第8話 手の内の刃・中編
翌日の午後。珍しく自由時間が与えられ、他の奴らが好きに過ごしている時間、俺はまたしても師匠に呼び出されていた。あのじいさんは、俺を休ませる気が全くない。
「失礼しまーす」
師匠達が宿泊するのは客人用の一室で、二人分のベッドや家具が整えられている。客室だけあって調度品もそこそこの値がしそうなものばかりが並ぶ。
「……」
修行中の身で文句を言えた立場ではなくとも、ちょっと腑に落ちない気持ちになるくらいは許されるべきだろう。
「『ずるい、贔屓だ』と顔に書いてあるぞ?」
「そ、そんなこと思ってませんから! はっ、早く訓練に入りましょうっ」
慌てて取り繕った。こんなことなら魔術より読心術を教わりたい。精神面の防御の講義はまだか……おっと、これも読まれては大変だ。
これからお決まりの訓練タイムである。
ちなみに訓練時、師匠と相部屋のリーゼイ師範は見学していたりする。いつも静かな人だから、その鋭い目を見詰めてしまわない限りは集中力を乱されることはないのだが。
うっ、今日もじっと見てる。まさか、目が光ったり、石化させられたりしないだろうな? マジでやりそうで怖いんだよ。
「昨日は有益な情報を得られたかのう?」
読書を理由に休んだ翌日には、これを必ず聞かれる。どんな知識を吸収したかが、今後の訓練内容に関わってくるからだ。なお、嘘は速攻で見抜かれるから、吐くだけ無駄である。
「風の魔術の基本がほとんどでした。使えそうなのは、風で対象物を切り裂く術くらいスかね」
記述を読む限り、鋭い空気の流れが刃のような働きを見せる、随分と攻撃的な術だった。迫力がありそうで発想も面白いが、好ましいとは言い難い。
読んだ瞬間、先の戦場で剣によって傷つけられた負傷者達を思い出し、口の中に苦みが広がったせいもある。
「ほう。では、早速その術の会得をするかのう」
「えっ」
「魔導書には記しておるのじゃろう?」
「それは、一応は……」
知らない術や理論は、とにかく何でも魔導書に書き込んでいくのが、実力を付ける近道だ。
たとえその時は理解出来なくても、ある拍子にすとんと自分の内に落ちてくる。魔術の勉強を始めて、俺は何度もそんな瞬間に出会ってきた。
「弱気な顔をするでない。人を斬った感触を、お主もいずれ覚える時が来よう」
俯く俺に、師匠がぽつりと言った。
「魔術ならば、剣と違って実感がわかない、などとは思わぬことだ。魔力は自らの手足と同じじゃよ」
講義の時とも、こうして特訓をさせられている時とも、まして雑談の中にもない、重い声音。それは、師匠が呪文を唱える時の澄んだ静けさに似ていた。
「自分が何を握りしめて人と向き合っているのか、良く知っておけ」
「……はい」
返事をしたものの、はっきりと分かった上でのことではなかった。きっと、これもいつかは理解する日がくるのだと思う。少しでも遠くであれと願うのは、子どもゆえの甘えなのか。
「では、早速やるかのう。書を見せてみぃ」
気乗りしないまま、魔導書の頁を開いた。講義と違って短い時間で書き込む必要はないし、あとで復習をすると分かっているから、これでもかと丁寧に書いた。他人にも読めるはずだ。
「ふむ、暗号化の術でもかけてあるのかのう」
「ええっ」
そんなまさか! 仰け反るほど驚くと、師匠がほっほっほと笑った。反射的に俺の顔は真っ赤に染まる。
「ジジイのちょっとした茶目っ気じゃ」
「んなのはお茶目じゃねぇ、嫌がらせってんだ!」
「そう怒るでない。心を乱せば手元が狂うぞ」
誰のせいだ、誰の!
「まぁ、今日はそれも良いかもしれん。攻撃する術には、決意が大事じゃからのう」
決意。その言葉には思い当たることがある。
以前、火系統の術を教わった時に、自分の心に核のようなものが必要だと感じたことがあった。きっと、あれと関係があるはずだ。
ただ、火の魔術は最初から攻撃が主体だと分かって入る分、心構えも自然と出来てくるが、風には癒しや補助が多い。それをあえて攻撃に転用する思考に、抵抗があるのだ。
「何をシリアスぶっておる。とっとと読んで、わしにぶつけてみんか」
また言ってるし。恐ろしいセリフを、俺はさらっと聞き流した。
師匠の特訓は常にこのやり方だ。癒す術だろうと傷つける術だろうとお構いなし。最初の頃の驚愕と、「まずは物相手に試してから……」という生温い提案が、今となっては懐かしい。
『人間相手に行使するのを前提にした術を、他の物になど試すだけ魔力の無駄』
が師匠の持論。困ったスパルタ教師だ。
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