第5話 冷たい篝火③

 魔術習得の順序には定型がある。まず、比較的操りやすい風の魔術の基礎を習い、慣れたら水を扱う。コントロールが優しく、癒しなどの後方支援に役立つ術が多いためだ。


 後は、風と水による簡単な攻撃魔術といった応用編を学びながら、土と火の基礎を身に付けていく。見習いの訓練はここまでである。

 そして、見習いを脱した後は、いよいよ土の応用を教わる。現在の我が隊の進度はここだ。明かりや簡単な火付けを除き、本格的な火の魔術はカリキュラムでいうと先の先。皆が驚くのも無理はないのだ。


「……それは、まぁ」


 黙っていても仕方ない。俺はしぶしぶ頷いた。再びどよめきが広がり、いたたまれない気分になる。

 ほぼ毎晩の訓練で、通常よりずっと早く様々な魔術を叩き込まれていることは分かっていた。


 新しいことを教わるのは素直に面白いし、出来るものならやってみろと言われれば、やる気に火がついてしまう性格だ。なにより、このじいさんは嫌だと騒げば許してくれるような優しい相手じゃない。

 でも、他の奴等に知られれば余計に色眼鏡で見られることも分かっていた。ったく、デリカシーのないじいさんだぜ。


「そうかそうか」


 なに? なんでそんなに楽しそうなのさ。援護と負傷者の手当て、だよな?


「良い実践の場じゃ。敵が潜む森に一発、いや、数発はお見舞いしてやれい」


 あぁ、狼煙代わりに景気良くドカンと一発かましてやるのか……って!


「かっ、火事になるだろーがっ! 味方が山燃やしてどーすんだよ!!」


 そんなことをやらかせば、礼を言われるどころか、盗賊よりタチが悪いと判断されかねない。それなのに、師匠は口をすぼめる。


「なんじゃ、つまらんのう。山が燃えたら消火すればよいではないか」

「『よいではないか』じゃないっ! どこのガキの屁理屈だよっ!」


 またか。俺にだってある程度備わっているイッパンジョーシキってやつが、このじいさんには時々欠けている。それもかなりごっそりとだ。

 もしかして、そのせいで凄い術者のはずなのに地方の城の教官なんて微妙な地位に追いやられているんじゃ。……いや、こんな想像はしない方が幸せだ、多分。


「はぁはぁ。こ、コホン」


 俺は軽く咳払いをして気を取り直した。じいさんはあくまで上司だ。ツッコミを入れていたらきりがない、もとい、無礼な態度を取り続けるのは兵士としてはまずい。


「火の手が回ったら、この町の人達や俺達も危ないです。それより」


 代案を挙げながら、我ながら面白いとほくそ笑んでしまうのは、やはりこの師匠にしてこの弟子あり、なのかもしれない。



 いつもなら夜遅くまで煌々と灯っている店の明かりも、飲み明かそうとカウンターにしがみついて騒ぐ大人達の声も、今夜だけは嘘のように消え失せている。


 代わりに焚かれるのは兵士達が手に手に掲げる松明と、一定の距離を置いて配されている篝火だ。どの兵士も腰に磨き上げられた刃剣を帯び、辺りを巡回していた。しかし、俺の姿はそこにはない。


「寒っ」


 ローブの端を掴んで引き寄せる。辺りは夜の色に染まり、尚且つこんな茂みに身を潜めていたのでは手元さえ危うい。


 俺達は町から離れた森の中にいた。ここに来る途中の開けた場所には、野営のテントがいくつも設置され、攻撃の拠点になっている。そして、森の奥には賊の動きを探る為に幾人かの兵士が送り込まれていた。

 目の前には武装した男達が列を成す。彼らこそが最前線で戦う者達であり、俺達が援護すべき相手でもある。


「……」


 目を細めて辺りを見回した。まだ敵の気配はない。

 先程は「手元さえ危うい」と表現したが、実は俺達には闇の先がある程度見えている。感覚を研ぎ澄ます術を、各々が自身にかけているからだ。猫の目のように夜でも遠くまで見渡せるようになり、音や匂いへの感度も上げられる。


 便利だからブルーティオ兵にもかけたいところだが、あいにく師匠以外はまだまだ未熟な術者揃い、他人に施した術を長時間持続させるほどの余裕はない。


 葉が擦れ合う音と、呼吸する息遣いが耳に届く。

 じっと息を潜めて待つのは、想像以上に根気のいる作業だった。身動きが取れない上、常に気を張っていなければならない。ともすればプツンと切れてしまいそうになる意識の糸を、風の冷たさという助けを借りながら、必死に手繰り寄せていた。


 ――異変は、見上げた空の月が今夜は細いな、と思った瞬間に起こった。


「!」


 微かな物音にびくりと体を強張らせたのは俺だけじゃない。隣の奴もその隣の奴も、いや、魔導士全員が反応した。

 足音だ。それも何人もの。


 敵の様子を探りに向かった兵士でないことは、靴音の質が違うことですぐに分かった。彼らが戻って来ないなら、何かアクシデントでもあったのか。

 生えた木々を縫うように迫ってくる「奴ら」は、どんどんこちらに近付いてくる。このままだと数秒と経たずに目の前に現れるはずだ。


 そう思った次の瞬間には、茂みの奥からいくつもの影が躍り出た。手に持つ刃が薄い月明かりを反射し、俺の目を焼く。

 きぃん、きん! と甲高く鳴るのは、兵が剣で受け止めて弾き返す鋼の音だ。


「……っ」

『決してこの術を乱用してはならぬぞ』


 ここにきて、ようやく師匠が予め喚起した注意の意味が解った。耳が、鼓膜が痛くて仕方ないのだ。

 感覚が鋭くなる代わりに、脆くなってしまった気がする。宴会場や人ごみで不用意に使った日には、気が狂ってしまうのじゃないだろうか。


「や、やめてくれ」

「痛い痛い!」


 一緒に隠れていた隣の奴が、青い顔をして耳を塞いだ。他にもガタガタ震えだした仲間がいて、こちらにまで恐怖が伝染しそうだ。


「!」


 金属音に混じって、何かが切れる音がした。次いで重いものが地面を叩き、嫌な臭いが鼻を掠める。

 人が倒れた? ……行かなければ。

 俺は血の気が失せていく全身を奮い起こして立ち上がった。怪我人の救助が任務だ。目の前で繰り広げられる命のやり取りを、黙って見物しているわけにはいかない。


「さて、行くかの」

「はっ!」


 師匠が短く命じ、俺を含め、かろうじて冷静さを保っている仲間を連れて戦場に向かった。途中、視線は極力落とさないように気を付けた。べっとりと濡れ広がる赤黒い液体を直視しないために。


「っ」


 息を吸い込むと、なんとも言えない臭いが肺に飛び込んでくる。鍔迫り合いの音が響き渡る中、戦いが苛烈さを増すごとに、辺りにはそれが濃く強く充満していった。


「うぅ、きつ……」


 誰かが思わず弱音を吐いた。息を止めても、吐き気を催すような臭気は肺を確実に侵していく。極めつきは兵士達の負った深い傷口だ。とても直視出来るものではない。


「お主らは傷の浅い者を見てやれ」


 重傷者は師匠が応急処置を施した後、テントへ運び、待機している救護班が治療する。俺達の役目は戦線へ復帰出来そうな兵の面倒を見ることだった。

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