第5話 冷たい篝火④

 ざっと見回すと、腕を切られた者や足から血を流した者が、そこらにごろごろと転がっている。まさに地獄絵図だ。


『時を統べる者よ。その流れを止め、倒れ伏す者に今ひと時の活力を与えよ』


 逃げ出したくなる気持ちを抑え、俺は片っ端から血止めの薬を塗りたくり、傷を塞ぐ呪文を唱えまくっていった。


「あ、ありがとう。これでまた戦える」


 兵士の方は治療される間、大抵が呆けた顔で自分の傷が癒える様を眺めていた。

 魔導師が少ないから、こんな風に魔術で治してもらう機会があまりないのだろう。処置後に俺を見詰める瞳には、感謝と畏怖いふが宿っていた。


「ふぅ、思ったよりしんどいな」


 旅に擦り傷や切り傷は付き物だから手当てにも慣れてはいるが、こんなに連続して術を行使したのは初めてだ。さすがに何人も看ると汗が噴き出し、足取りも重くなってくる。

 治療に専念するために併用していた感覚強化の術を解くと、予想以上の夜の濃度に驚いた。


「うっ、助けてくれ……」

「痛い……、腕が……!」


 呻き声は夜が明け始めるまで途絶えることはなく、俺達に休息の時が訪れたのは、それより更に後だった。

 盗賊の討伐は多少の犠牲を出しながらも、概ね成功に終わった。

 盗賊団の規模は大きく、戦線は押されたが、町に入られたのは数人のみ。そちらも残らず駆逐できたらしい。


 頭は捕まえて牢にぶち込み、斥候は気絶させられていたところを見つかった。命を奪わなかったのは、人質にでもしようと考えたのかもしれない。


 重症者は数人で死者はゼロ。その重症者も師匠の手当てで完治までの見通しが立ったと聞くし、全体としては上出来じゃないだろうか。

 ただし、これらの成果を俺が知ったのは、皆よりかなり遅れてのことだった。



「あ~も~だめ~」


 戦闘後、俺は町に戻るなり気絶するようにベッドに倒れこんだ。

 森を駆けずり回って魔術を使い続け、多くの人間を救ったのだ。全身が鉛のように重く、魔力も空っぽで心身共にへとへとだった。


 そのまま泥みたいに眠りこけ、目が覚めてみると、なんと翌々日の昼を回っていた。のっそり起きると、待っていてくれたらしいキーマが呆れ顔でいきさつを教えてくれた。


「ヤルンが一番ねぼすけだよ。昨日は一日中お祭り騒ぎだったのにさ」


 知ったことか。兵士の治療だって、魔力切れを起こしてくたばる仲間が何人も続出する中、俺は最後まで師匠と働き続けていたのだ。


「良かった。目が覚めたんですね!」


 着替えて部屋の外へ出てみると、ココが笑顔で出迎えてくれた。彼女の案内で大広間に向かう。

 昨日の宴会で使われたらしい、今は綺麗に掃除された大広間の一角で、使用人が淹れてくれた紅茶を飲む。高級な味なんてものはさっぱり分からないが、目は覚めたし、優雅な気分になった。


「やっぱりヤルンさんの魔力が凄いってことですよ!」


 キーマと交わした会話を繰り返すと、ココが両手を合わせて褒めてくれる。女子に賛美されるのはちょっと嬉しい。おっと、ニヤけないように気を付けないとな。


「体力の問題のような気もするけどな」


 魔導士だって兵士の一員である以上、体力作りは欠かせない。訓練メニューには長距離走や柔軟体操もあるし、今は重い荷物を背負って毎日歩くことがそれにあたる。


 最近では本格的に護身術を教えられるようになってきた。魔術ばかりの頭でっかちでは、魔力が切れた途端お荷物決定だからだ。そして、俺は自主的に剣の鍛錬も行っている。



「うんうん。他の連中にスタミナで負けるはずがないな!」


 勝手に自己完結していると、キーマが「理由が何であれ」と話題を変えてきた。


「幾らヘトヘトになるまで走り回ったからって、丸一日以上目が覚めなかったのはおかしくない? 他は全員、遅くても昨日の夜には起きて騒いでいたのに」


 その点に関しては心当たりがある。


「あぁ、そっちは魔力の使い過ぎのせいだな。治療以外にも結構使ったから」

「どういうことですか?」


 固形物を腹に入れたかったのに、出てきたのはくたくたに煮た野菜のスープだった。弱った胃に、急に味の濃い物や固い物を入れるのは良くないって? ちぇっ、俺も無理やりにでも起きて、宴会で旨いもの喰っておくんだったぜ。


「捕まった盗賊、もう見たか?」

「いーや。終了の合図で早々に引き上げたし。……何かしたんだ?」


 キーマが勘を働かせた瞬間、大広間の扉が開いて師匠が入ってきた。スープを行儀悪くズルズル飲む俺を視界に留め、目を輝かせる。気持ち悪いからやめて欲しい。


「よくやったのう、ヤルン。おぬしの策、見事成功じゃ!」

「おっ、マジすか?」


 話が見えずにきょとんとしている二人を余所に、師匠はついて来いと言った。スープを最後の一滴まで腹に流し込んでから、俺達はその背を追う。

 通路を延々と歩き、やがて地下に降りて、着いた先は地下の牢獄だった。

 ここは一時的に犯罪者を留めて置くための空間らしく、簡素で狭い。灯りは設けてあったが薄暗く、湿気た風が体にまとわりついた。


「おいっ、なんとかしてくれぇっ!」


 野太い男の声にキーマとココがぎょっとして顔を見合わせた。二人が怪訝に思うのも当然だ。こういう場合は「ここから出せー!」だの、領主への恨み言だのを喚くが常識だからな。常識? うん、多分。


「体調不良の人や、怪我を負った人がいるのでしょうか?」


 なら、助けないと、とココが心配した。優しい彼女は、たとえ相手が盗賊であっても見殺しには出来ないのだろう。

 師匠は無言で首を振って、俺達に牢の中を見るよう指示した。


「わっ」


 素直に覗き込んでびっくりする。すぐには数えきれ無さそうな人数が押し込められていたのだ。

 数区画に分けられた牢獄はどこも満員で、こちらを睨む者と諦めて俯く者が九割を占める中、まだ元気な奴が薄汚れた体を格子に押し付け、声を荒げる。


「いつまでこんな格好でいさせるつもりなんだよォ!」

「きゃっ」


 可愛らしい悲鳴を上げたココの横で、キーマも口を開き、目を剥いている。情けない盗賊の声に対してではない。その筋肉ムキムキの盗賊の姿に、だ。


「くそっ、俺の足をこんなにした大馬鹿野郎を、今すぐ出しやがれぇっ」


 威勢がいいのか悪いのか、涙混じりにのどを嗄らして叫ぶ男の足は、まるで彫刻の如く透けて、牢獄内の僅かな明かりを反射している。


「えーと、どーも。大馬鹿野郎です」


 俺が棒読みで名乗り出ると、場の空気が制止した。俺は男の格好が想像以上に滑稽だったせい。師匠は面白がっているだけ。あとの残りは理解が追いついていないのが原因だろう。

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