第2話 雲の上の城・前編

 見上げすぎて、後ろにひっくり返るかと思った。

 街をぐるりと取り囲む外壁と同じ、まっさらな白い壁。さらさらと流れる川の上を渡る、馬車でも余裕で通れる幅の橋。そして、数人がかりでなければ開きそうにない鉄扉。


 街の入り口との差異は、見張りに立つ男達が身に付ける光り輝く鎧、そして王家に仕え、この国を守護する者の証のエンブレム。

 どどん、なんて言葉がぴったり合いそうな巨大なこの建物こそ、俺達の旅の終着点――王城である。


「うおおお……」


 興奮と緊張とがあいまって気分は最高潮、体は先程からガタガタと震えが止まらない。


「ヤルンさん、大丈夫ですか?」

「なに? ここへ来て恐れをなしたわけ?」


 口々に言うココとキーマに「武者震いっ」と短く答えながら、緩みそうになる顔を無理矢理引き締める。

 制服は洗ったし風呂にも入った。師匠達も正装――魔導師はマスタークラスのローブ、剣師は装飾入りの鎧――を身に纏っており、いつもより二割増しくらい格好いい。


 それでも、目の前に佇む騎士の前でその威光が霞んで見えてしまうのは、目の錯覚か、はたまた俺の目にフィルターがかかっているためか。両方かな。


 登城の手続きは師匠達が済ませてあったらしく、俺達はすんなりと城の中へと通された。まぁ、領主サマの書状があれば審査もスムーズだったことだろう。

 門を抜け、中に入る。途端、花の香りが辺りに漂った。


「な、なんだこれ……」


 中には楽園が広がっていた。


 眼前を走る煉瓦敷きの道の両脇には色とりどりの花が咲き乱れ、植えられた木々の一本一本に至るまで美しく手入れがなされている。あちらこちらに見える男達は手に鋏を持ち、まるで触れると壊れてしまうみたいにやさしい手付きで葉を摘み取っていく。


 貴族の屋敷にはありがちな風景であるはずなのに、規模も美しさも段違いな、人が創造するひとつの芸術作品だ。


「マジかよ」


 正直、度肝を抜かれた。騎士や武勲を尊ぶこの国の王城は、どちらかというと無骨な雰囲気だろうと思い込んでいて、すっかり失念していた。この国のもう一つの顔、芸術に秀でた華やかな側面を。

 雑多な華やかさの城下町とはまた違う、静けさと清潔さ。誰も侵してはならない聖域のようだった。


「ほれ、隊列を乱すでない」


 師匠の注意ではっと我に返る。俺だけじゃない、誰もがこの場の空気に呑まれかけていた。国境近くの田舎町から出てきたのだ、落ち着けという方が無理がある。

 それでもなんとか体裁を取り繕うように俺達は歩き、小山みたいな群の中でも一際目立つ建物へと入っていった。


「うわ……」


 つるりと磨き上げられた床は俺達の姿を映していて、まるで鏡のようだ。来る途中でもチラホラ見かけた黒と白のお仕着せに身を包んだ侍女達が、ここでも忙しげに行き交っている。


「全員、今一度気を引き締めるように。これから第一王子に謁見する。くれぐれも失礼のないように」


 師範の言葉に、俺達は一人残らず固まった。な、なんだって? おおお、王子に謁見するだぁ!? そんなの全然聞いてない!


「師範、ほ、本当なのですか?」


 剣士のうちの一人が声を絞り出した。


「何がだ」


 そいつは師範に睨まれて完全硬直し、仕方なく別の剣士が「その、王子様にお会いする、なんて」と続けた。


「こんな場所で冗談を言うほど、愚かではないつもりだが」


 師範、真面目くさった顔で笑えない冗談はやめてくれ! 天然か? 天然キャラなのか? だとしたら色んな意味で怖すぎる!


「わ、私達はただの訓練兵です」


 隣でココが青ざめた顔をしてささやき始めた。その声が震えているのは恐怖のせいだろう。


「各地を回って経験を積んでは来ましたが、登城することさえ光栄に思う身分です。そんな私達に、どうして……」


 どうして『王子』などという雲の上の人が直接会ってくれるのか。

 そりゃ、前に第二王子が視察に来た時に会いはしたけれど、今回顔をあわせるのはなんといっても第一王子なのだ。その人物が次期国王候補の筆頭であることくらい、小さい子どもだって知っている。感じる重圧が違う。


「お偉方に挨拶って、言ってたじゃないスか」


 国の重鎮だって十分に凄いが、王族とは比較にならない。彼らは国を統べるために生まれた別世界の人間だ。もちろん、粗相をしでかしたら首が飛ぶことだってある。ん? 俺、良く生きてるな。


 とにかく、そんな王子に拝謁するらしい。今から、すぐに。心の準備もへったくれもあったものではない。

 鉄の心臓の持ち主だって裸足で逃げ出しそうなこの状況で、師匠がゆるゆると話し始めた。


「そんなに狼狽うろたえずとも良かろうて。これはしきたりなのじゃ。若い兵士は、この国の礎。王は民があって初めて成り立つものであり、たとえ国の支配者であっても、礎には敬意を払うべし、とな」

「……?」


 分かるような、分からないような。それでは誰が一番偉いのか曖昧になってしまう。王政国家でそんな柔軟な解釈が通用するのだろうか。


「どれほどちっぽけな村からやってきた者でも、王家には労う義務がある。何故なら彼らによって、国も王家も生かされているからじゃ。逆もまた然りじゃがの」


 うーん、難しい。思考がぐるぐる回って、気分が悪くなってきた。


「縦の線ではなく、輪であると……?」


 キーマがぽつりと言い、師匠が「そういう面もある、ということじゃ」と頷く。


「兵団の挨拶には、王家の血筋に連なる者、もしくは騎士団長らが応じる決まりになっておってのう。我々の場合はお相手が第一王子殿下だった。それだけのことじゃよ」


 どこが「それだけ」なんだか。言葉巧みに言いくるめられている気がするが、少し強張りが解けたかもしれない。そんな瞬間を捕まえたかのように、師匠が懐かしげに目を細めた。


「わしもお会いするのは随分と久しぶりじゃのう。あの細くて弱々しかった小童が、どんな男に成長したか、見ものじゃて」


 失礼が天井を貫きまくった発言に、ぎくっとして再び全身の筋肉が緊張する。

 やっぱりアンタの差し金じゃねェかよ!? じいさんマジで何者!? もう嫌だ。頼むから、どこか遠くに行かせてくれ。

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