第2話 雲の上の城・後編
「今は国境近くの領主に仕えているのでしたね。確か、スウェル領でしたか」
ふいに紡がれた懐かしい響きに、思わず心が揺さぶられる。それは今や遠く離れてしまった、生まれ育った場所の名。騎士を志して飛び出した故郷。なんとも久しぶりに、その名を聞いた気がした。
「おや、良くご存知でいらっしゃいますな。いかにも、スウェル地方を統べるお方の下で、若い者達への魔術の指南役を仰せつかっております」
王子はふっと、面白げに微笑んだ。
「いいえ、種明かしをすると、たまたまなのですよ。国境は他国との要。そこを長年守り通してきた屈強な土地にあやかろうと、父が弟に名を与えたのを思い出しましてね。つい先日、視察に訪れたと弟から聞きましたし」
「おお、そうでしたか」
そんな話は初耳だ。スウェルに、王家に通じるそんな逸話があったとは驚きである。
……そうか。争い事が起これば、真っ先に国の盾とならなければならないのが国境だ。きっと、あれほど呑気に暮らしていられる方が
「おや、そちらは?」
「これは失礼致しました。私の隣にいるのが、共に旅をして参った剣術指南役のリーゼイでございます」
「お初にお目にかかります。リーゼイと申します」
師範は片膝を付いたまま深く頭を下げてから、すっと眼差しをジェライド王子の唇の辺りへと送った。男性であってもうっすらと紅を引いた王子の口元は、血色の良さが際立って見えた。おっと、貴人を直視するのはマナー違反だったな。
「リーゼイ……、花の名ではありませんでしたか?」
「はっ」
師範も他の連中からの指摘には不満を露わにしていただろうが、ここは無表情で短く返した。王子の声にからかいの色が全くなかったのも理由だろう。
「なるほど。凛とした生き方をし、人としての花を咲かせろという親心が感じられますね。貴方のような男性に相応しい名だと、私は思いますよ」
「こ、光栄至極に存じます」
息が短く切れる音が聞こえ、すとんと胸の内に何かが落ちる瞬間を見た。誰だって居心地悪くドギマギしてしまう場面だろうに、こんな切り返しをする人は初めてだ。もしかして、同じ気持ちで師匠も「リー」と呼んでいるのか?
「それから、後ろに控えておりますのが、私共の弟子達にございます」
全員、さっと頭を下げる。
「どうぞ、顔を上げて下さい。……皆、精悍な顔つきをしていますね。目に未来を見据える光が宿っていることを感じます」
多分にお世辞が含まれているとしても、やはり嬉しくて口元が緩みそうになる。
「遥々、このように遠いところまで良く来てくれました。国を思い、強くあろうとする姿勢に、王族の一人として敬意と礼を表します」
いずれ王になって国を統べる人。王家直属の騎士団が仕える主。その王子から与えられた言葉を、俺は一生忘れない。いや、忘れようったって無理だな、うん。
覚えず胸を過った郷愁もあってか、感動が全身を震わし、目の奥がツンと痛んだ。
「今話したようにオルティリトは私の師でもあります。皆さんは私の弟弟子、ということになりますね」
王子と同門! 急に箔が付いたみたいだ。
「皆、鍛錬を重ね、我が国の素晴らしい剣となり、盾となることを望みます」
『はッ』
場が静かな高揚感に包まれていた。
「いやー、凄かったな」
謁見の間をお
「さてと! 緊張し通しの挨拶も済んだし、いよいよ王都での訓練が始まるんだな!」
「ワクワクしますね」
ココとひそひそ囁き合うと、やはり疲れたらしいキーマが「二人とも元気だね」と感想を零す。あったり前だろ、そのために王都くんだりまで来たんだからな!
