第15話努力の結果
その後の料理にトライした回数は数えていない。
ねむい目を擦りながらの調理は同じことの繰り返しのように感じていた。
食べても、食べても同じような味に感じる。この微妙な違いは僕にはわからないのだろう。たまにマズいと感じるものがあるがこれは失敗なんだろうな。
しかし、ノアのほうは違うようで「次はこうしたい。」「これやってみていい?」等と好き放題に言ってくれた。普段起きている時間でもないのに
そんなノアは僕の膝の上で眠ってしまっている。スヤスヤと寝息をたてる姿はまさしく天使のようであった。と言ってみるがさすがにベタすぎだろうか?
撫でてやると、猫みたいにゴロゴロ唸った。
「おつかれさま。」
完成した料理は四分の一にカットされクロスを敷いたテーブルに置かれている。
あの人が来るのを待ち望んでいた。料理にこういう表現はどうかと思うのだが、それを見て僕は(孤高でありながら堂々としている姿だ。)と思った。
よくもこれほどのものを一晩で作り上げることができたものだ。
外がゆっくりと明るくなってくる気配がある。
小鳥のような小さな生き物が鳴き始め、風の音が強くなった。外の様子が窓越しにだんだんと見えてくる。
そんな小さな変化は今日を感じさせるものたちだ。
きっとこの時間からが朝なのだろう。なんとなくそう思った。
そろそろでミリンダさんも起きてくるだろう。
(起きてきたら説明しないとな……。)
反してまぶたは重くなる。慣れてないことをしたせいか、ノアの寝姿にあてられたか耐え難い眠気が僕を襲った。
(少しだけ、少しだけだから……。)
いつのまにか僕は眠ってしまっていた。
――――――――――――
朝起きる。開眼一番に目に飛び込んできたのは一人の女性の姿だった。
その人は最近お世話になった人であり、ノアの母親であり、そしてこの店の主である。
そんなよく見知った顔のはずの人なのに、いや見知った人であるからこそ姿を見た時に「おはようございます。」の一言もかけられなかった。
出しかけた声はその衝撃的な情景に打ち砕かれたのである。
フォークで丁寧に一口サイズに分けながらキッシュを口に運んでいる。
だが、その顔は決して人が料理を食べている時の表情ではなかった。うれしそうでも、楽しそうでも、当然においしいものを食べているときの顔でもなかった。
美味しいものを食べたとき人は笑うものだ。仲間と声をあげながら、あるいは一人でひっそりと口角をあげて例外はない。
しかし、彼女は泣いていた。
顔はひどく歪みおそらく前さえまともに見えてはいない。料理にはぽたぽたと涙がぶつかっている。えずきながらキッシュを食べるその姿は傍から見れば苦しそうだ。
(泣くほどまずかっただろうか?いや違うか……。)
食べる手が止まることはない。ゆっくりと少しずつ、涙を飲み込みながら食べている。
(口に合ったようでよかった。)
―――しっかり味わってもらおう。
そう思い、狸寝入りを決め込んだ。
目を閉じる前の一瞬だが彼女の口角は確かに上がっていた。
――――――――――――
「ごちそうさま。」
「お粗末さまでした。」
後ろから声をかけたせいかミリンダさんはビクッと肩を震わせる。
「お おはようございます。今朝はお早かったんですね?」
取り繕うようにぎこちない挨拶をしたミリンダさんはあからさまに動揺していた。こちらに振り向くことはなく何もない前をまっすぐに見ながら硬直している。
その原因をつくった本人として申し訳なさを覚えないわけではないが、この人が普段なら見せないだろうなという姿を見ることができたのはちょっとうれしかったりする。
「あの、お見苦しいところをお見せしてしまってすみません。」
「何の話ですか、僕は今起きたところですよ?」
「そうですか、なら大丈夫です。」
わかりやすい嘘だが彼女は疑うことを知らないのだろう。「ほっ」と胸をなでおろし、安心していた。
「それより、これありがとうございました。」
「これ……。」
僕は手帳をミリンダさんに返す。
「お口に合ったようでなによりです。料理をするのは初めてだったので借りさせてもらいました。」
「やっぱり見てましたね?」
バレてしまった。
怒られるかとも思ったがそんなことはなく、ジト目でこちらを見て「はぁ」とため息をついた後にミリンダさんは感想を述べてくれる。
「おいしかったです。複数の味が混ざり合った丁寧なつくりの料理でした。それに懐かしかった。」
それを聞いて安心したが「懐かしい」という言葉には違和感があった。レシピ通りにはつくられていないのだ。
工程は同じだったとしても多量に増えた材料のせいでそうはいかないはずなのだが……。違う材料で同じ味、そういうこともあるのだろうか?
「レシピ通りには作れなかったんですけどね。」
「はい、味は全然違いました。」
「?」
「でも、不思議です。懐かしくて、一口食べるごとに彼との思い出が溢れてきて、どうしようもなく涙が止まりませんでした。」
クスクスと笑う彼女の顔には目尻から頬にかけて二筋の線が引かれている。
そんな彼女の姿を見るとやってよかったなと思う。ノアに聞かせてやりたいがまだ眠っているのが少し残念だ。
「あの人と店をしているとき私はいつも補佐役で仕込みばかりしていました。毎日を同じように働いて同じ日が繰り返されているようでした。でもそれが楽しかったんです。料理を作っているときのあの人はとても楽しそうでそれを見ているだけで私はよかったんです。そんな……日々のことを思い出しました。」
「そうですか。」
『同じことを繰り返す。』そんな日々が楽しいのかはわからないが少なくともミリンダさんにとってはそうだったのだろう。
先代がいなくなったあとも思い出を引きずって店を続けるくらいには。
「でも今、心が決まりました。この料理を食べて、私だけではあの日々を取り戻すことはできないと確信しました。不器用な私は料理をしたことのないあなたにすら負けてしまう。すっぱり諦めて別のことを始めることにします。ノアのためにも。」
聞いて僕は嬉しくなってしまった。
それが顔に出ていたのか「笑うことはないと思います。」と言われてしまうがそれは無理な話だった。彼女は大きな勘違いをしているのだから。
「すみません。でもこの料理なんですけど、ノアさんが作ったって言ったらどう思います?」
「ノアが作った?」
「はい、そうです。」
彼女は
「……嘘はやめてください。ノアはまだ子供です。包丁を持つのも危なっかしくて火の扱いなどもできるはずないじゃないですか。」
「だから僕がその扱いをやりました。」
「……。」
さも当然だという風に言ってやるとミリンダさんは何も言えなくなってしまう。
覆す根拠がなくなってしまったらしい。
「子供でもできることはあるんです。ミリンダさんが僕にキッシュを作ってくれたあの日もノアさんは料理に必要なことをしていました。」
ノアは初めから料理に対してのセンスが抜けていたのだろう。あの時もただ、切っていたのではなく料理がおいしくなるように食材を追加したかったのかもしれない。
「私は母親すらもまともにできないようですね。情けないです。」
「でも、慕われてはいます。だから店の手伝いも進んでしますし、あの日みたいに笑ってほしいとも言っていました。これからは――。」
「お母さん……。」
目を擦りながら起きるノア。寝ぼけているのか「おはようございます。」と丁寧なあいさつをする。とても真面目でいい習慣だ。
「そうですね。これからはもっとノアを頼ります。」
ここからが二人の店の始まりだ。
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