第18話突然にさよなら

 一息ついた後、ミリンダさんから声をかけられる。

「お金はこれで足りますでしょうか?」だそうだ。今日の売上金が箱の中でカチャカチャと音をたてている。


 話を聞いてみると僕が『画家』と明言していたのが良くなかったようで、どうやら昨日の夜に制作したチラシに対して料金が発生していると思われたらしい。

そんなものをノアが文字で汚したのだから大変だ。本人は内心パニックだっただろう。説明を聞いて思わず笑ってしまった。


顔の前で仰ぐように手首を振りながら「いりません」と言ってやった。

が、「え、でも……。」と呟きながら引かなかった。本人がいらないと言っているのだからそれでいいじゃないかと思うがその真面目さが彼女なのだとこの数日でわからされている。


「今回、僕は店員でした。だからそれには料金は発生しません。『画家』ではなく『店員』としての働きです。だからいりません。」

「え、でもそれなら」


『その分の働きも考慮するべき』と言いたいのだろうがそんなことは言わせない。

こちらも半ば引き下がれない、不思議と意地があった。意地でも払わせない。

言葉を重ねるように続けた。


「飲食の代金、宿代、朝夜の食事代、ノアさんの村案内料、絵のモデル……。わぁ、いっぱいある。これじゃあ代金は残りません。」

「えっと……はい。」


 これで素直に応じてくれる。様子を見るに少し納得していない部分もあるようだが真面目な分、多少おかしくても筋が通っているなら反論もできないようで、考え込みながら黙ってしまう姿はとても彼女らしくて微笑ましい。


 「では、僕はそろそろ行きます。食事もろもろの代金も払い終われたようなので。ありがとうございました。」


それを聞いた二人は驚いたようで目を丸く見開いたのがこちらからでもわかるくらいだった。


「え?どこに行っちゃうの?」


 突然のこと過ぎて何を言われたのかわからなかったのだろうノアはそう言った。

たったの数日だったのによくもここまで懐かれてしまったものだ。時間をかけ、言葉の意味がわかってくると表情は寂しそうなものに変わっていく。


「せめて、明日の朝まで泊っていかれては?今日はもう半分すぎていますし、すぐ暗くなると思いますよ?」


ミリンダさんはそんな魅力的な提案をしてくる。僕は首を振った。


「せっかくですけど、もう行きます。ここは居心地が良すぎるので」


 気を遣ったわけではなく紛れもない本心でそう言った。

村の人はみんなが知り合いで、優しく、助け合って暮らしているそんなことがここ数日暮らしていてわかった。

 僕がここで暮らし始めても、平穏に不自由なく暮らすことは想像に難くなく、しかし、だからこそここに居てはいけない。


僕は旅人でありたい。


「わかりました。でもせめて、お弁当は持って行ってください。」

「はい?」


今度はこちらが驚いてしまった。脈絡も何もない、突然の提案だったからだ。


「あなたが来なければ今日の結果は得られなかったと思います。明日もその次も、一昨日のような日々が続いていたかもしれません。だから、そんな生活を変えてくれたあなたにはそれを変えてしまった料理を食べる責任があるはずです。お金は受け取ってくれないみたいですが、これは受け取ってもらいますよ?」


 なんだその理屈は……。要するにノアと僕とで始めた料理研究レシピかいへんだから、その結果を僕も知る必要があるということだろうか。なんとなくわからなくもないが……。

ミリンダさんは澄ました顔でニコニコしている。余程この理屈に自信があるらしい。

 

まあ、でも。


「はい、ありがとうございます。」


やっぱり食べてみたかった。それに外に出るのだから食べ物があるというだけで助かる話で断る理由もない。というか断らせてもくれないだろうけど。


「少し待っててください。」とすぐにキッチンに向かい調理を始めた。


「本当にもう行っちゃうの?」ミリンダさんとの会話が終わったのを見計らったようにノアは僕にそう話しかける。


「うん、旅人だからね。ここにずっと居たら旅人じゃなくなっちゃうから。」

「どこにいくの?」

「ノアに見せたような綺麗な景色があるところ……。かな?」


曖昧な返事をしたのは僕にも行き先がわからないからだ。『次はここに行こうなんていう』場所はない。


「それってそんなに大事なことなの?」

「僕にとってはね、ノアにとっては違うかもしれないけど。」

「よくわかんない……。」


よくわからないことを言ってるのだから、よくわからないはずだ。

そこに気がつくとは、やはりノアは賢い。


「そうだ、これあげるよ。」


 僕はカバンの中から二枚の絵を取り出す。

これを『僕と思って』という言い方は無理があるし『あげるもの』としては面白みに欠けそうだ。

この絵は僕に関連するものではなくノア達に関連するものだからだ。


ノアは受け取り「ありがとう。」と小さな声で呟いたのが聞こえた。


・一枚はノアとミリンダさんが料理している絵

・一枚は店にたくさんの人が入っている絵


この二枚である。


「こっちの絵のお母さん笑ってる?こっちの絵も……。」

「うん、悪いんだけどノアにはこの景色を守ってほしいんだ。約束。」

「……アルトさん。いなくなるのに。いなきゃ守れなくてもわからないよ?」


この数日でノアの性格を歪ませてしまったかもしれない。こちらの嫌なところを突いてくる。でもそれは、僕がずっと居なかったらの話だ。


「うん、だから戻ってくるよ。僕はこの景色が好きだから。それにノアの作った料理も食べてみたいしね。忘れた頃に戻ってきて守れてなかったらノアを叱ってあげるんだ。」

「うぅ、叱るのは勘弁してほしい。……でも、うん!わかった!わたしもこの絵が好きだから。」


数年後に約束をつけるなんて考えてみれば大胆な行為だが、それ以上に楽しみでもある。


「じゃあ、約束ね。」

「うん!約束。」


小さい手と固く握手を交わした。小さいながらに強くこちらを握ってくるのはノアなりの決意の表れでもある。


「お弁当。お待たせしました。」


僕はその店と村を後にする。何度も何度も振り返った。


『未練かって?違うよ。二人が手を振るのをやめないんだ。』


ノアが大きく手を振って、ミリンダさんが控えめに手を振る。

遮蔽しゃへいのない草原の中、互いの姿が点になるまで攻防は続いた。

だが、悪い気はしない。振り返るたびに「まだいる。」と思って笑ってしまうからだ。



――――――――――――


夜、結局のところ街に辿り着くことのできなかった僕は野宿を余儀なくされてしまう。これは日常で慣れっこなのだが今宵はひと味違う。味覚的な意味で。


満点の星の中、僕は包みを取り出し開いた。

中にはパンが入っていた。僕はこれを見たことがある。


「レイカさんが食べてたやつか。」


ランプの灯りを頼りに眺めてみると挟んでいるものが同じ食材であることがわかった。


「一人で食べるのって、なんだか久しぶりな気がするな。」


一口食べてみる。


「うまいな。」


店を出せるレベルだろう。いや、店でもらったものだ。

僕にとってあそこは店というよりも家に近いのかもしれない。普通に出かけるから弁当を作ってもらった気になっていたのかもしれない。


「でもね。これじゃ比較できないのよ。」


僕はキッシュしか注文していないため他の料理の味は知らなかった。これではおいしくなっているかの判別ができない。


「まあ、いいけど。」


僕は気にせずにミリンダさんが作ったおいしい料理を食べ進めた。

途中、小雨でも通ったのか頬に温かい雫が伝った。

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