第3話 劣等感の解決法?
ここは隣国との国境沿いに作られた町・スウェル。関所としての役割を果たすべく作られた城の一角に、兵士が寝起きする宿舎がある。
時刻は真夜中。聞こえるのは虫の音と、時折巡回する兵の足音くらいだ。その静寂の中、宿舎の一階に設けられた食堂の隅で、ぐつぐつと煮えたぎる鍋を前に、俺は目をギラギラさせていた。
熱気と共に鼻を突く異臭。赤や青や灰に変化する、表現するのもおぞましい色。ぼこりと膨らんでは不気味な音を立てて弾ける泡。
当然、食事の支度ではない。というか、普通の人間ならとても食べられるシロモノじゃないと思うだろう。
「ヤルン、本気?」
後ろでキーマが信じられないといった声を出した。くぐもっているのは臭いに耐えかねて鼻と口元を押さえているからだ。
「ここまできて諦めると思うか?」
「そりゃ……思わないけどさ」
肩を竦めているのが見なくても分かる。どこか気怠げな、この友人のいつもの癖だ。
「でも、本当に出来るわけ? その、筋肉断裂剤、だっけ」
「ばっ、馬鹿野郎! 断裂してどーすんだよっ。筋肉増強薬だよ、ぞ・う・きょ・う・や・く!」
恐ろしい間違いに、思わず振り返って唾を飛ばす勢いで訂正する。キーマはさして興味もなさそうに「あぁ、それそれ」と言いながら顔を背けた。コイツ、絶対わざと間違えたろ。
「ほら、目を離すとまずいんじゃないの? 前向いて」
「言われなくても分かってる!」
改めて手元の本に目を落とす。背表紙はとうに陽に焼けてしまって読めないし、ところどころページが千切れてはいるけれども、肝心の部分はしっかりと残っていた。
『筋肉を1.5倍に増やす薬』
師匠に書庫へ行ってこいと命令された時に、読めない表紙に惹かれて何気なく引っ張り出した本がこれだった。目次をめくってタイトルを確認した時の衝撃は忘れようがない。
『これだ! これさえ飲めば俺もムキムキに……!!』
「せっかくこっそり本を持ち出して材料も集めたんだ。ここでやめられるかよ」
二晩読み込んだ俺は早速材料集めに乗り出した。野菜の切れ端やら飴玉なんかは、割と簡単に集める事が出来た。悪ガキだった俺には昆虫の捕獲もお手の物だ。
特に難しかったのは「魔法の粉」である。調べてみると様々な魔術の儀式で使われる白い粉だということは解ったが、見習いの手に入るものじゃない。
じゃあどうするか。考えを巡らせ、とある用事で師匠の部屋に入った時に見かけたことを思い出した。埃っぽい棚に、白い何かが入った小瓶が数個、確かに並んでいたのだ。
きっとあれに違いない。そう思ったら我慢出来るはずもない。くすねたことがバレたらどんな罰を受けるか知れないという、久しぶりに味わったスリル満点の瞬間だった。
「不良~」
キーマが茶化してくる。薬を作っている間の見張りが必要だったから、こいつにだけは事情を話して手伝いを頼んだけれど、ちょっかいを出してくるのが
「頼むから黙っててくれよ。お前にも少し分けてやるから」
「固くお断りします」
「ちぇ、なんだよ。二枚目気取りかよ」
「いや違うし」
詳しく聞いたことはないが、その立ち居振る舞いから良い家柄の出身らしいと察せられるキーマは、訓練時用の甲冑を脱ぐと細身が目立つ。二人並べば俺の方がよっぽど筋肉質に見えるだろう。
だから最初は「なんでこんなヤツが剣士で、俺が魔導士なんだよ」とふて腐れもした。もっとも、それも一緒の部屋で着替えるまでだったが。
『厭味だろ、それ』
『何が?』
『……腹筋』
キーマが細いのは軟弱なのではなくて、鍛え上げられているからだ。どうやら両親が厳しい人達で、チビの頃から色々やらされたらしい。
