第8話 手の内の刃・前編
時折立ち寄る領主などの貴族の城には、必ずと言って良い頻度で「先人の残した知恵」である魔術書を保管した部屋がある。
兵士の力は国力と同義であり、それを育てるのも貴族の勤めらしい。俺達魔導士は、行く先々で収められた魔術書から知識を吸収出来るというわけだ。
今訪れているこの城でも、現地兵との共同訓練の空き時間に、好きに本を漁って読んで構わないことになっていた。
「へぇ、ここも色々あるなぁ」
磨き上げられた石床が、俺の歩みに合わせてコツコツと音を立てる。
「どの本もだいぶ古いみたいですね」
ココが一冊手にとってペラペラと捲る。他にも熱心に読み耽る者や、どれから目を通そうかと指を彷徨わせる者の姿もあった。
「量も凄いけど、中身も相当なんだろうなぁ」
埃っぽい空気の中、首をどう捻っても、視界に入るのはがっしりした棚と古めかしい本ばかり。知識が延々と収められた書庫には、紙特有の匂いが立ち込めていた。
本が好きなら気にならないのだろうが、俺は御免こうむりたい。一刻も早く撤退だ撤退!
「さて、と。これにするか」
そのうちの一冊を借り、寝床に持っていって、寝転がりながら文字を指でなぞった。丁寧に手書きされた紙面はでこぼこしていて、読書の助けになる。
用意して貰った部屋は板張りのだだっ広い場所で、今回は全員が敷物を敷いた雑魚寝スタイルだ。本音を言えばベッドが恋しいが、ここのところ野宿が連続していたから、壁と屋根と食事があるだけで有り難い。
枕を抱えて隣に陣取ったキーマが、「ねーねー」と話しかけてきた。俺よりデカい癖に、チビッコみたいな声を出すんじゃない。
「それって『魔導書』?」
「これは『魔術書』」
読んでいるのは風魔術の基本と応用について記された本だ。すでに習った部分はざざっと斜め読みして、未知の領域を探す。
「どう違うのさ」
「ん? あぁ」
なんとも初歩的な質問に首を傾げた。考えてみれば、魔術を一切かじらない者には両者の違いが分からないのだと気付く。いつも一緒に行動しているから、キーマが剣士であることをすっかり忘れてたぜ。
「魔導書は魔術を発動する媒体で、魔術書は術の知識が書き込まれたメモかな」
「ふーん?」
「お前、分かる気ないだろ」
まぁ、食事も風呂も済ませたし、どうせ寝物語みたいに話半分に聞いているのだろう。別に分からなくても困らないんだし、放置だな。
「なに、そんなに面白いことが載ってる?」
言って、キーマがぼんやりとした眼差しで古代語が羅列された本を覗き込んだ。剣士も基礎的な教養として、軽く古代語を教わりはする。キーマは要領の良い奴だし、簡単な単語は読めるかもしれない。
「うげ、何これ。難し過ぎ」
ただし、魔術書には初心者への配慮など一切なく、専門用語がお祭りを開催している場合がほとんどだ。読めても理解出来るかはまた別の話である。
案の定、キーマは苦々しげに本から目を離した。
「面白くなんかねぇよ。教わったことばっかだな」
「え、でも集中してるっぽかったじゃない?」
「その集中しているように見える人間に、遠慮なく話しかけてくるお前はなんなんだよ」
いつものことだし、いうほど集中してもいなかったから、怒りゃしないけど。
「あのな、いきなり上級者向けを読んでも、全然理解出来ないだろ」
きょとんとしていたキーマも、これには「なるほど」と返してくる。
「確かに、剣術だって急に大技を教わっても無理だもんなー」
だからこそ、習得済みの知識の隙間を縫うような本を選んで読んでいるのだ。
たまに掘り出し情報が載っていたりすると、「おおっ」と興奮してしまうこともある。読書は好きでも得意でもないし、魔術を勉強すること自体も未だに複雑な心境なのだが、この瞬間は楽しみの一つだったりする。
「俺だって、本当は剣術の大技の方を教わりたいっつーの」
「あれ、拗ねた?」
「うっせぇ。もう相手してやらない」
「あはは。悪かったって」
壁に向かってくるりと寝返りを打つと、苦笑いしながら謝る声が背中を打つ。
「そういえば、今晩の特訓は?」
「今日は免除」
「あぁ、本を読んでるから」
「そーゆーこと」
師匠のしたり顔を思い出して少し苛立つ。毎日あんなに特訓特訓と迫るくせに、読書の時間だけは許可してくるのだ。魔術の勉強ならオッケーって、あのじいさんらし過ぎて微妙である。
やがて、しばらくするとキーマは疲れて眠ってしまったようで、すうすうという寝息が聞こえてきた。
「ふあ……」
俺は小さな明かりを生み出して頁を照らしながら、眠気と格闘し続けた。夜更かしは嫌いでも、この城に居られる時間は限られている。これも修行のうちと諦めた。
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