第6話労働

 「なにをしましょうか師匠」

 自分よりも小さい子に対して下手にでる僕の姿は事情を知らない第三者から見るとはっきり言ってあやしく見えることだろう。また、見る人間の立場によっては衛兵のような人たちを呼ばれて咎められてしまうこともあるかもしれない。

 しかしながら、これは仕方のないことなのだ。

年下である彼女はこのお店での僕の先輩であり、年齢とは裏腹にしっかり者だ。

そしてなにより先程のやりとりを彼女がひどく気にいってしまったからだ。


 「よし!手始めにまず掃除をしてもらおうぞ。ついてこい……?あー-。でし!」

 「はい!弟子です。頑張ります。」

 

 ビシッ!と指をさし決めポーズ。弟子である僕はまじめに言葉を受け取っている。 さっきからずっとこの調子で話しているのだが。

背伸びして難しい言葉を選び使うとよくわからなくなるもので師匠はその典型的な例であった。しかし、なにを言いたいのかは案外わかるので会話そのものに支障はなかった。

 カウンターの向こう側で店主さんが申し訳なさそうな顔をしながらこっちを見つめていたので問題ないという意味を含めてサムズアップしておく。

 微妙な笑顔を浮かべられ丁寧にお辞儀された。『すみません。』とでも聞こえてくるようだった。


 用意してくれたであろう雑巾を使い机から拭いていこうとする。

「ストップ!ストップ!」

 出鼻から師匠に止められてしまった。なにかあったのだろうか?

「だめだよ。ちゃんとしぼって水気をきらないと。雑巾から水が垂れちゃってる。そんなだと拭いた後に水滴の跡が残っちゃうから。」


 よく見ると本当に雑巾から水が滴っていた。

 でも、まさかそんなことにはならないだろう。ただ机を拭くだけなのだ。

 拭いてみる。毎日やっているのだろう。テーブルの上から埃が取れる様子はなかった。しかし、代わりに水の線が引かれ水滴が残ってしまう。こういうことか。


「ほらー、だからだめだって。見てて、こうしぼって!ギュー!はいやってみて。」


 普通に絞っているようにしか見えなかった。とりあえずさっきよりも力を入れて絞ってみる。ギュー。

先程よりも水気はきれただろうがそれでもまだ水は絞りきれてなさそうだ。

これ単純に師匠のほうが力が強いってだけではないだろうか?


「ちがうってー、横じゃなくて縦にしぼるの。」

「縦?」


 布に縦とか横の概念がある……のか?

確かに布をつくるときはそう言う概念もあるかもしれないが、ここで雑巾を見て糸の傾向を理解する能力を必要とされるとは思わなかった。

雑巾を広げて確認する。いや、わかんねーよ。


「こうやって縦に持って、こう。このほうが力が入るからよくしぼれるよ。」


 なるほど縦に持ってしぼるのか。言われたようにやってみると雑巾の中に残っていた水がちょろちょろと出はじめる。思ったよりもずっと多くの水を含んでいた。

こんなんじゃ拭いた後にテーブルに水滴が残ってしまっても無理はないか。

それで机を拭いてみると水滴は残ることなくキレイに拭ける。


「ね?」とにこやか微笑む。

「うん。」と返した。思いがけず掃除の奥深さを知ってしまった。

小さくてもこの子は僕にとって師匠と呼ぶべき存在だった。


 その後は師匠の指示の下、隅々まで掃除をした。掃除し終わった部屋を見回すのは なんとも気分がいいものだな。

まあ、隅々と言っても普段から掃除が行き届いているせいか埃などはほとんどでなかったんだけど……。気分は清々しかった。

きっと毎日あの時間に起きてこの子は掃除をしているのだろう。そう思うと頭が上がらない。


「ご飯できましたよー。」

「わーい。いただきまーす。」

「僕もいいんですか?」

「もちろん。まかないということで、お口に合えばいいのですが。」

「っ……。ありがとうございます。」


『まかない』ということは、つまりタダということだ。飲食店にはそんなシステムが存在しているのか。驚きだ。


 朝食にはバスケットに盛られた焼き立てのパン、オムレツに野菜のスープが提供された。これが飲食店の朝食……。リッチだ。

二人分がテーブルに乗せられている。


「あれ?店主さんは食べないんですか?」

「はい、もう食べすぎなくらい味見しましたので」


納得した。


「そういえば、自己紹介がまだでしたね。昨日は驚きの連続ですっかり抜けていました。」


なんかすいません。昨日のことを思い出すと頬がすこし熱くなった。


「『ミリンダ』と言います。これからよろしくお願いします。」

「あ、『アルト』です。よろしくお願いします。」

「『ノア』!」


師匠もといノアは口いっぱいにパンを頬張っている。

話していてはせっかくの温かい朝食が冷めてしまう。自己紹介は名前だけに留め僕も食べ始めた。

普通においしかった。

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