第7話 香りと共に途切れるもの・後編

「うげっ!?」


 ばたーん! 調合し始めて数分後、誰かが品のない叫び声を上げて椅子から転げ落ち、「またかよ」と他の誰かが呟いた。

 俺は体中に汗を噴き出しながら、部屋中に充満した臭いと懸命に格闘していた。俺だけじゃない、この場で意識を保っている者全員が、だ。頭がくらくらしてくるのは、今倒れた奴が羨ましいからかもしれない。


「気絶したほうが幸せなんじゃ……」


 生き残った奴らはもう戦友だ。そのうちの一人が弱音を吐きかけ、周囲に無言で窘められる。そんなことは言葉にするまでもなく、周知の事実である。

 何を入れたらこうなるんだよ! 最初は良い色だったはずだぞ。仄かな香りもしていた。


 けれども、色々な物を入れていくにつれて気配が怪しくなり、気がつけば鍋の中身はねっとりと粘着質な、おどろおどろしい物体へと変わっていた。生きてるんじゃないだろうな?


「ぐっ」


 しかも強烈な異臭がする。なんとも表現し難い、今まで嗅いだことのない、「ニオイ」というより「刺激」に近い何かが、鼻をぐさぐさと刺し続けてくる。


「ココ、大丈夫か?」

「は、はい。なんとか……」


 訓練で多少は焼けたはずの顔を真っ白にしながら、ココが頷く。すでに男どもが何人も脱落しているのだ。彼女だって平気なわけがない。

 どたどたっ! あぁ、また一人散って行ったか。


 この異様な空気の中で飄々としているのは師匠だけで、バタバタと兵士が倒れていくたびに魔術で浮かせて外へ放り出していた。そう、放り出すだけで処置は一切なし。本物の鬼だ。


「根性がないのう」


 どこの我慢大会の会場だよ! ツッコみたくても、空気を思い切り肺に取り入れた瞬間に終わることは目に見えている。つい先ほど実際にやろうとした馬鹿が身を投げ打って証明をしていた。


「し、師匠」

「なんじゃ?」


 俺は空気の節約に努めながら問いかけた。


「これは本当に薬なんスか? 俺には毒を精製してるようにしか思えないんスけど」


 数人がカッと目を見開く。きっと、「良く言った!」と、「聞いてはならんことを!」という二種類の反応だろう。

 ただし、刺激臭は目にも多大な被害を及ぼしているから、見開いた奴は涙が滲むという悲惨な状況に陥る羽目になる。


「毒じゃと? なんでそんなことを聞くのじゃ」


 なんでじゃねぇよ! すでに理性は飛びつつあり、耳の奥で嫌な音がし始めている。命の危機を感じるレベルだぞ!


「こ、この臭いと色……怪我人に使ったら死にそうなんですけど」


 焦げ臭いとか、そんな生易しい表現では済まされない。これは「痛み」そのものだ。新型爆弾でも作らされてないか!?


「前に教えた気付け薬の調合を思い出してみぃ。あの時も悪臭はしたじゃろう?」


 こんな時に過去を思い出せとは拷問に匹敵する仕打ちだ。が、俺はそうするまでもなく返答する。


「比じゃないっス」


 耳鳴りが死者の呼び声に変わってきた頃、師匠は最後のトドメをさしてくれた。


「これしきのことで嘆かわしい。良薬は口に苦し、という言葉を知らんのか」

「これ飲み薬だったのかーーーーーーーーー! あ」


 とうとう我慢できず絶叫してしまい、我に返る。吐き出した分、漂う臭気を思い切り吸い込んでしまった。

 舌がどろどろと溶け出す恐ろしい幻に駆られながら、俺は気絶した。


 《終》

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