③ いたずらヒツジ
あるところに「ヒツジ」という人間がいました。彼には、彼の仲間たちと集まった時、口癖のように言う言葉がありました。それは、
「俺、明日死ぬから!」
でした。
明るい声でケラケラと笑って言う、それを聴いた仲間たちは、はじめ、
「・・・何かあったのか?」
「遠慮なんかすんなよ、お前にはいつも助けてもらってる」
と、皆、お酒を飲んでいても真剣な表情で答え、その場の空気も変わるほどでした。けれどもヒツジは、
「なんてな?冗談、冗談!まだ死なないよ」
ちょっと言ってみただけだって、と面白そうに笑っていました。すると仲間たちも、
「びっくりさせんなよなぁ」
「冗談がすぎるぜ?」
と、安堵したのがヒツジにバレないよう、ぎこちなく笑って返していました。
それが何度か続くうちに最近では、ヒツジのその言葉を聞いた仲間たちは決まって、
「だからぁ、冗談でも言うなって、そんなこと!」
と、お酒で少し酔いながら笑って返すようになり、ヒツジが帰った後も仲間たちの間では「あいつは絶対死なないよな」と笑い話になって、それは集まる度、繰り返されていました。
そして今日も・・・。
ヒツジと彼の仲間たちは、土曜日の仕事終わりに馴染みのお店に集まって、仲間の一人が皆に欲しい飲み物を尋ねています。
「俺は・・・今日はコレにするかな」
「じゃあ、僕はコッチにしてみよう」
仲間たちが次々と答える中、ヒツジは黙って、まんまるい眼で机上の一点を見つめています。
ヒツジの飲み物を聞いていないことに気づいた仲間が、
「おーい、ヒツジ。あとお前だけだぞ。何にする?」
と、メニュー表を彼に渡してくれました。
ヒツジは、ハッと我に返ったように目を見開くと、メニュー表を受け取り、
「あぁ。そうか」
ポツリと呟き、目線をスッとその仲間へと向けました。
「ありがとう。・・・うーん、迷うなあ」
ヒツジはカラフルな飲み物の写真と名前が載ったページをじっくりと眺めています。そんな様子を見ていた仲間は、
「へぇ、今日はいつもと違う気分なのか?」
と、ヒツジに尋ねました。
「まぁね。たまには違う物も飲んでみようかなあって・・・よし、決めた」
ヒツジがメニュー表を机の端に戻し、仲間が店員さんに注文を伝えると、最近どうよ?と、各々の近況報告が始まります。学生時代からの仲間である彼らは、月に何度か顔を合わせて、仕事のことや私生活についても気軽に話せて、互いを尊敬しながら馬鹿な話すらできる、そんな人間たちでした。今日も「会社の上司と話せるようになった」だとか「お前はまだ親とケンカしてんのか」なんて話で盛り上がっています。もちろんヒツジも「もう実家には帰らねえんだ!」と、ちょっぴり威張っている仲間に、
「そう言って、なんだかんだ毎年帰っているじゃないか」
笑いをこらえながら、そう返しました。ヒツジの言葉に、言った本人も含め全員が大笑いして、その後でこれまた全員が、自分たちの声の大きさに気づき、シーっと人差し指を唇に当てました。
彼らが二杯目、三杯目を頼み、だんだんと酔い始めた頃、まだまだ話が尽きない中のほんの少しの間の後で、
「明日、死ぬから」
ヒツジが、いつもの台詞を口にしました。
一人の仲間が口もとに笑みを残しながらヒツジに目線を向け、頬杖をついてケラケラと笑うヒツジの姿を確認した後、
「どうすんだよ、本当に死んだら」
と、冗談っぽく尋ねました。他の仲間も、確かにそうだ、と、ある者はグラスを持ちながら、また、ある者は惣菜を箸でつまみながら、ヒツジの方へ注意を向けます。そんな中でヒツジは、視線をそっと下げました。グラスを見つめ、
「そうだね。どうしようかなぁ・・・」
ゆっくりとそう言った後で、ヒツジが顔を上げた時、その目は、ある仲間の表情を見て大きく開かれました。
ヒツジが見た仲間の表情は少し悲しげで、けれど目はキュッときつく、口もとは不服そうでした。その仲間はゆっくりと言いました。
「・・・そん時は、言えよな」
きっとヒツジだけでなく、仲間の誰もが予想していなかった言葉だったのでしょう。彼らの間の空気は静まり、皆、目を丸くしています。言ったその仲間でさえ、ハッと気がつくと、
「ま、まぁ、あれだ!俺たちに隠し事はすんなってことだよ!」
と、早口で言い、グラスに入ったお酒をグイっと飲みました。それを聞いた他の仲間たちは、肩の力を抜いて笑い、口々に「俺にも言えよ、な!」とヒツジに向ってグラスを掲げたり「つーか、恥ずかしくなるくらいなら言うなよな!」と言って仲間の肩をポンと叩いたり、再び互いにあれやこれやと話し始めました。一人、ヒツジをのぞいて。
ヒツジは、お酒のせいか先ほど言った自分の言葉のせいか、頬の赤くなった仲間をじっと見つめ、
「うん。言うよ」
眉を下げ、笑ってそう答えました。
翌朝、仲間たちは酔って話した内容なんて、毎回ほとんど覚えていません。けれども、ヒツジのいつもの台詞に返した、あの仲間の言葉だけは、全員が記憶の片隅に置いていました。
そして各々、ベランダや歩道橋など、色々な場所で思い出し、
「今度、あいつに会ったら言ってやろう」
そう思いながら青く、きれいに澄んだ空を見上げました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます