都会は田舎より断然便利であるべきだろぉおお!?」
俺の叫びが宿舎に木霊する。
「仕方ありませんよ。定期便の方だって年末年始くらいはゆっくりされたいでしょうから」
年末は挨拶状の受付でどっと混み合い、定期便は蜂の巣をつついたような状態に陥る。そのため、窓口を早めに閉めて仕分け作業をするのだそうだ。
「くそ~、俺のために働けぇ~」
「怨嗟の声が酷いねぇ。そういうのはまず自分が働いてからでしょ」
ぐっ、正論過ぎて腹立つ……!!
「それじゃあ、先に大掃除のお手伝いに行ってますから、書き終わったら来て下さいね。キーマさん、荷物の準備は良いですか?」
「えーと、箒に雑巾、はたき……よし、準備OK」
どうやら掃除用具を取りにきたところだったらしい。キーマが一通りの道具を持ち出して箒を肩に担いだところで、ふと違和感に気が付いた。
「あれ、ココは手ぶらか?」
荷物は男が運ぶべき、なんて甘い考えは兵士には通用しない。腕力に乏しかろうと、女だって男と同様の働きを強要されるのが軍人だ。疑問に答えてくれたのはキーマの方だった。
「昨日の説明聞いてなかった? 魔導士は訓練も兼ねて、魔術で掃除の手伝いみたいだよ」
あ~、そういやそんなことを言っていた気もする。ここ数日は訓練が少ない代わりに見回りのシフトが多かったから、話の時に疲れてぼんやりしていたのだろう。この城、マジで広過ぎなんだよ。
「水の術で城をびしょびしょに濡らすつもりかな?」
消火活動の時みたいに、どばーっと放水してガシガシ磨くところを想像してみる。ちょっと面白そうだ。
「あの、水量調節の訓練なんですけど……」
「あはは。ヤルンはしっかり受けておくべきかもね」
キーマが意味ありげに笑って、先に行くよと手を振る。ったく、馬鹿にすんなよ。それくらい俺にだって出来るっての。火事場では水の出す方向を誤っただけなんだからな!
「任せろ。俺の手にかかれば掃除なんてちょちょいのちょいだぜ」
『行ってきまーす』
「聞けよ人の話!」
さっさと行ってしまった二人の背中にツッコミを入れてから、俺は再び机の上の紙切れと睨めっこを始めた。でも、今度はなんだか肩の荷がおりたような気楽さが胸にあった。
「気負っても仕方ないよな」
気持ちを声に出してみて、口元が綻ぶ。無理に難しく考えることなんてないのだ。無い知恵を絞って考えても迷走するだけ。どうせ伝えたいことはたった一言なのだから。
「俺は、元気にやっています」
ペン先がさらさらと紙面を滑った。
《終》
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