第13話いたずらと心象

 いたずらの仕込みは早い。それはもう昨日とは比べ物にならないくらいだ。

太陽が昇る前の時間なんて生易しいもんじゃなく、時刻でいうと深夜である。

 誰もが寝静まり、村が動きを止める時間。二つの影がランプの灯りを頼りに店の中をそろりそろりと進んでいく。

おもしろいことになった。悪いことをしているという実感が沸きあがるとなぜだろうかワクワクする。


床が軋まないように慎重に歩いていき、ついに店の中の一室にたどり着いた。


「本当にやるの?」

「やる。やらなければ、ここまで順当にやってきたことがすべて無駄になってしまうからね。」

「う、うん。」


ノリノリな僕とは違い不安そうな表情をするノア。しかし、ここで引き返すわけにはいかない。心を鬼にしてノアと接する。撤退の二文字はここには存在しない。


「ノア、ここが作戦で一番難しい部分だ。覚えているな。」

「お母さんの手帳を取ってこっちに戻ってくる。」


あの手帳がなければ話が進まない。しかし、それはノアが言うにミリンダさんがいつも肌身離さず持ち歩いているというのだ。だから、ミリンダさんが手帳から唯一手を放す時間にこうして盗みだそうということになったのだ。

え、本人に見せてほしいと直接頼んだほうがいい?それではいたずらにならない。


「そうだ。手帳はどこにある?」

「えっと、ベットのとなりに置いてある棚の上だと……思う。いつも持ち歩いてるけどそこに置いてあるの一回見たことあるから。」

「よし、いってこい!」

「え!私ひとり!?」


――静かに!


ノアから思ったよりも大きな声が発せられた。普段通りの声量だが音のない夜には響きすぎる。ノアも気づいたようで「ごめん。」と言った。


「いいか?これは繊細な作戦なんだ。寝ている人間の横を通り気づかれずに戻ってくる。相手を起こさないところが肝心なんだ。二人で行ったらどうなる?」

「気づかれやすくなる!わかった。私行ってくるよ。」


 こちらの意図を理解したノアは行く決断をしてくれた。その目には先程までとは違い使命に満ちた決意が浮かんでいる。

ちなみに僕がこの部屋に入ったとき、それは紳士としてどうなのかと思ったからノアに行ってもらおうと思ったのは内緒ないしょだ。



ノアは難なく手帳をとり戻ってくる。往復の間、ミリンダさんは身じろぎ一つしなかったため気づかれていないことを信じよう。


「きんちょうしたぁ」


ノアは息まで止めていたのか、戻ってくると息を切らしたように浅い呼吸を繰り返している。


「おつかれさま。」


頭をなでてやるとうれしそうに笑った。

よし後は時間内に完成させるだけ。


――――—―――


一番の難関は越えたが作戦はここからが本番だ。

二人で協力して料理を完成させなければならない。作るのはもちろん彩のキッシュだ。

僕の考えが正しければきっとレシピが間違っているのだ。それを正してあげればミリンダさんも料理ができるようになる……と思う。

手帳を開き確認する。そこには文字が並んでいる。


そう……とてもきれいな文字だ。

列は均一に並び文字が上に逸れたりはしていない。工程ごとに分けられた箇条書きだろう。読めなくてもそれくらいはなんとなくわかる。

少なくとも雑な性格の人間が書いたようなものではないだろう。


「ノア、彩のキッシュのレシピはどれかな?」

「え?えーっと。」


手帳を渡し、ノアにレシピを探してもらう。

ノアが字を読める子で助かった。


「あ、これだ。」

「よし、じゃあ材料とか準備するから何がいるか教えて、」

「え?アルトさんが読んでよ。」

「僕読めないから。ノア師匠が指示して」

「え?うん。わかった。」


あっさりと引き受けてくれたノア師匠であるがその表情には驚きが浮かんでいたように思う。暗くてよく見えないけどなんとなくそう思った。


 ノアが指示をし僕が指示をこなす。これを適材適所の配置という。

物事を進めるためにもっとも適した位置取りだ。それに危険をともなう作業は今回、僕の役目である。

 今のノアには包丁は大きすぎる。昨日見たような、たどたどしい手付きでやられるくらいなら僕が慣れない手つきでやった方がマシだろう。包丁は握ったこともないけども、物を切るだけならばなんとかなるなずだ。


ノアの指示に従い、材料を集めていく。

昨日、見たような食材達が並び追加でチーズやミルクも必要なようだ。材料が抜けていたということは考えづらいが作ってみないことにはわからない。


野菜は少々乱雑ではあるが切り揃えることに成功した。下準備はこれですべてだろうか?やってみた感じここまでに差異はないだろう。後は工程をひとつずつ潰していくしかない。


「まず、なにをすればいいの?」

「えっとね、今切った野菜を炒めるみたい。」

「痛める?」


なんだろう初めて聞く言葉だ。野菜を殴ったりでもするのだろうか?いや、そんなことミリンダさんはしてないよな……いや、開店前に事前にしていた可能性もあるか。


初めて聞く言葉にすっかり固まってしまった僕はありえないだろう仮説をポンポンと思い浮かべてしまう。

しかし、そんな僕を師匠はしっかりとフォローしてくれるからすごい。


「えーっと……。フライパンをあっためてバターをいれて野菜を焼いて焼くときは焦げないようにヘラで混ぜる?確かこれが炒めるだったと思う。」

「わかった。そういう感じでお願いしますね。師匠。」

「また私が師匠?」

「僕が教わる立場だからそう。」


 相方が師匠でよかったと心から思う。

本人は「師匠って大変なんだな」と悟ったような顔をしているがこればかりは仕方がない。だってわからないし。

その分、手足となり動きますんで許してくださいと言ったところだ。


 初日に僕がカウンター越しに調理風景を眺めていたのが幸いしたのか、調理は滞りなくといっても過言ではないくらいに順調に進んでいった。

窯に完成したものをぶち込み、後は待つのみとなった。


「いやー助かりました。さすが師匠ですね。」

「アルトさんはもっと言葉を覚えたほうがいいと思うの。」

「考えておきますね。」


ノアは疲れが出たようで机に突っ伏していた。慣れないことをしているのだから仕方がない。


「そういえば、師匠は誰からそういう言葉を習ったんですか?ミリンダさん包丁も持たせてくれなかったのに。」

「うーん、わかんない。」


意外な答えだった。「わかんないって。」


「ちょっと、前まではこのお店にもう一人いた気がしてて、その人から習った……。んだと思う。よく覚えてなくて。」


きっと先代のことだろう。その頃のノアは今よりもまだ幼い女の子だ。


「包丁を握るわたしの手を支えて野菜の切り方を教えてくれたり、炒め方だったり、たくさん教えてくれた……気がする。」


歯切れの悪い言い方から本当に覚えていないことがわかる。

会話の内容など印象的だったことは朧げ《おぼろげ》に覚えているが、先代の顔は思い浮かべることもできないだろう。


「でも、その頃のお母さんはもっと笑ってくれてたと思う。わたしがその人に習いながら料理をしているところを見て、いつも後ろで笑ってた。」

「……。」

「だから、わたしはもっと、そのときみたいに、お母さんに笑って、ほ、しい。」


ノアはそのまま眠ってしまう。


「きっと完成させよう。」


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