町で子どもっぽく遊び回っていただけの人間とは差が付いて当たり前だ。
「ちくしょー! 俺もマッチョになってやるー!」
言いながら全力で鍋をお玉でかき混ぜる。すでに鼻は利かなくなっていて、色はこの世のものとは思えないえげつなさに変化しつつあった。
「よし、ここで呪文を唱えてだな……」
「それって見習いに扱える呪文?」
本を見つつ何度も練習した呪文を、淀みなく唱え始めた俺に、不安そうにキーマが聞いてきた。確かに魔術に関しては習い始めて間もないし、まだ大した術も使えない。でも。
「言葉さえ分かれば大丈夫だ。……多分な!」
「怖ッ」
顔を引きつらせる友人に、親指を立ててみせてからブツブツと詠唱を再開する。魔導士だけが使う――読めるが意味は知らない――古代語が場を満たし、鍋の中身は淡く光を放ち始めた。
使い慣れた現代語と違って、習い始めたばかりの古代語は発音が難しくて舌がもつれそうになる。もし噛んだりしたら一大事だ。術が完成しないどころか、失敗で大爆発! なんてこともあり得る。
「……」
何度も練習した通りに、慎重に呪を紡ぐ。……半ばを過ぎた。
キーマがごくりと唾を飲み込む音がする。……あと少し、あと少し。
興奮が高まり、自分の頬が熱くなって、瞬きを忘れた瞳が鍋の蒸気に晒され痛むのを感じる。……よし、これで最後!
区切りの一語を叫んだ瞬間、カッと眩しい閃光に目蓋をやられ、意識が白く塗り込められた。
「馬っ鹿もんがーー!!」
ドカーン! と鼓膜から雷みたいな振動が全身に伝わって、体の芯を震わせる。
『す、すみません……』
教官室の隣の指導室で、俺達は二人並んで立たされ、深く深く項垂れていた。
あの後、音と光に気付いた誰かが食堂に飛び込み、気絶した俺達を発見したらしい。扉を開けた途端、漏れだした激臭で数人が医務室に運ばれたようだが、命に別状はないとのことだった。
「大したことがなかったから良かったものの、もしものことがあったらどうするつもりだったのじゃ!」
「う」
俺を魔導士にした張本人――オルティリト師匠は、血管が破裂しそうなほど顔を真っ赤に染めて怒鳴った。いつもの静かなクドクドネチネチした叱り方とは違うのが余計にコワい。
それでも怒声を浴びせて多少は気が済んだのか、静かに深呼吸し、こほんと咳払いをした。
「お主、背表紙を見なかったのか?」
「……見てません」
正確には日に焼けて読めなかった。でも、中を開いて題を確かめたのだから、問題ないよな? そう思っても、ここで反論する気にはなれない。
「はぁ。もっと早く教えておくべきだったのう」
師匠は溜め息をつき、本の背に手をかざして二言三言呟く。魔術だ。魔力が動いて術が完成した時の、かちりと嵌る感覚がしたから間違いない。
すると、真っ白になってしまっていたそこから、文字が黒々と浮き出てきた。
「『失われた言葉を取り戻す呪文』ですか?」
まだ教わってはいなかったけれど、術の存在は見習い仲間から聞いたことがあった。水に流れてしまった手紙の文字を復活させたり、暗号のやり取りなどに使われるものだ。
師匠は「そんなことはどうでもよい」と言って、俺達に浮かび上がった文字を見せ付けた。
「まったく、こんなものを真に受けおって。未熟者共が」
『げっ』
そこには、はっきりと『試作魔術メモ』と書かれていて、二人揃って絶句するしかなかった。
《終》
◇今回は反省しましたが、ヤルンはいつもこんな子です。きっとこの世界にプロテインがあったら死ぬほど飲んでると思います。
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