第6話 火事場の馬鹿

「うわっ、あちちち!」


 一瞬、耐えられないほどの熱気に晒され、思わず顔を腕で覆う。火の粉がパーティー会場の紙吹雪みたいに飛び交い、猛威を振るう炎に照らされて真っ赤に染まった人々が辺りを右往左往している。

「風上へ逃げろ! こっちだ!」


 ごうごうと鳴る熱で巻き上げられた風と、逃げ惑う住民の叫び声。そんな耳が痛くなるくらいの音量に負けないように、大声で兵士達が避難を呼びかけていた。



 城である程度の訓練を終了すると、訓練生は任務に借り出されるようになった。

 もちろん、いきなり凶悪犯を取り締まらされたりするわけじゃない。まずは街の見回りなどをする傍ら、街の「どこを見るべきか」という目の付け所を教わる……のが普通らしい。


 ところが、魔導士は少々変則的なのか、他のところへ回されることもあるようで、気が付いたら俺はココと共に燃え盛る火事場にいた。


「なんでこうなってるんだっけー!?」


 俺は目一杯に声を張り上げた。話し相手がすぐ隣にいるとしても、こう外野がうるさくては言葉の輪郭を捉えるだけでも難しい。現に、辺りを走り回っている連中のほとんどが、何を喋っているか聞き取れたものじゃなかった。


「消火班に配属されたからですよー!」


 ココも思い切り叫び返してきた。

 冷気を纏う術を使ってなんとか熱を凌いでいるが、それでも空気を吸い込み過ぎると火事の熱気で肺をやられそうになる。だからといって冷気を強めると今度は体が冷え過ぎて動きが鈍る。加減が難しい。


「おい、お前ら何をボサッとしてやがる! 早く消火活動に加わらんか!」


 街角に立つ二階建ての建物を、すっぽりと包んで空高く舞い上がる炎に気圧されていると、中年の小隊長から檄が飛んだ。長年経験を積んだ兵士であり、今の俺達からすれば直属の上司にあたる。


『はっ、はい!!』


 慌てて魔導書を構え、水を呼び出す呪文を唱える。


『水底に沈む数多の精よ――』


 言葉を紡ぎ始めた途端、すっと周囲の音と熱が遠ざかる。術を行使する際に発生する簡易結界のせいだ。自分の声だけがゆるゆると体に染み込んでくる。


『光届かぬ世界に住まう者達よ――』


 魔力を高めているからか、すぐ傍で詠唱しているココの声も聞こえてきた。俺が放とうとしているのが冷水なら、彼女が生み出そうとしているのは冷気そのものだ。


 耳元で、誰かが「火とは何だ?」と問いかける。

 火とは、熱そのもの。外気を得て激しさを増すもの。勢いを削ぎたいなら、その二つを遮ってやればいい。


『その吐息放ちて荒ぶる者を鎮めよ!』


 かちり、と何かが嵌る感覚があった。術が完成した時の手応えだ。


「いけぇっ!」


 怒涛の勢いで掌から水が溢れ出る。それは真っ直ぐに炎に向かい、躊躇いもなくブチ当たった。水流から飛び散った飛沫は、直後にココが呼び出した冷気によって熱を包んだ氷の粒へと変化しては地面に転がり、しかしすぐに溶けて消える。


「……く」


 かなりの量の放水を行っているはずだが、炎はなかなか衰えを見せない。こりゃあ、自然ってやつは凄いなぁなんて言っていられる状況じゃないぞ。


「何か手はないのかよ!」


 周囲に視線を走らせれば、瓦礫を退かしたり避難誘導をする兵士に混ざって、俺達と同じように消火活動に当たっている魔導士の姿があちこちに見えた。皆肌が焼ける熱さと、水や冷気となってどんどん吸い出されていく魔力にやられ気味だ。


「ヤルンさん、これじゃあキリがありません!」


 痺れを切らしたように叫ぶ彼女の髪が、熱風に煽られては顔を打ち付ける。住居人はあらかた逃げ出せたみたいだが、周辺を含めた建物への被害は広がる一方に見えた。


「……やってみるか」


 体がいつもより重く感じ始めている。魔力の消耗が激しい証拠だ。でも、食い止めても救護班行きなんてことになったらいい笑い者だぜ。


「え、何ですか!?」


 俺はわざと水量を落とし、左手だけに術を移した。その仕草にココははっとした顔でこちらを凝視している。これからやろうとしていることに気付いたのだろう。


「だっ、駄目ですよ! そんなことしたら!」


 あー聞こえない聞こえない。首を振って、今度は右手に意識を集中する。先程と似た、けれどもやや違う呪文を静かに素早く唱えていく。


『水底に留まり連綿と続く流れよ――』

「ヤルンさん、駄目ですってば! 止まって下さいー!」


 声を限りに叫び続けるココも、術を行使している間はその場を動くわけにはいかない。ちらりと横目に見て――俺は右の指先を素早く上げ、水を地下から柱状に呼ぼうとした。こうすれば、外からだけじゃなく、内側からも消化が出来るはずだからだ。……だが。


「この馬鹿者がーっ!」


 え? どこかから聞き慣れた怒声が響いたと思ったら、誰かが思いきり俺の頭をはたいた。


「うべっ!?」


 それはもう思い切り、水浸しになった地面に鼻を打ち付けるほどに。反射的に術が途切れ、行使し続けていた放水も消えてしまった。そして、今しがた完成したばかりの術は制御を離れて暴走し――。


「あ」


 どおおぉおおぉおん……!!

 鼓膜が破けそうになるほどの音を轟かせながら、水は二階建ての民家を物の見事に粉砕した。



「すんませんでした……」


 後に、他の奴らが下から突き上げる術を使わなかったのは、建物が老朽化していたからだと知らされた。横からの力なら内側へ押し込めるが、下からだと砕けた破片などを外へぶちまけてしまって非常に危険だからだと。


「全く。お主はこういう任務に向いておらぬのう」

「うぐ」


 反論出来ずに押し黙るしかなかった。

 俺を止めたのは、ちょうど様子を見に来た師匠だった。正確には止めきれなかったわけだが、即座に結界を展開して被害を抑え込んでくれた。他の魔導士に出来る芸当ではない。師匠がいなければ大惨事になっていたはずだ。


「お前は要らん。他の現場に回れ」

「はい……」


 もちろん小隊長にはこっぴどく叱られ、罰として瓦礫の撤去までやらされる羽目になってしまった。焼け焦げた重い煉瓦を運び出していると、情けなくて半べそをかきたくなる。

 まさか、喜劇じみたセリフを自分が吐くことになるとは思わなかった。


「とほほ……」


《終》

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