⑥ 安楽死

 今からお読みいただくのは、死を選ぶことができるこの世界で「安楽死手続き」をした青年「カナト」が安楽死するまでのお話です。


 そろそろいいかな。何がって?安楽死だよ。もう充分生きたし、これ以上生きていても良いこと、なんてないだろうからね。

 青年は、人生を必要以上に悲観していた。幼少の頃から、あまり良い思いをしていなかったためである。とは言っても、とてつもなく悲惨な人生を送ってきたわけでもない。家族と過ごし、大学を卒業してやりたいと思える仕事に就いた。ただ楽しいと思えることや嬉しいと思えること以上に、彼にとって苦しいことや辛いことが多いのだ。


 市の案内によれば、まずは市役所の担当窓口へお越しください、とのことだから、とりあえず行ってみるか。安楽死できるとは言え、それについての情報は多く出回っていないんだ。なんでだろうな。まぁ、いいや。

 青年は、市役所へ出向き、「安楽死担当課」と書かれた窓口へ向かった。

「あのー・・・」

 職員が青年に気づくと、笑顔でカウンターへやってくる。

「はい。いかがなさいましたか?」

「えぇと、安楽死を選びたいんですが・・・」

 僕がそう言うと、職員は椅子の置いてある隣のカウンターへ丁寧に案内してくれた。自分で選んだとは言え、いざ申し出るとなると少し緊張するな。でもそれもここまでだろう。言ってしまえば、後は手続きを進めるだけのはずだ。

 椅子に座ると、予想通り、手続き的な質問や案内が始まった。

「では、安楽死をご希望とのことですね」

「はい」

「申し出ていただいた手続きについては、途中で止めることはできませんが、よろしいですか?」

「はい。構いません」

「かしこまりました。では、説明させていただきますね」

 そこから、誓約書に署名をしたり、自分に関すること、家族や仕事について等を書類に記入したりと、安楽死へ向けての手続きをした。

「・・・ありがとうございます。では、最後に条件の確認を行いますね」

「条件・・・ですか?」

「はい。どんな死につきましても、役所側で実行するには、ご希望者様に条件を満たしていただく必要がございます」

 そんなの聞いたことがない。まぁ情報があまり与えられていないのだから知らなくても当たり前か。

「ただ、このことは他者へは内密になさってください。先ほどの規約違反になってしまいますので」

 なるほど。情報が少ないわけだ。それにしても、随分ざっくりとした規約と誓約書だと思ったが、こんなことまで含まれていたとは。いいのか?これ。・・・まぁいいか、もう手続きを始めることはできたんだし、細かいことは気にせずにいよう。

「わかりました」

「ありがとうございます。では、条件の説明と確認を、行っていきますね」

 職員は手のひらサイズのタブレットを取り出し、青年の方へと差し出した。その画面の一番上には「安楽死条件チェックリスト!」と書かれていた。

「こちらにチェックリストがございます。今は・・・あ、二つはまだ満たされておりませんね。この項目に、全て〇が付きましたら安楽死を実行する準備が整った、という意味になります」

 満たしていないと聞き、一瞬ドキッとしたが・・・なんだ、簡単そうじゃないか。画面を見ると、項目は三つしかなかった。文章の横にチェックボックスがあり、今はそのうちの二つに×、一つに〇が付いている。

「じゃあ、これが全て〇になったら・・・」

「はい。こちらへ、このタブレットをお持ちいただければ、安楽死を実行させていただきます」

 死ぬ前の準備というか整理というか、そんなものなのかな。パパッと済ませてしまおう。

 青年はタブレットを受け取ると、すぐに画面をオフにし、鞄へしまった。

「では、現段階でのお手続きはここまでになりますが、何かご質問等はございませんか?」

「いえ、大丈夫です」

 僕がそう答えると、職員はまた笑顔で、本日はありがとうございました、と挨拶をしてくれた。


 とりあえず条件を確認しないとな。僕は市役所を出て、近くの公園へ向かった。座れるベンチを見つけて腰を下ろす。鞄からタブレットを取り出して、画面をオンにすると、さっきのチェックリストが表れた。

