第5話

「お、起きたかな」

 目を開けるとすぐ近くで目が合った。

「わっ・・・」

 驚いて、心臓がドキドキと鳴る。そんな僕とは違って目の前の彼は、やっと起きた、とニコニコ笑っている。見た感じ、彼の年齢は僕と近いようだ。十代、二十代前半といったところかな。それに、おそらく日本人。前髪が目を少し隠しているけれど、まっすぐに僕を見るその目から逃れたくて、僕は横を向いた。

 車内の様子はまだ、どこかの異世界にいるようだったが、さっきまでとは違い、日本の列車だった。車内広告の文字は日本語で、だいぶ古く見えるが、この車内には見覚えがあった。

「ねえ、どんな夢見てたの?随分気持ちよさそうだったけど」

 彼はまた、僕の目を見て尋ねる。歳は同じくらいであるはずなのに、その目は小さい子どものような、好奇心が詰まった目だった。

「あ・・・たいした夢じゃないよ。きっと昔の、子どもの頃の夢だったよ」

「今も子どもじゃないか」

 くすくすっと笑うと、ね?と僕に聞く。そりゃあ、まあ子どもだけど・・・そうじゃなくて。言い返そうとしたけれど、笑っていた彼が先に話し始めた。

「ごめん、ごめん。わかってるよ、君がそういうつもりで言ったんじゃないってことは。ただ少し嬉しくて、つい舞い上がってしまったんだ」

 ごめんね、と彼はもう一度、首を傾げて謝った。

「いいよ、気にしてない」

 無愛想にそう言うと、僕は窓の外を見た。世界が違っても、雪は降り続けているようで、相変わらず、その向こうは真っ暗だ。

「また従兄弟の家へ行くの?」

「え?」

「あれ、今日は違うのかな?」

 従兄弟の家?また、ってどういうことだ?出会って数分の彼に、自分の話などしていないし、従兄弟の話なんて、友人にもしたことがない。それなのに、なぜ・・・?何やら考えているような彼を、ちらっと見る。見覚えは、たぶん、ない。

「ねえ、君は僕のこと、知ってるの?」

 恐る恐る、彼に尋ねる。彼はキョトンとしてから、くすっと笑った。

「まあね!ずっと昔の葵君しか、知らないけどね」

 ずっと昔?会ったことがあるのか、彼と。彼は、僕の名前も知っているようだが、僕は、彼の名前はおろか、どこで会ったかさえ思い出せない。頭を悩ませている僕に、彼は、

「思い出せない・・・?そうだよね、一緒にいたのは、一日か、二日だったもんね」

 仕方ないよ、と少し寂しそうに笑った。僕は、ごめん、と小さな声で言う。

「いいよ!気にしないでよ。でも、そうだなあ・・・あ!」

 彼が、組んでいた腕を解いて、名案!とでもいうように、笑顔になった。

「じゃあ、葵君が思い出すまで、僕の思い出話、聞いてくれる?」

「わかった。聞くよ」

 彼の話を聞く間に、思い出せるかどうかはわからなかったが、彼の思い出話に興味があった。よし、と彼は座りなおして、ゆっくりと話し始めた。

「僕は小さい頃、海の近くに住んでいたんだ。と言っても、海水浴場とか、船が行き来するような、大きな海じゃなかったけどね。よく一人で砂浜へ行っては、お父さんに叱られてね。それでも海が好きで、隙を見て、遊びに行っていたんだ」

 彼は、その海を思い出しながら話しているようで、懐かしむように微笑んだ。

「その日は、天気が良くて、僕はウキウキしながら、砂浜へ行ったんだ。ところがね、僕がいつも遊んでいた辺りに、男の子がいたんだ。一人でぽつりと座ってね。その子を見てね、僕みたいに、海が好きなのかもしれない!そしたら友達になれるかも、って思って、走ってその子のもとへ行ったんだよ。何してるの?って声をかけたら、かいがら、って小さい声で言って、少し怖がるように僕のことを見てた。その男の子が、貝殻を探しているらしい、とわかった僕は、一緒に探すって言って、彼の近くの砂浜を探し始めたんだ。その間、僕はその子と友達になりたくて、色々、質問したなあ。どこから来たの?とか。彼は、親戚の家に来ていたらしくてね。僕が聞いている間も、二人でずっと、貝殻を探してた」

 ふふっと、彼が面白そうに笑った。

「どうしたの?」

「今思えば、その砂浜に貝殻なんて落ちていたことは、一度もなかったんだ。それなのに、よく探したなあ、と思って」

 あ、話途中だったね、と彼は再び話し始めた。

「しばらく探すうちに、僕は、もしなかったらどうしようって不安になった。彼をがっかりさせてしまう、ってね。それでも、とにかく探していたら、砂の中から、硬いものが出てきたんだ。しかも二つ。真っ白い貝殻だったな。めずらしいことにね、対になった貝殻だった。二つを合わせてみたら、ぴったり合ったんだよ。僕が、それを彼に見せた時、彼の顔も、きっと僕の顔も、一瞬で笑顔になっただろうね。僕は、貝殻の一つを彼に渡したよ。でも、僕が見つけたやつだからって、彼は、なかなか受け取ってくれなかったんだ。どうしても、もらってほしい!って僕が彼に、貝殻を握らせてね。きっと、奇跡を共有したいって、思ったんだろうな」

「奇跡・・・?」

「そう、奇跡。浜で対になった貝殻を見つけることなんて滅多にないんだ。それを彼に言ったら、奇跡みたいだね、って・・・」

 あれ、さっきの夢でもそんなこと・・・。もしかして、あの・・・?

「思い出した?僕のこと」

「覚えてる・・・。君、あの時の・・・貝殻をくれた」

「やっと思い出してくれたんだね。そうだよ。久しぶり、葵君」

 あの日と同じような笑顔で、ニコッと笑う彼。二人の背格好は変わっていたけれど、あの砂浜の、空気や匂いまで思い出すように、懐かしさがこみ上げる。

「なんで君がここにいるの?これも僕の夢、なの?」

「なんでだろうね?僕にもわからないけれど、こうしてまた、君に会えて、すごく嬉しいよ。あれ以来、一度も会っていないからね」

 もともと偶然会っただけだったしね、と、彼は首を傾げて笑った。

「あの時は僕も楽しかったな。貝殻、今も持ってるよ」

「僕も!宝物だよ。あれを見ると君のことも思い出すんだ」

 目を輝かせて話す彼は、少し、眩しかった。

「君は、変わらないね。僕は、あれから随分変わった気がするよ。素直じゃなくなったし、思い出すのは、少し嫌なんだ。今の現実を、余計に突きつけられるみたいで」

 彼は少しの間、黙っていたが、ふいに口を開いた。

「そうだなぁ、僕だって変わったし、僕から見たら、君は変わってなんかいないよ。少なくとも心はね」

「え・・・?」

 僕が理解できずにいると、彼は、

「また会いに来てよ!僕はいつでも待っているよ。今の君は、昔とは確かに違うけれど・・・」

 そう言って、ゆっくり微笑んだ。

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