第4話 分厚い魔導書・後編

 そんな、だとか、あんまりだ、とかいう小さな悲鳴が上がる。気持ちは分かる。たった一冊の本のせいで、大事なものを失くしてしまうのだから。でも俺は、変な気分だった。


「魔導士にとって魔力は『命』にも代えがたい。ゆめゆめ、忘れるな」


 望まない道に無理矢理進まされ、運命が決められようとしている。その象徴がこの魔導書だ。いっそ燃やしてしまえ、と心がささやく。

 コレがなくなれば、魔導士になんてならずに済む。そうすれば念願の剣士になれるかもしれないのだ。


「こんな重いもの、いつも持っていないといけないのかな……」


 ココが不安げに呟くのが聞こえた。まさか、それを拾ったわけでもないだろうが、じいさんは殊更明るい口調になった。


「なに、案ずるでない。すぐに物質を小さくしたり重さを操作する術を教えるつもりじゃからの。それまでの辛抱じゃて」


 皆同じ不安を抱いていたのだろう。あちらこちらから安堵の溜息が漏れる。


「よかったぁ。安心しましたね、ヤルンさん」

「ん? あ、そーだな」


 口元を綻ばせるココに生返事をしながら、俺はまだ暗い考えを鬱々と巡らせていた。折角得た機会を失うという勿体ない気持ちや良心と、本音とが脳内でせめぎ合い、ぐるぐると回る。


 俺は昔から直情型で、深い思考ってやつが苦手だった。スパッと決められない問題に直面して、段々気分が悪くなってきた。そんな悪循環を断ち切ったのは、またもやじいさんの声だった。


「そうそう、言い忘れておったわい。事故の場合は魔力が失われるだけじゃが、もし自ら書を破壊するようなことがあれば……」


 考えを読まれたのかと思って心臓が跳ねる。魔導書から目を上げると、じいさんは目を細めて全員を見回していた。ごくりと唾をのむ。


「契約破棄の対価として、魔導書から自分自身の魔力が溢れ出し、術者を焼き尽くす。その炎は魔力が強ければ強いほど激しいと聞く。この間皆が飲んだ薬など、甘い飴玉だと思えるくらいにな」

「はあぁあぁあ!? マジかよ、もう名前書いちまったのにィー!?」


 ここがどこだかも忘れて、俺は天に向かって絶叫した。



 俺とキーマの部屋の前を、誰かが横切る気配がする。壁が薄いから、彼らの会話も悲しいくらいに丸聞こえだ。


「おっ。なぁなぁ、この部屋のヤツだろ」

「そうそう! ありえないくらい魔導書を大事にしてるっていう……」

「毎日磨いてるんだろ? ちょっと異常だよな」

「あんま近寄らない方がいいぜ」


 靴音共に去ってしまったのか、あとは言葉の輪郭がぼやけて消えた。でも、どんな噂をしているのかは十分解ってしまった。


「くそっ、こっちの気も知らないで適当なこと言いやがって!」


 あの説明会以来、俺は本が一時も手放せなくなった。寝る時はもちろん、食事も風呂もトイレも常に、だ。キーマが剣の刃の手入れをしながら言う。


「言わせておきなって。あんなの、とり合っても損するだけだよ」

「そりゃ、分かってるけどさ」


 魔導書を大事にする理由。それはもちろん、魔導師オルティリトの発した警告が心底恐ろしいからだった。


「契約破棄の代償だっけ? ヤルンは目的のためなら、そういうこと気にしないタイプっぽいのに。意外だなぁ」

「お前はあの痛みを知らないから、そんなこと言えるんだよ。……あの検査、ほんとに何も感じなかったのか?」


 キーマはきょとんとした顔で数秒遠い目をした。が、それもすぐに結論が出たらしい。


「全然。ただの水だったよ」

「だー! くっそ、マジ差別!」


 それにしても、魔力を測る薬でさえあんなに苦しかったのに、それが「甘い飴玉だと思えるくらい」激しい痛みなんて、考えるだけでも恐ろしい。

 もし本当なら、まだ十数年しか経っていない俺の人生も呆気なく終わりである。


「つうか変じゃね? 俺はただの商人の息子なのに、なんでこんなに魔力があるんだよ。実験ミスじゃねぇのか!?」

「そう思うならもう一度検査して貰ったら?」

「お前は俺を殺す気かッ!」


 一体、日常のどの行為が「事故」で、何をすれば「故意」と見做みなされるのか。

 判断が付かないうちは、とにかく魔導書を全身全霊で守り続けるしかなかった。それが周囲にどう映るのか、そこまでは考えが回らなかった。また誰かが部屋の前を通り過ぎる。


「おい、ここだぜ」

「あー知ってる! あいつだろ? どんだけ魔導士になりたいんだっての」


 そう、気が付くと俺は「超が付く魔術オタク」というレッテルを貼られていたのだ。半分くらいは、守備系や防護系の魔術を尋常じゃない気合で習得していたせいもあると思うが。


「ヤルン?」

「分かってるって」


 噂など一時のものだ。放っておけば、そのうち消えるだろう。表立ってちょっかいかけてくるのでもない限りは、気にする方が馬鹿なのだ。


「腹立つのは、本来の目標からどんどん遠ざかってる気がするってこと! いや、確実に遠ざかってるだろ!?」

「あ、あはは」

「笑って誤魔化すなっ」


 俺が反射的に掴んで投げた枕は、見事にキーマの顔面に命中した。


《終》


 ◇ヤルンの夢にブレはありませんが、周りから見た彼は完全に見習い魔導士です。

 ちなみに当作品では見習いを「魔導士」、一人前のマスターを「魔導師」と使い分けています。そのうち文章内でも説明が入る予定です。

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