第5話 正しき惰眠・後編
「では、……お主、横になるのじゃ」
「えっ」
指名されたのは数少ない女子の一人であるココだった。彼女は突然の指名にびっくりして目をぱちくりさせている。
「あ、あの、ここに、ですか?」
見習いの仕事の一つに「雑草抜き」という作業がある。演習場も例外なく綺麗に草が抜かれているものの、はっきり言って野ざらし状態だ。いきなり「横になれ」と言われれば躊躇うだろう。
それに、今日は説明がまだだ。何が行われるのかも分からずに寝転がるのは怖いはずだ。
「おお、そうじゃった。女性には失礼な話だったな。では」
師匠は口の中で何事かをモゴモゴと呟き、手をさっと開く。すると、赤い布が地面に広がった。
おおっと小さく歓声が上がる。まだ習っていない言葉ばかりだったから、きっと高等な術だ。効果がこれだとちょっとショボい気もするけれど。
「ヤルン、今、しょうもないと思ったじゃろう」
「いっ!? お、思ってません思ってません」
前から薄々感じていた通り、やっぱりこのじいさんには読心術の心得があるに違いない。一時も気が抜けやしないぞ。
「これでどうかのう」
「は、はい……」
多少は安心したのか、はたまた覚悟を決めたのか、ココは命じられるまま寝そべり真っ直ぐの姿勢を取った。やはりとても緊張しているようだ。
「……」
横になった女の子を上から見下ろす機会なんて、なかなかあるものじゃない。直視するのが躊躇われるような、妙な気分になってしまったのは俺だけじゃないだろう。
「あのっ。これから何を始めるんですか?」
とうとう見習いのうちの一人が我慢しきれずに質問した。でないと、この異様な光景に耐えられなかったのだと思う。
まさかジジイ……、なんて勘繰っても仕方ない構図だよな……。
「お主ら、変なことを考えておるのではあるまいな?」
ぎくっと肩を震わせたのは、ココも含めた全員だった。彼女の方は青ざめた顔を見るに、直接的な恐怖心がわきあがってきたのかもしれない。
そんな不安を吹き飛ばすように、師匠は「ほっほっほ」と明るく笑った。
「なぁに、気絶した者を起こす術の実地訓練じゃよ。口で言うより見せた方が早いからのう」
なぁんだ。自然に誰かの口から零れた安堵の呟きは、俺達の気持ちそのものだ。
「今日はまさか殴って気絶させるわけにもいかんから、まず眠らせる術をかけ、それから起こすぞ」
「……その役目、なぜ私なのでしょう?」
ココはやや恨めしそうな目付きで師匠に問いかけた。確かに、幾ら魔導士が少ないからって、彼女が選ばれたのが無作為じゃないことは誰にでも想像が付く。事情があるなら、きちんと説明して貰いたい。
「女子の方が、気合が入るからじゃ」
『ぅをい!』
思わず全員で、全力でツッコんでしまった。なんというセクハラ! じいさん、やはりただのエロジジィ疑惑――!
「ほっほ。皆、そうは言うがの。結構大事なことなんじゃよ? 術の成功は集中力にかかっておる。女性を助けるのは、誰でも力が入るものじゃろうて」
もっともらしい理由で煙に巻かれている気もするが、反論する材料もなかったので俺達は口を出せなかった。ヤローの救助より気持ち的に盛り上がるのは本当だし。
師匠は沈黙を肯定と捉え、「では始めよう」と呪文を紡いだ。
短い言霊で、すっとココの目蓋と意識が落ちていくのが分かった。素直に、マジで凄ぇと思う。
「これからやってみせるからの。あとは二人一組になって練習せい。魔導士は前線より後方支援が圧倒的に多い。これはその初歩の初歩じゃ。覚えておかねば、この先付いて来られぬぞ」
この一言が、負けず嫌いの俺に火をつけた。
悪戦苦闘しながらもなんとか術を会得した俺は、それ以来キーマとの関係もすっかり修復することが出来た。
「よーし。今日も一丁、起こしてやるか」
寝巻の袖を捲り、机に置いた本を手に取る。ふと、この本の角で殴るというスバラシイ案も思いついたけれど、やめておいた。俺は優しい男だからな。
覚えたばかりの項目を探してページを繰る。そこには真っ黒になるほどにペンで書き込まれた術の理論や、実際に扱うための方法が記されている。
『退け』
でこぼことした筆圧の感触を確かめるように呪文をなぞり、一つ一つ、発音の難しい古い言葉を確実に紡いでいった。
『眠りに誘う精よ。彼の者をその呪縛から解き放て――』
初歩の初歩であるだけに、呪文はたったこれだけだ。ただ、込める魔力の量を誤ると思わぬ事態を引き起こすので、決して気楽な術ではない。
訓練の時にも色々あった。弱過ぎると目覚めないし、逆に強過ぎると――この話は止めよう。あれは悪夢だった。もちろん、今の俺はそんなヘマはしない。
「ふぁああ……。あれ、おはよー、ヤルン」
「おう」
あのキーマがあっさり起き上がり、呑気に伸びなんてしている。これで毎朝すったもんだしなくて済むし、遅刻もナシだ。
まぁ、魔術ってのも捨てたもんじゃないかもな。
「見ろ、俺の術は完璧だぜ?」
「ん。こんなに快適な朝はないね」
けどさ、とキーマは続けた。これだけしてやっているのに、まだ不満があるのか?
「ヤルンて、騎士になりたかったんじゃあ。……これで良いの?」
……あ。
「しまったぁああぁ! つい徹夜で何日も練習しちまったーーー!?」
俺の叫びが宿舎中に木霊し、兵士達をすべからく眠りから解き放ったのだった。
《終》
◇頭は悪くないのですが、思い立ったら一直線なせいで行動がおバカなヤルン。
気付いていても、面白いから暫く放置するキーマ。でも、彼もなかなかの天然です。
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