世界滅亡へのカウントダウン

 いくつかの巨大ビルが周囲に聳え立ち、複数の小型店が入り乱れる建造物に囲まれたスクランブル交差点。赤信号から青信号へ変わった瞬間、暗闇の中、交互に描かれた白線の上でビルの側面に取り付けられたメインビジョンを眺める。くたびれた細身のサラリーマン、ゴールドの腕時計を身に付けた中太りの男性、隣で腕を組んだ露出の高い服を身につけた女性、他にも同年代と思われる不良たちが同じような姿勢で突っ立っており、皆が大画面へと視線を向けていた。

『三日後、世界は私が放ったウィルスによって破滅します。どうぞ最後の三日間をお楽しみ下さい』

 画面の奥に映る人物は白衣姿で濡羽色のペストマスクを顔に取り付けており、さも当然と言わんばかりに言葉を吐いた。彼、もしくは彼女の言葉を聞いて、コンビニ袋を片手に寝巻き姿だった僕はたった一つ、考えていた。

 彼、もしくは彼女の格好にはあまりにも統一感がなかった。鼠や黒死病といった不潔さや恐れを連想させるペストマスクと病から人を救う医療人を象徴する白衣は正反対に位置するように感じた。逆に死という観点から言えば、どちらにも共通する概念ではあるので統一されているとも思えた。まぁ、どうせマスクを被っているせいで表情を読むことができないので、どういう狙いでそのような服装を選んだのか確認することはできない。なので、勝手に納得しておくことにした。

 彼、もしくは彼女が発した世界滅亡という概念は僕が五感で感じる現実に上手く溶け込み、ピースのように僕の脳にぴったりとはまった。そして漠然と『そうか、世界は滅亡するのか』と思った。それ以上でもそれ以下でもない、たった一文程度の感想しか抱かなかった。

 気が付けば先程までメインビジョンに映っていた人物は消え去って、すでに画面は黒く染まっていた。メインビジョンの画面は黒いままで変化はなかった。青信号が点滅して赤信号へと変わる。

 突っ立ったまま、誰も動かない。突っ立ったまま、何も喋らない。クラクションを鳴らす音と誰かの怒号だけが少し聞こえる。

 突っ立ったまま、誰も動かない。突っ立ったまま、何も喋らない。電車が通り過ぎる音が時々耳に届く。

 突っ立ったまま、誰も動かない。突っ立ったまま、何も喋らない。

 ……帰ろうと思った。

 歩き始めようと右足を前に出す。右足が白く染まったコンクリートの上に近づく。踵が着地し、重心を前に傾ける――その瞬間だった。

「ああああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」

 突然、左に居た極細サラリーマンが奇声を上げながら、大画面モニターとは逆方向に走り出した。そして彼の行動に呼応するかのように他の傍観者も行動し始める。

 右斜め前にいたゴールド男は隣に居た女に急に覆い被さって衣服を強引に破ろうとした。女は悲鳴をあげながら押し返そうと抵抗する。その光景を窓越しに目の当たりにしたドライバーが「何をしてるんだ!!」と声を荒げて駆け寄ってきて、女からゴールド男を引き剥がした。下着が見えるほどに服がはだけた女はすぐにその場から逃げ出す。ゴールド男は錯乱状態に陥った様子で暴言を吐きながら今後は果敢に立ち向かったドライバーを殴り始める。そしてまた別のドライバーたちがゴールド男の暴動を止めようと駆け寄っていく。

 奥にいた不良たちは近くにあった電気製品店のガラスを割って中に入り、高額商品を盗み始めた。他にもガラス張りで覆われた展示スペースに突っ込む輩もいれば、互いに暴力を振って所持物を奪おうとする輩も現れていた。

 僕の周りにいた人々は叫び、殴り、喚きといった様々な行動を起こし、辺りは地獄絵図と化していた。

 世界滅亡が突然宣言されてから三分ほど経過して、ようやく駅側の交番から複数人の警察官がやって来た。彼らの表情は言葉にせずとも分かるぐらいに青ざめていた。一人の警察官がトランシーバーの機器に何か話した後、収拾のつかないこの現状をどうにかしようと手分けして対処し始めた。その最中、警察官たちが走って来た方向に視線を向けると、顔を下に向けた警察官が交番前に突っ立ったままだった。三十代程度の老けた男性警察官が僕と同様にその異変に気づいたようで、その警察官に荒げた声で「おい! ぼーっとしてないで、お前も手伝えっ!!」と呼び掛ける。しかし、何か答える様子はない。何度もその警察官は名を呼ばれたが、反応する気配を見せなかった。しびれを切らした男性警察官は一度現場を離れ、交番前で突っ立っている警察官の方へ駆け足で近付いて彼の肩に手を乗せた。

「嫌だぁぁぁぁ! 死にたくない死にたくない死にたくない死にたく――」

「ぐぁっ!!」老け顔の警察官が体勢を崩し、その場に尻もちをつく。

 先程まで微動だにしなかった警察官が急に大声を上げたかと思うと、老け顔の男性警察官を突き飛ばして駅の方へと逃げ出していった。急な出来事に驚いたのか、今度は突き飛ばされた警察官がその場で固まってしまったようだった。

 その場に留まっている理由が僕にはなかったので、歩いてその場から去ることにした。関わる気なんて毛頭なかったし、変に絡まれて面倒事に巻き込まれるのも避けたかった。自宅に戻るのが得策だった。

 いつもの自宅までの道で歩を進める。帰路につく中、僕は残りの三日間をどう過ごそうか考えた。とりあえずコンビニで購入したチキンとアイスクリームを味わってから寝る。ただそれしか決まっていなかった。

 別に何か後悔があるわけではなかった。長年片想いしている女性なんていないし、最後の晩餐と称して何か特別な食事を摂りたいわけでもない。性欲を満たしたいわけでもないし、誰かに告白すべき後悔や罪なんてものもない。僕の世界滅亡までにやりたいことリストは空白で、何か書きたいと思うわけでもなかった。そこまで考えて、僕は思考することを放棄することにした。別に今すぐ決めなければならないわけでもないのだ。

 街灯が照らす夜道の中、コンビニ袋からチキンの入った紙袋を取り出す。切り取り線に沿って上部を破ると、揚げたチキンの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。街灯の灯りが衣に纏わりつく油に反射している。片手で押さえながらチキンに齧り付くと、口の中で油とチキンの旨味が溢れ出す。咀嚼しては飲み込んで、また齧り付く。

 それらの動作を暗闇の中で、人々の叫び声や怒号の中で、パトカーのサイレン音の中で繰り返した。そして、漠然と考えていた。やりたいことはないが、知りたいことはあった。

 普通の人間は世界が滅亡すると知って、何を感じ、何を考え、何を求め、行動するのだろうか。

 強いて言えば、世界が滅亡するときの『普通の人々』について僕は知りたい、と僕は思った。

 今日は十二月二十二日の水曜日。

 今から三日後、つまりクリスマスの日。どうやら世界は滅亡するらしい――。

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静寂な朝焼けが、獣を覆うことにより 黒咲侑人 @YUHTO

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