第2話 雲の上の城・中編

 建物に入った後は案内人を名乗る人物が控えの間に連れて行ってくれ、そこでしばし待つようにと言われた。


「何をぼんやりと空なぞ見詰めておる」


 正確には城の中だから空ではなく天井だ。

 俺ん家が三つくらいは入りそうな高さに、緩やかに傾斜した天井が見える。二階部分に走っているのは渡り廊下か。それを支える柱のひとつひとつが、眩く感じられる。控えの間にしちゃあ、豪勢だ。常識が粉砕されそうである。


「必要以上に固くなるなと言うに。あぁ、そういえば、雲の上の城という話を知っておるか?」

「は? 『雲の上の城』?」


 おいおい、一体何の話だ? これから人生の一大イベントだってのに、師匠は全く臆した様子もなく話し続ける。もう鋼の心臓どころじゃない。きっと魔力のシールドでも張っているのだ。


「そこには人ならざる者が住んでいてのう。時に地上に降りてくることがあるそうじゃ」


 人ならざる者……幽霊や化け物の類だろうか。別に頭から否定するつもりはないけれど、荒唐無稽に過ぎる。こんな時にお伽噺もないだろうに。そんな考えが、顔にバッチリ出ていたらしい。


「お伽噺とぎばなしとせせら笑うのは簡単じゃよ。だがの、ここからが一つ、単なる子ども騙しと捨て置けぬところでのう。……彼らは人知れずわしら人間の世界に溶け込み、世界を操っているらしいのじゃ」

「はあぁ?」


 空いた口が塞がらない。雲の上に城が浮かんでいて? 人じゃない何かが地上に時々降りてきて、世界を操っている?

 師匠は俺達の何倍も生きているはずなのに、本気でそんな非現実的な話を信じているのだろうか。それとも、人間は長く生きると逆に信心深くなるものなのか?


「あの、その『人ならざる者』とは、魔物のようなものでしょうか」


 ココが不安げに問いかける。優しい彼女のことだ、老人の与太話に親切にも付き合ってやっているのか、はたまた信じかけているのだろうか……。


「ほっほっほ、安心せい。恐れずとも、この世の一面に過ぎぬ。影あるところに光あり、じゃからのう」


 影と光。なにやら創世の神話物語の様相を呈してきたぞ。放っておくと神と悪魔の戦記物でも始まってしまいそうだ。勘弁してくれ。そう、完全にドン引きしていると、師匠が俺に一瞥をくれた。


「ふん。ヤルンよ、あからさまに怪しい目を向けておるようじゃが、わしらもその輪の一端に触れるものなのじゃよ。『魔力』という、な」

「どういう、意味スか」


 遠ざかった世界観を、急に手前に引き寄せるのはやめて欲しい。馬鹿馬鹿しいと手を振った相手と底辺で繋がっているなんて、背筋が冷えてしまう話だ。


「なんにせよ、何故『魔術』を使える人間が生まれるのか。世の理を捻じ曲げる力の根源はなんなのか。果てのない題目よの」


 だーっ! 絶対このじいさん、俺らをおちょくって楽しんでやがる。話も途中からぐるぐる迷走してるっぽいし! 煙に巻く気MAX!


「皆様、こちらへ」


 ツッコんでやろうとしたら、案内人が戻ってきてしまった。


「さて、気も落ち着いたところで迎えが来たようじゃ。忙しい身の殿下をお待たせしては申し訳が立たぬでな」


 うぎぎ、誰があんな話で落ち着くかよっ。あぁ、もう滅茶苦茶腹が立ってきた。こうなったらオウジサマだろうが何だろうが、びしっとキメてやろうじゃねぇか!


「ヤルンてば、完全にオルティリト師の思惑通りだし」

「ふふっ、私は少し羨ましいです」


 二人がそんな会話を交わしていることに、俺はちっとも気付かなかった。



「お久しゅうございます、ジェライド殿下」


 謁見の間はただただ広く、中央には真っ赤な絨毯が惜しげもなく敷かれていた。ちなみに途中の通路には、代々の国王の肖像画がずらりと並んでいて威圧感満載だった。あれは嫌がらせに違いないぜ。


 俺達が跪く場所の右側は茨模様の装飾の施された壁で、左側はテラスになっていた。向こうには池を挟んで庭が見られ、開放感溢れる作りだ。本当にユニラテラ王国が芸術の盛んな、豊かな国なのだと実感する。

 が、これもきっと田舎者への嫌がらせに違いない。


 「そう堅くならずに」という優しい声に導かれて顔を上げると、段上に並んだ三つの豪奢な椅子のうちの一つ、向かって右側の席に座す人物が目に入った。


「本当に久しぶりですね、オルティリト」


 緑の流れるような長髪。女性と見紛うばかりの細い肢体を、ゆったりとした上質の布で織られた服で包み、柔らかく微笑んでいる。

 二十代半ばほどに見えるその姿は、ココのような繊細さとはまた違う、気高い美しさを放つ。この人が、次期国王候補のジェライド王子……。


「これはこれは。このような老いぼれを覚えていて下さったとは、光栄の極みにございます」


 老魔導師の舌は実によく回る。主に発音の難しい古代語を操るためだが、師匠の口は本当に動きが滑らかだ。

 先程の、幼子の頭でも撫でてやろうかとほくそ笑んでいた不敵な顔を露とも出さず、笑顔を貼り付けて人の良さを前面に押し出している。胡散うさんくさくて超怖ェ。


「良く覚えていますよ。幼い……まだ弟が生まれて間もない頃、城で私に魔術の手解きをしてくれましたね」

「っ」


 思わず驚きが口から飛び出しそうになるのを、必死で堪えた。王都に来てからはビックリの連続だが、これは中でもズバ抜けてトップの衝撃に入る。

 マジかよ。王子に魔術を教える先生だったなんて、その辺にゴロゴロと転がっている話じゃないぞ? 本当に師匠は何者なんだよ……!?


「あいにく、私には魔術の才はありませんでしたが、おかげで身を守る術を身に付けることが出来ました。感謝していますよ」

「いえいえ、殿下はご幼少の頃から実に聡明なお方。ほとんどお教え出来るようなことはございませんでした」


 魔術の才のない者、つまり魔力を持たない人間に魔導師が何かを教えることは、本来ない。基本的にほぼ全ての魔術が、魔力を用いて発動させるものだからだ。魔力がない人間にとって、これほど無価値な知識もあるまい。


 それに、中途半端な知識は持ち主に害を及ぼすこともある。だから、ここで言う「手解き」とは護身術の類だろう。魔導師と会った時の心得や、魔力を持つ品物の扱いがこれに含まれる。

 王族ならば、自分の身を守るためにある程度は知っておかなければならないのかもしれない。


「ふふ、そんなに褒めるものではありませんよ」

「殿下こそ、老いぼれを煽てても仕方ありませんぞ」


 うひ~、このやりとり早く終わらねぇかな。ハラハラする。

 茶目っ気を発揮して笑いあう二人の様子には、こちらが底冷えする思いだ。師匠に付き合って恐らくは全てを見抜いている王子も、さすがにタダモノではなかった。

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