一つの町みたいになっている広い広い城には、建物も部屋も豊富にあって当然で、もちろんスウェルと同じく訓練兵用の宿舎がどーんと立てられている。故郷の城と違うのは、その規模だ。
「でっか!」
煉瓦造りで縦にも横にも広い。スウェルの宿舎が露店なら、ここは大商店だ。なんで店でたとえるかって? ウチが商家だからかな。
俺達以外にも別の地方から来た奴らが数隊いるらしく、王都の兵との共同訓練に入っているという。簡単に言えば数日から数か月間上の先輩であり、騎士志望者なら俺のライバルだ。
あとは清潔感が違う。でも、ここには騎士に勝るとも劣らない質と量の使用人が勤めている。なんと、俺達の面倒まで見てくれるらしい。やったやった。これでまた、美味い飯にありつけるぜ!
「ヤルン、感激で泣きそうなんでしょ」
「うっせ。感動したのは認めるけど、誰が泣くかよ」
因果なことに、あてがわれた部屋はまたも二人で一つの相部屋で、同室の相手はキーマだった。慣れた相手の方が揉めなくて済むからだ。部屋の作り自体は見習いの頃とさして変わらず、多少広くなったかな程度の差である。
「にしても驚いた。オルティリト師が王子様の先生だったなんてさ」
「だよなー。もうマジで何者? って感じ」
いつも余裕しゃくしゃくで世を渡り歩いている、俺にとっては困ったじいさんだ、とは思っていたが、王族と顔見知りなんて、ありえなさ過ぎて現実味がわかない。
荷物をとっとと整頓し、こうしてベッドに寝転がっていると、全てが幻のような気がしてくる。
「なぁ、第二王子の名前って何だっけ? スウェルにちなんで、とか言ってたよな」
「……相変わらずだね。あの時に会ったんじゃないの?」
「うぐ」
視線が痛い。キーマの指摘通り、実は視察の時にセクティア姫に連行された先で会っている。でも、俺は忘れたかったのだ。
あの時、勝手に部屋を抜け出したのがバレ、加えて俺まで連れ込んだ妻に夫は激怒した。「話を付けてくるから待ってて」と姫に命令され、俺がぼーっと立たされている間、隣の部屋で夫婦喧嘩を繰り広げ始めたのにはビックリだった。
お付きの人も控えていたし、声も押さえていたみたいだけれど、交わされる罵詈雑言やドタバタいう音を扉一枚で防ぎきるのは無理な話だ。そんなやりとりを聞かされた後で、にこやかに挨拶なんか出来るもんかっての。
「……。第二王子はスヴェイン殿下だよ」
「あぁ、そうだ。そんな名前だった。あれ、じゃあスウェルって地名をそのまま使ったわけじゃないんだな」
まぁ地名と人名だし、まんま転用するのは変かもしれない。紛らわしいし、本人も周りも使い辛そうだ。
「スヴェインはスウェルの古い呼び名だよ。まだユニラテラが王国として成り立つ以前、あの辺りはスヴェイン地方と呼ばれていたらしいね」
「へ、そーなのか? お前、物知りだな」
さすがは情報通。褒められて照れたのか、「たまたまだよ」なんて言ってはいるが、なかなかのうんちくを持ち合わせていると思う。尊敬の眼差しを向けていると、居たたまれなくなったらしく、キーマは話題を変えてきた。
「師範は初対面みたいだったね」
「だな。っつうか、まだ若そうなのに師範なんて、リーゼイ師範凄ェよな」
「だねー」
師匠達が訓練日程を相談している間は自由時間だ。明日からの激務に備え、今夜は体を休めておけと言われている。
「うあ、駄目だ。超眠い……」
目蓋が重い。昨日は宿屋で無理矢理にでも睡眠を取ったのに、実際にこうして横になると、王族との謁見がどれほど心身を緊張させていたかを実感する。
「だねー」
あ? キーマの奴、もしかして喋りながら寝てないか? しかし、確かめようと思う間もなく、俺の意識はシーツに深く沈みこんでいった。
《終》
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