第5話 冷たい篝火①

 夜闇に紛れ、鬱蒼と茂った木々の合間を幾つもの影が抜けていく。

 その動きは足音を消しながらのものとは思えないほど素早い。

 痩せ細った下弦の月だけが、彼らを見ていた。



 その数時間前。まだ日が高く昇っていた頃、俺達は数日ぶりに大きな町に立ち寄った。久々に活気に触れた気がする。


「領地の名前、なんつったっけ?」

「ブルーティオです」


 がやがやとうるさい繁華街を過ぎ、領主の館へ向かう途中で問いかける。隣にはだいぶ使い込まれ、よれよれになった地図を広げるココの姿がある。

 書き込まれた赤い線はこれまでの道のりを記したもので、まるで蛇のようにうねうねと伸びていた。


 師匠が言うには、旅の最終目的はユニラテラ王都らしい。もしやとは思っていたが、聞くまで教えてくれないってどういうことなんだ。お得意の面倒くさがりか。

 無駄に背の高いキーマが、後ろから地図を覗き込んでくる。


「こうして見ると結構旅してるなー」

「縦横無尽にもほどがあるっての」


 基本的には西に向かっているものの、道の都合などで真っ直ぐに進路を取れないことも多い。北へ南へ、そして東へと様々な場所へ立ち寄るものだから、ただでさえ遠い「国の中心」へなかなか近付かないでいた。


「私、時々『自分はきちんと成長出来ているのかな』って不安になるんです。でも、これを見ると『大丈夫』と思えるんですよね」


 ココが微笑みながら珍しく心の内を話してくれたことに驚きつつ、俺も頷く。


「そりゃ、これだけあっちこっち行かされてんだ。経験だってズンズン積めてるさ」

「ズンズン、ですか?」


 大きな瞳をぱちくりさせる。う、可愛い。


「いや、ズンズンって変じゃない?」

「なんだとー? 重みが感じられていいだろっ」


 そんなやり取りにココがくすくす笑った。この一連の流れが妙にしっくりきてしまうのが、なんとも不思議だ。


「あ~あ、早く王都に着かないかなぁ」


 やっと辿り着いたこのブルーティオの町でさえ、王が統べる都には指先さえ届かない。一体いつになったら騎士になれるのか。

 このまま悪戯に時間を浪費して、王の前に跪く頃には師匠みたいなヨボヨボのじいさんになってたりして……?


「ヤルン。何か言ったかの?」

「いいっ、言ってません言ってません! それ被害妄想ですからーっ!」


 だから時々モノローグを読むのやめろ! つか、いつの間に目の前に!?



 そんな俺の焦燥感を察したわけじゃないだろうが、ブルーティオの領主からはとんでもない話を持ちかけられた。


 領主は三十代後半くらいの男性で、黒々とした立派な髭が印象的だった。貴族ってものは、凝った装飾のゆったりした服を着るのがお決まりなのか、顔で判別するのが一番だと最近学んだ。

 はっきり言って、皆同じに見えるのだ。いや、だからってオッサンを並べられてクイズなんて出されても困るが。


「こんな時にお越しくださるとはまさに天の助け。どうか、この町をお救い下さい」

「それは、どういうことでしょうかな?」


 大広間というだけあって俺達が全員入れる大きなその部屋には、奥に簡易机があり、中央には数人がけのソファとテーブルが配置されていた。師匠達がそこへ座り、兵士は壁際に立って話を聞いている。

 小さな村や町では別室で待機するのだけれど、大きな部屋があれば一緒に通されることもあるのだ。


「はい。……これを」


 領主は、すぐに決意を漲らせた顔で一枚の紙をテーブルに置いた。ココが持ち歩く地図よりずっと小さな、あちこちに変な折り目の付いた紙切れだ。


「拝見します」


 師範が受け取って目を通すと、さっと顔色を変える。普段は感情があまり表情に出ない人だけあって、その反応に俺達もたじろいだ。

 紙を師匠に渡すと、いつのことかと訊ねた。内容に予想でもしていたのか、師匠は一切表情には出さなかった。


「実は、数年前からずっと……。我が町の兵だけでは防ぎきれず、毎年損害を出しています。王都へ応援も要請したのですが、返事も芳しくなく……」


 一体なんなのだろう? 物騒な話をしていないか?

 俺達は互いに目配せをしあった。許しがあるまで喋ってはいけないと分かっていても、焦らされているようで苛々する。

 すると、師匠がこちらに気付いて溜息を付いた。


「連れの者達に話してもよろしいでしょうかな? 放っておくと、爆発しそうなのがおりましてのう」


 俺かよ! って、前科持ちだったっけか。うぐぐ。

 同期の人間が吹き飛ばされた記憶を、未だ鮮明に脳裏に焼き付けているらしい奴等が、師匠の言葉にぎょっとして身を反らした。


 いや、だからお前ら、ちっとは信用しろってば! キーマはジト目を向けるんじゃないっ! ココもそんな心配そうな顔しないの!!

 領主は申し出を快諾し、ややボリュームを上げた声で言った。


「今夜、盗賊団が町を襲います。どうか皆さんも手をお貸し下さい」

「とっ、盗賊団!?」


 思わず驚きが口から飛び出る。俺の叫びにつられ、周りからもザワザワと不安が溢れ出した。皆、目を彷徨わせている。


「これ、騒ぐでない」


 師匠の制止でぴたりとざわめきが収まると同時に、全員が慌てて気を引き締め、背筋を伸ばした。そう、今は公務中だ。姿勢と冷静さを乱してはならない。

 領主はその様に満足したようだった。


「おお、素晴らしい規律意識をお持ちだ。さすがはあのオルティリト師の弟子達ですな」


 え、褒めるのそっち? 師匠って本当に有名人なんだな。


「いやいや、まだ兵になりたてのヒヨッコ。実戦経験もない子どもばかりでして。お役に立てるかははなはだ……」


 悔しいが、事実だった。戦争はおろか、まだその辺のチンピラとだってやりあったことはない。故郷は長閑のどかを絵に描いたような土地だったし、見張りと称してぼーっとしているのが主な仕事だった。


 実力を試す場といえば他領の兵との演習くらいで、それだってなんとか付いて行っているレベル。ココでなくとも、自分は成長しているのかと首を傾げたくなってしまうだろう。


「討伐は我が兵で行います。皆さんには建物や住民に被害が及ばないように、守りを固めて頂きたいのです」


 どうやら盗賊団はかなりの人数にのぼるらしい。この町だってそれなりの軍備があるだろうに、修行中の身である俺達にまで協力を要請するくらいだ。余程切羽詰っているのだろう。


「では、攻めるおつもりなのですね?」


 師範の低い響きに領主がしっかりと頷く。


「えぇ。民も、降りかかる火の粉を払うだけでは、いつまでも平和は得られないとを思い知っています。王都からの応援を待つのも、そろそろ限界なのです」


 物が奪われ、家族が傷つけられる惨劇に何度も見舞われれば、町の人達も安心して暮らすことなど出来ない。余所へ人々が逃げてしまえば、町は加速度的に衰退する。

 それでも残って頑張っている人達も、不満は領主へと募らせていく。この地を治める彼には、民を守る義務があるのだから。

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