第4話 分厚い魔導書・前編

 適性検査で魔力を持っていることが判明したせいで、希望していた剣士ではなく魔導士として軍に配属されてしまった俺は、しばらくそのショックから立ち直れずにいた。

 人生計画がスタートから頓挫とんざしたのだ。心は完全に脱け殻状態で、正直そっとしておいて欲しかったが、恨めしいことに訓練は開始されるのだった。



「なんだこれ」


 部屋を訪れた兵士に手渡された、見習い用の装備を見て、俺は呟いた。安っぽい布の服とマントは分かる。あのじいさんが着ていた、いかにも魔法使いって雰囲気の衣装だ。


「重……っ」


 分からないのは、大きくて分厚い本の方だった。重みもかなりあって、両手で抱える必要があるずっしり感だ。くすんだ赤っぽい色の表紙には見たこともない模様が描かれている。


 俺達見習いはすでに宿舎内二階の狭い部屋に二人ずつで詰め込まれていた。

 ちなみに俺の同居人は試験の時に話しかけてきた軽い男――キーマだった。面白い偶然もあるものだ。それも、剣士とは皮肉が過ぎる。


 途方に暮れる俺を尻目に、しっかりと剣を支給されているところを見ると、血が煮えたぎる思いがした。おのれー! 俺も絶対そっちにいってやるからなー!


「えぇと? 剣士と魔導士が共通して行うのは基礎訓練と講義と食事、あとはここでの寝泊りか」


 心の中で幾ら叫んでいても現実は変わらない。仕方なく、ベッドと机とクローゼットしかない簡素な部屋の壁に貼られた日程表を眺め、今後の確認をする。


「他の時間は別々に専門的な分野を訓練するみたいだね」


 かなりの時間、キーマとは共に行動することになるようだ。しかし、今日はいきなり別行動だった。頭を冷やすのにちょうどいいと前向きに捉えよう。

 俺は服を着て本を携え、ルームメイトと別れて指示された講堂へと入った。くるりと見回すも、検査の時に使ったのと大差ない部屋である。


 ぞろぞろと同じ服装の奴がいる中、適当に空いている席を見つけて座った。ただし、魔導士になるには素養が必要だからか、全体数よりぐっと少ない印象である。

 そうして持ってきた本を机に置き、そういえばまだ開いていなかったなと、捲ろうとした時だった。


「うっ」

「おい、大丈夫か?」


 横を通りかかった人影がよろけるのに気付いて、思わず支えてやったら、それはなんと女の子だった。


「あ、ありがとうございます。この本、とっても重いですね」


 肩まで伸びた青い髪を揺らしてぺこりと頭を下げつつ、本を両手で必死に抱えている。小柄だから、余計に本がデカく見えた。


「だよなー。っていうか俺達同期だろ? 敬語なんていらねーよ」

「え? で、でも……初対面ですし。この方が話しやすいので」


 どうやら人見知りするタイプらしい。上目遣いに問いかけてくるのがちょっと可愛いと思った。


「別に全然構わないのに。俺はヤルン、よろしくな」

「わ、私はココ、です。よろしくお願いします、ヤルンさん」


 ココと名乗った少女は、俺が差し出した手を恐る恐る握り返して、ふわりと微笑んだ。こんなに白くて細くて柔らかい手に触れるのは初めてでびっくりしたが、なんとか顔に出さずに済んだだろうか?


 まぁ別に、タメ口を無理強いするつもりはない。でも、これまで「さん」付けで呼ばれたことなんてなかったから背中が痒い。うぅ、慣れるまでは我慢か。そんなことを考えていて、ふと別のことが頭を過った。


 ここにやってくるのは魔導兵見習いだけだ。そして女子には兵役の義務はない。となれば自分から志願したことになる。

 けれども、本の重みにも苦労しているようではお世辞にも兵士に向いているようには見えなかった。余程の訳があるだろうか。


「あのさ、どうして――」

「皆、揃っておるかの?」


 理由を聞く前に、疑問は老いた声に遮られた。そちらを向くまでもなく、俺を魔導士なんかにしやがった張本人だ。

 ざわついていた室内がさぁっと静まり、立ち話をしていた連中もそれぞれ席に着く。訓練初日で皆緊張しているのがピリピリと肌に伝わってきた。


「さて、やはり初々しいのう」


 ほっほっほ、と選定の時と同じ調子で笑い、じいさんは服について話し始めた。支給されたコレはどうやらただの地味な服ではないらしい。

 どんな効果があるのだろうと思って眺め回していると、「見習いが術に失敗しても穴が開かないように頑丈に出来ているんじゃ」なんて冗談めかして言った。ほんと、腹の立つじいさんだぜ。


「冗談はさておき、本題に入るとしよう。皆、一人一冊本を渡されたな? もう開いてみた者もおるじゃろう」


 じいさんが言い終わる前にあちこちでパタパタ音がする。俺も改めて頁を捲ってみる。隣でココも開いているのが見えた。


「そうくでない。まだ何も記されてはおらぬぞ」


 その通りだった。どこを開いてみても白紙で、一字たりとも書かれてはいない。静かなざわめきが講堂に広がった。


「当たり前じゃ。これからおぬし達自身で記していくのじゃから」


 はぁ? マジかよ。この分厚い本を全て手書きで埋めろってのか? 皆同じことを想像したのだろう、あちこちから溜め息交じりの似たり寄ったりな愚痴が聞こえてくる。


「そんなに落ち込むことはない。別に見習いのうちに使い切れ、なんぞと言うたりはせんわい。それはな、魔導士が一生かかって記していく『魔導書』なのじゃよ」


 再び室内が静まり返った。俺達の何倍もの時間を生きてきたはずのじいさんが口にすると、「一生」という言葉が妙にずしりと胸に落ち込んだ。


「それを証拠に、わしもまだ書ききれてはおらぬ」


 どんだけだ! と思わず叫びそうになった言葉を飲み込む。何人か立ち上がりかけた奴、あいつらはきっと俺と同じ熱いツッコミ魂を持っているに違いない。


「魔導書に書いたことを術者が真に理解した時、その術を会得するのじゃよ」


 なんだそれ、意味不明だ。ぽかーんとしていると、まずは裏表紙を捲るよう指示された。そこにもまだ何も書かれてはいない。


「下へ名前を書くように。ふざけず、きちんとな。それは魔導書との契約じゃからの」


 契約、なんて重たい言葉に一同は固まった。このじじい、どこまでが冗談でどこからが本気なのか、ちっとも悟らせない。

 机に据え置かれたペンを手に取って言われるがまま、名前を記す。重低音が耳に響いた。


「くれぐれも失くすでないぞ。特に防護の術を会得するまでは扱いに気を付けよ。燃えたりすれば、お主らは魔力を失うことになる」

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