第4話料理
「すみません、お騒がせしてしまって。」
「いえ大丈夫ですよ。それより落ち着きましたか?」
「はい、まだ少しぐずってはいますが」
ぎこちない笑い方を見ると日頃の苦労が見えるような気がした。
「こっちは、大丈夫なので娘さんのところに行ってあげてください。」
「いえ、そろそろ焼きあがる時間なので戻ってきました。料理の途中でしたしお客さんを待たせるわけにはいけませんから。」
そこで、ここは料理屋で自分はおなかがすいていたことを思い出した。
ここまでにいろいろありすぎた。
懐中時計を見て、彼女はふんふんと頷く。時間にシビアな人なのだろう。
「3、2、1」と呟き0のところで窯が再び開けられる。熱気は少々強くこちらまで届いてきた。それと同時にパイの焼ける香ばしい香りも届けられる。
香りのおかげで再び空腹が増したのがわかった。包丁が入ると『さくっ』と小粋な音がなる。
「お待たせしました。彩のキッシュです。」
目の前に運ばれてきたのはとても鮮やかな料理だった。
表面から見てもそうなのだが、断面がいい。
切り取られ四分の一となったキッシュの断面からは沈み込んだはずの食材たちが層をなすように散りばめられている。
「いただきます。」
口に入れるとそこには不思議な食感があった。この料理を構成するタネの部分の食感だ。
ぶよぶよしたタネの部分に対し、混ぜ込まれている野菜は少々硬めで。パイはさっくりとしていた。それぞれが独立した存在であり、それぞれが自分という存在を肯定していた。
これは……。
「いかがでしょうか?」
カウンター越しに顔を覗き込んでくる彼女の顔はどこか不安そうにしていた。
これの原因はなんとなく察していた。真実を語るのは酷なように思う。
僕は首を横に振った。
「やっぱり、そうですよね。」
わかっていたと言わんばかりに複雑な笑顔がこちらに向けられる。
先程までの不安そうな顔はなくなっていたが、かわりの表情は点数が伸びないとわかっていたテストで思ったとおりに点数が伸びなかったときに似ていたように思う。
こんなことならお世辞でも言ってあげればよかったのかもしれない。
「いつもこの味なんですか?」
「いいえ、一年前はとても美味しい料理を提供していました。こうなってしまったのは店主が私になってしまったからのことで……。すみません。お詫びといってはなんですが、このお料理のお代は結構ですので……。残していただいてもかまいません。」
それは困ると思った。僕は空腹なのだ。
食べられるものが目の前にあるというのに食べないという選択はない。
フォークでひとかけらキッシュをすくった。
「いえ、僕は出されたものは何でも食べる主義なんです。あと、お金もお支払いしますのでそのつもりでいてください。」
「え?」
そして払わないという選択もしたくなかった。目の前の店主さんはマズ……。
おっと、
僕においしいものを提供しようと思って作ってくれたのだ。その心は調理中の真剣な態度、目つきからして疑う余地はない。
本気でつくってこれなのだから、僕はその努力にはお金を払う価値があると思った。
ここで払わなくては僕はただの食い逃げ泥棒になってしまう。
「その代わりと言ってはなんですが残りのキッシュもいただけませんか?実は昨日は何も食べられていなくて久々の食事なんですよ。」
「は、はい!よろこんでお出しします。どうぞ。」
そう言うと彼女の顔はパッと明るくなった。とても自然な笑顔だった。
やはり女性は笑っている時が一番美しい。鬱な表情よりも寂しげな表情よりもずっとこちらの気分も明るいものにしてくれる。
さて、目の前には彩のキッシュの本体が差し出された。食べるには大きいサイズだ。よく考えなかったが四等分されてこのサイズなのだから、今はそれの三倍の量が来てしまうことになるのだった。
食べきれるだろうか?いや、僕は出されたものは残さず食べる人間だ。二言はない。
しかし、
「……。ナイフをいただけますか?」
できることなら切り分けてから提供してほしかった。円形というのは実に食べにくい形状だと思う。誰がこの形状で作ろうと言い出したのだろうか?おかげで僕は店主さんにお願いしなければならなくなったし、カウンター越しに店主さんは慌てふためいている。
どこだ、どこだと探す姿は申し訳ないが微笑ましかった。
――――――
「ごちそうさまでした。」
なんとかキッシュを食べきることができた。
量としては多すぎるくらいだったが、半分を過ぎたあたりで味に慣れてきたためそれほど苦にはならなかったことは幸いだったと言えるだろう。
腹をさするとポコリと膨らんでいる。太ってしまわないだろうか。
そんな僕の心配などは知るはずもなく店主さんの表情は晴れやかである。
「はい。ありがとうございます。店主が入れ替わり私になってから料理を完食してくださったのはあなたが初めてです。」
「お礼を言われることではありませんよ。僕がお腹を空かせていて、この村にこの店があった。僕はもちろん料理を注文しますし、あなたはそれに応え料理を作る。料理が出れば僕は食べ、皿はからっぽになる。全部あたりまえのことです。そしてそれがこの場所のはずです。結末は予想に難くなく決まってたんですよ。」
店側に客が感謝されるとは思わなかった。
売るものと買うもの、提供する側とされる側、それで成り立っている関係であるのに……。
そんなよくわからない話、面白くて笑ってしまう。
店主は首を傾げた。
「よくわかりませんが、そんなに面白かったでしょうか?」
「いえ、気にしないでください。」
「そうですか。でも私はうれしかったんです。初めてのことでしたので。自分の料理を食べてもらえるなんて。」
おっと、これは。
少し頬を染めて静かに微笑む女性。対面には自分が一人。
なんて表現すればいいかわからないが本にでも書かれてそうないい感じの雰囲気だった。これはよくない。
考えすぎかもしれないが自分が苦手な雰囲気になる前にこの場は離脱するべきだろう。
「えっと、お会計をお願いします。」
「はい。えっと、いくらだったかな」
財布を確認した。あれ?
ポケットを確認した。あれ?
記憶を確認した。あ……。
「わかりました。お客さん。お客さん?」
「す、すみません。ツケにすることは可能でしょうか?」
「ええ……。」
金銭はちょうど切らしていた。前の街で底をついていたのを思い出した。
微妙な空気が流れる。
生きる上で必要なものは金だったのかもしれない。
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