「一つ目・・・」

 僕は何となく、声に出して読んでみた。

「やりたいことを、できる限り全てやりましたか・・・」

 横のチェックボックスには×。そりゃそうだろうな。色々諦めてでも安楽死を選びたかったんだから。やりたいこと、なんてたくさんあるさ。できる限り、ということは、お金や時間の許す限りという意味だろうか?それなら手早く済ませられそうだ。

「二つ目、不幸を経験しましたか、だって?」

 チェックリストの中で唯一、〇が付いている項目だ。ふーん、こういうのも安楽死に必要なのか。僕の場合は、つまり、不幸を経験しているというわけだ。まぁ経験していなければ、死にたいなんて思わないだろう。しかし、不幸の基準なんて人によって違うのに、よく判断ができるな。少し考えると不思議だが、細かいことは気にしない、だ。それより、最後の一つは・・・。

「人生最大の幸せを経験しましたか」

 これはまた難しいな。×が付いているということは、経験していないということだ。最大、だとわかるためには比較が必要になるけれど、どうやって最大かどうかを見極めるんだ?さっきの不幸の経験といい、不思議なチェックリストだ。でもとにかく、×の付いている二つの項目を〇にしなければ、安楽死には辿り着けないということだ。今のところ、一つ目を行っていく中で、三つ目も満たすことができるんじゃないかな、と思っているけれど、やってみなければわからない。まずは、一つ目だ。やりたいことを片っ端からやっていこう。


 それから青年は、やりたいと思いながらも諦めていたことを一つずつ行っていった。お金が無くなるからと諦めていた旅行。やってみたかったゲーム。会社へ行かずに、一日中、好きに過ごす。そんなことをして、毎日を過ごしていた時、ふと思い出した。

 そうだ。チェックリスト。見てみないと。あまりにも楽しくて、つい忘れていた。こいつを〇にするためにやってきたんだ。僕は、タブレットを久しぶりに見た。画面をオンにする。チェックリストが表示される。

「えーっと・・・一つ目の項目は」

 やりたいことを全てやったか、の項目。横のチェックボックスには、△。

「三角?そんなのもあるのかよ」

 大体やったと思うんだけどな・・・。他に何かあったっけ?しばらく考えて、一つの答えらしきものが頭に浮かんだ。

「いや、そんなわけ・・・ないだろ」

 自嘲する。僕が考えたのは、大事な人のことだった。付き合っているわけでも、この想いを伝えたわけでもなく、ただ僕が大切だと思っている人。その人へ、想いを伝えること。自分の中では、もうそのくらいしか思い浮かばなかった。

 まさか、これ?・・・待て、よく考えろよ。いつかこの想いを伝えたい、と心の隅では思っていたけれど、伝えたところで、自分が傷つく結末が待っているかもしれない。大切な人から嫌われるかもしれない。そんなことになったら、せっかく安楽死を選んだのに、多少苦しんででもその場で死にたくなるかもしれないんだぞ。それでも本当にやりたいこと、なのか?

 自問自答が、しばらく続いた。やるべきか、やらないべきか。そして出した結論。携帯電話を持って、なぜか椅子に姿勢正しく腰かけた。連絡先から、その人を探す。表示された番号を暫し見つめる。深呼吸を一回して、まぁ、出ないかもしれないしな、と、強引に気持ちを落ち着かせてから、番号をタップした。

 呼び出し音が鳴り続ける。同時に鼓動も大きくなっていく。普段からよく電話をしているから、電話をかけること自体はいつも通りのはずだが、伝えたい内容がいつもとは異なるわけで。そりゃ緊張もする。


「もしもし?」

 繋がった。第一声が出てこない。何か、何か言葉を・・・。

 そう思っていると、

「何かあった?」

 先に言葉をもらってしまった。いつもこうだ。この人は、こちらの空気を読むのがものすごく上手い。

 青年は、その声で入り過ぎていた力が抜け、鼓動は大きなままだったが、電話越しに今まで心にしまっていた想いを告げた。

 

「ありがとう。伝えてくれて」

 青年が話を終えると、少しの間の後、電話の向こうで微笑んでいる様子が伝わる。

よかった。引かれるんじゃないかと危惧していた僕は、ホッと安堵の息を吐いた。

 しかし、伝えることしか考えていなかった僕は、どうやってこの話題を終わらせようかと慌てて考えた。すると、

「実はね」

 

