第6話 王族の視察①
はっはっと規則正しく呼吸しながら、腕を振る。この手に掴んでいるのは本ではなくて剣だ。きらりと光る刀身が、暮れゆく夕日を照り返している。
「よくやるなぁ」
今日も一日訓練でくたくたになったキーマが、タオルを肩にかけた格好で声をかけてきた。
「風呂に入らない? もう汗でべとべとだよ」
「あとでっ、いいっ。先に、行ってろ」
俺はかれこれ数十分、この動作を繰り返していた。それも今日だけじゃなく、ここのところ毎日だ。呆れたといわんばかりに、キーマは溜息を零した。
「入浴時間は限られてるんだし、晩飯の時間もすぐだよ」
「あー、そっか。忘れてた」
冷静な指摘に、我に返ってふぅと息をついた。すると、今しがたまで忘れていた重みがずしりと響く。
「やっぱり剣はいいよなぁ」
この吸い付くような感触は、本では味わえない感覚だ。キーマに差し出すと、手馴れた様子で鞘におさめた。奥まで入れると、キン、と小さく音を立てる。そう、剣はこいつからの借り物だ。
「見習い御用達の安物だけど」
「それでも十分羨ましいっつの」
俺は口を尖らせ、互いに笑い合う。
ひょんなことから魔導兵に配属されてしまったが、騎士になる夢を諦めたわけじゃない。訓練後はこうしてキーマに剣を借りて、扱いを学んでいるのだ。
「着替え、これでいいんだよね?」
キーマは最初から一緒に風呂へ行くつもりだったのか、下着やタオルなんかの入浴必需品一式を掲げて見せた。男同士での相部屋なら、互いの荷物の場所くらいはすぐに覚えてしまうからな。
「おっ、気が利くゥ」
ふと、風呂場へ向かいながら、足元が暗くなったことに気付いた。俺はポケットから魔導書を取り出し、小さく呪文を唱えて明かりを灯す。
よし、光量の調節も完璧だ。これくらいの芸当は簡単に出来るようになった。
「それ便利だよねー」
「だろ? さすが俺。かっこよ過ぎ」
「それは言い過ぎ」
「そこはヨイショするところだろー」
クレームをするりと聞き流し、キーマは思い出したように「そういえばさ」と言った。
「今度、第二王子が視察に来るらしいんだって」
「こんなところに?」
スウェルは隣国との境に作られた防衛のための町だ。大事な役目を担ってはいるが、要するに国の中心からは遠い田舎である。
「王族が見に来るような珍しいものなんて無くねぇ?」
国は軍事と芸術に力を入れているけれど、長いこと大きな戦もないし、どちらも辺境より王都が勝るに決まっている。
「理由は知らない。上が話しているのを仲間がたまたま聞いて、皆その話題で持ちきりだよ」
「さすが情報通」
キーマは何も興味がないように見えて、実は交友関係が広かったりする。積極的に他人と関わるのを面倒がる俺に、こうしてよく噂話を披露してくれるのだ。
「って、ヤルンてば何ニヤけてんの?」
「だってさ、とにかく王族が来るのは本当なんだろ? だったら、引き抜きとかあるかもしれないだろー!」
正直、根っから庶民の俺には「王子の視察」なんてピンと来ない。でも、国の偉い人間が、素晴らしい技を持った者に目をとめて、王城へ招いたという話なら聞いたことがあった。
「もしかしたらさっ、王族お抱えの騎士になれるかもしれないぜ!?」
「妄想が爆発してるね……」
全くないとは言えないじゃないか。そう考えるだけで、我慢できなくなって飛び跳ねたくなる。そんな俺に、あくまでリアリストなキーマが鋭い突っ込みを入れてきた。
「見習いは技を披露する機会がそもそもなさそうだし。あっても恥を晒すだけだよ」
騎士団を擁する王族の目は肥えているだろうから、多少の努力では引き抜きなど夢のまた夢だと。
「まぁ、またいつかチャンスは巡ってくるって。今回はパスだね」
「なにーっ!?」
冷た過ぎる物言いに、俺は張り裂けんばかりに叫んで拳を握り締めた。
「そんなの、やってみなきゃ分からないだろ! 最初っから決め付けんなっ」
怒りで制御を失った魔力の光が、完全に暮れてしまった夜闇に溶ける。遠くから誰かの「おーい新入り、うるさいぞ! 何を騒いでるんだ」という怒声が聞こえてきたけれど、俺達の耳は完全に拒絶した。
普通の男同士なら、ここで喧嘩になるだろう。ワァワァ怒鳴りあって、殴る蹴るの乱闘に発展してもおかしくはない。
でも、キーマの反応は違った。
「じゃあ、やってみれば?」
「へっ?」
あっけらかんと言う。しかも売り言葉でも嘲笑でもなく、本心からだと分かる。
「自分はパスだけど、ヤルンはヤルンの好きにすれば良いんじゃない?」
「お、おぅ」
よく言えば一歩引いた大人の考え、悪く言えば暴走する友人を放置する無責任野郎。出会って間もないのに、すでに俺の相棒となりつつあるこの男は、そう言うなりくるりと背を向けた。
「それより、風呂入ろー」
タオルをぱたぱたと振って歩きだした。
キーマ、正体不明の男である。
結論から言うと、王族の視察は事実だった。キーマから噂を聞いた翌日、見習い魔術士を前に師匠がそのことを説明してくれた。知らなかった者は湧き立ち、知っていた者も緊張と興奮を隠せない。
「師匠!」
俺は思いきって「引き抜きは有り得るのか」と質問をぶつけてみた。あとでココが「詰め寄り方が尋常じゃなくて怖かったです……」と言っていたけれど、その時の俺自身は知る由もない。
「そうじゃのう」
師匠はふさふさと生えた白い髭を撫でながら一息の間考え、「無くはない」と言った。
「本当スかっ、見習いでもっ?」
「時に、術を操り始めたばかりでも、優れた才能の片鱗を見せる者はおるからのう」
おおうっ、ここにいるっ、どうしようもなくここにいちゃうぜー!
しかし、こうして内心で大盛り上がりをしていた俺に、師匠の次の言葉が待ったをかけた。
「じゃがな」
「へ?」
「皆もそう浮き足立つでない。今回の視察は軍備についでではない」
「へっ!?」
その続きを聞きたくは無かった。
「城の環境と町の景観を見にいらっしゃるのだ。この城はその昔、優れた建築家が設計したものでな。軍事面はもとより、芸術を重んずる我が国において歴史的にも重要な……」
その後も師匠は何事か口を動かしていたが、俺の頭は一切の理解を放棄していた。
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