 次の瞬間、聞こえたのは予想もしていなかった言葉たちだった。

 相手にとって、自分は大切な存在であること。失いたくないこと。何でも話せて笑い合える唯一の存在であること。いつも話を聴いてくれて感謝していること。最後には、

「だから好きなんだよね、この時間も。貴方のことも」

 と、少し気恥ずかしそうに話してくれた。

 言葉を聴くうち、僕の目からは気づけば涙がボロボロと零れ落ちていた。胸の奥から温かさが溢れてくる。


 ああ、死にたくないな。

 まだ生きて、話していたい。

 

 青年は、そんな思いをグッと心にしまい込んで、何とか一言、言葉を絞り出した。

「・・・ありがとう」

「ふふ、だから、それはこっちの台詞。今日はどうしたの?本当に何かあった?」

 いつも通りに笑うその人。これが最後だなんて、思いたくなかった。けれど、そんな思いを悟られないように、

「何でもない、これからもよろしくね」

 それだけ伝えると、いつものように通話を終えた。


 電話を机の上に置き、暫し呆然としていた。たった今もらった言葉を反芻する。涙はまだ止まってはくれない。


 青年は、これから死ぬんだ、という事実と、自分の予想を大きく上回った暖かい言葉とその奥にあったであろう気持ち、両方に浸っていた。

 ふと、机の上に置いてあったタブレットに目をやる。まだ心ここにあらずの状態で、画面をオンにする。表示されたチェックリスト、△だったチェックボックスは、〇になっていた。そして×だった「人生最大の幸せを経験しましたか」の項目。チェックボックスには、〇。

 全てのチェックボックスに〇がついたリストの一番下には「安楽死実行の準備が整いました。一週間後までに安楽死担当課へお越しください」の文字が現れていた。

 これで、安楽死ができる。

 けれど青年は、すぐに市役所へ行く気持ちにはなれず、その日は何とも言えない感情を抱えたまま、眠りについた。

 

 翌日、まだ気分はゆらゆらと揺れていたが、僕は最低限の荷物とタブレットを持ち、市役所へ向かった。行くのは二度目となる「安楽死担当課」と書かれた窓口。

「あのー・・・」

 職員は青年に気づくと、初めの時と同じように笑顔でカウンターへやってくる。

「はい。いかがなさいましたか?」

「えぇと、安楽死条件チェックリストが全て〇になって・・・」

 と言いながら、青年はタブレットを見せた。職員はタブレットを見ると、あっ、という表情をした後、再び笑顔で、

「では、本日より安楽死を実行できますが、本日実行なさいますか?」

 と、青年に聞いた。青年は、職員の目を見ずに、ボーっと一点を見つめたまま、はい、と返事をした。

「では、ご案内いたしますね」

 職員は、カウンターの奥から出てきて、

「どうぞ、こちらへ」

 と、手で自分の後へついてくるよう促した。

 人の多い場所から、薄暗い廊下へと歩いていく。青年は靄のかかった心で、辺りを見渡している。職員は、そんな青年の前をスタスタと歩いていく。


「こちらへどうぞ」

 長い廊下の先、行き着いたのは変哲のない小さな部屋。真ん中にパイプ椅子が一つ置かれている。青年は、笑顔を絶やさない職員に促されるまま、その椅子へ座った。職員は、青年にボタンが一つ付いたリモコンを手渡す。

「心のご準備ができましたら、そちらのボタンを押してください。すぐに安楽死が実行されますので」

 では、私はこれで、と職員は一礼をして部屋を出て行った。


 リモコンを暫し見つめる青年。心の靄は消えないまま、もう考えもまとまらず、頭の中では、喜び、安堵、不安、恐怖、後悔、そんな感情がごちゃごちゃと混ざっている。

 しかし青年はいよいよ、ゆっくりと目を閉じた。そのままボタンの感触を確かめる。親指をボタンの上に置き、ふっと息を吐く。


 青年がボタンを押した瞬間、青年の目からは涙が零れ、それと同時に、頭の中も視界も真っ暗になり、安楽死が、実行された。

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