静寂な朝焼けが、獣を覆うことにより

黒咲侑人

プロローグ

ハッピークリスマス


 あれは小粒の雨が降り注いでいて、目が眩むほどの輝きにまるで支配されたかのような日のことだった。街中のあらゆる場所に飾り付けられたペッパー球があちこち光を放ち、わずかに濡れたアスファルトや雨粒が反射させて僕の目を集中的に刺激する。相合傘をさしながら腕を組んでいる男女二人組が光り輝くイルミネーションに感嘆の吐息を洩らしながら、僕の目の前を通り過ぎていった。お互いの体温を分け与えて温もりを確保しているカップルたちが実に羨ましかった。

 手に着けた分厚い手袋とやけに長い黒色のマフラーは何の効力も発揮せず、吹き抜けていく風と天候による低気温によって僕の体温はみるみるうちに降下していく。体温維持機能によって顎と身体が勝手に小刻みに震えるが大して意味はなかった。どうやら今年は珍しい大寒波がこの地域に押し寄せてきているようで、去年に比べて気温がとてつもなく低くなっていた。ここ最近、過去最低気温を記録したとニュースで報道されるほどだ。

 街ゆく人々は傘を片手でさしながら、イルミネーションを楽しんでいる。こんな真冬に外を出歩く人たちが僕には理解不能だった。別に外出せずとも自宅でパーティーを開いて、香ばしく焼いた七面鳥やら大きめのホールケーキを楽しく食べればいいだろうに。大体、今日はイエス・キリストの降誕を祝う日であり、僕達日本人が関係ないイベントで、大はしゃぎしていること自体が間違っているのだ。誰もキリストのことなんてこれっぽっちも頭の片隅にもないだろう。視線を街ゆく人々から腕に巻いた時計に向けるとすでに十時過ぎを指し示していた。一度中へ戻ろうかと思い、後ろを振り返ってドアを開けようとすると、視界の隅に見知った人影が近づいてきた。

「チッ。さっさと、帰るぞ」

「……うん」

 グレーの高級スリーピーススーツに身を包んだ細身の男は舌打ちをしながらそう言って、僕を待たずして歩き始めた。後ろには僕に一瞥もくれず男についていく、ブランドバックを片手にかけたベージュのスーツを着た女がいる。男の方は前髪をきっちりと分けて髭を綺麗に剃っており、清潔感が全面に表れている。一方、女のほうも清潔感に溢れながら短いブラウンの髪は左右に分けられ、いかにも仕事ができるキャリアウーマンと言った雰囲気を醸し出していた。僕は二人の後ろを追う形で歩いていく。客観的に見れば、この二人はスマートでかっこいい夫と仕事ができる完璧な妻といった感じで理想の夫婦に見えるに違いない。ただ僕からすれば僕に関心を示さない理想とは程遠いクソでクズの両親である。

 世間的に体裁を取り繕うためだけに結婚と出産という手段を用いただけで、僕らの間には俗に言う愛と呼ばれるものが存在しなかった。両親ともに仕事で忙しく自宅で顔を合わすことはない。晩ご飯はテーブルに無造作に置かれたお金でコンビニ弁当を買って静寂に包まれた家で一人で食事を取るし、風呂に入って布団に包んで寝る時もおやすみを言い合う相手は当然ながらいない。朝起きても両親はすでに仕事へ向かっているため、下手をすれば一週間ほど顔を合わさない時だってあるのだ。

 強いて顔を合わせる時があるとするならやはり体裁を取り繕うべき必要がある場合だ。例えば三者面談、授業参観、運動会のような両親が絡んでくるイベントには必ず参加する。それはもちろん僕の喜ぶ姿のためではなく、周囲の家族に自分たちは幸せだと誇示するためだ。普段は愛想のない顔をして僕には目もくれないくせに、そういう時に限っては気持ち悪いほどの笑顔を僕に向けてくるのがどうしようもなく歪で気持ちが悪かった。

 基本的には先ほど述べたような行事にしか関わってこないが、今日のように例外がある日もある。一般的な家庭を再現するために僕は週に二回ほど塾に通わされており、そのほどんどが徒歩で通っているので送り迎えはないのだが、月に二回だけ送迎してくれる日がある。その日は普通であれば僕の担当講師に礼を言ったりして、会話を交わすことで理想の家族であることを見せつけるのだが、あいにく今日は講師が他の授業で忙しく僕が一人外で両親を待っていた。父親が僕を睨みながら舌打ちしたのは誇示できないことに苛ついたからだった。

 付け加えると、両親は僕の成績に本当の意味では興味がない。成績が良くとも悪くとも、己を良く見せるために利用して優しく僕に接する素振りを見せる。傍から見ると思いやりを持って誠実に、褒めたり叱ったりしているように思えるが、実際には空っぽだ。

 同じ学校のクラスメイトに耳にたこができる程聞かされたことがある、彼らは学校行事があるごとに僕に言うのだ。『あなたの両親が羨ましい』や、『あんな両親をもって自慢だね』など、言い方は様々だが全てが僕の両親は素晴らしいという決めつけから出てくる発言だった。彼らは何一つわかっていない。あの二人は完璧などではなく理想を演じているだけで人間のゴミだ。

 ふと、ある願いが脳裏を掠める。

 その願望を思い浮かべながら首を固定したまま視線だけを夜空へ向けた。暗闇に囲まれた星々は自分自身の存在を主張しようと光り輝やかせているがその光は弱々しかった。きっと僕の目があらゆる場所から放っている人工的な光に慣れてしまっているからだろう。本来、星の輝きとは鮮明かつ神秘的に見えるものだが、周囲の人間は自然的なものよりも人工的なものに釘付けになっているようだった。なんとも愚かしいことだ。自然の美しさよりも紛い物の美しさに寄ってたかって簡単に感動しているのだから。その点で言えば、目の前の両親の迷いない歩みは褒められるべきかもしれないと思う、それ以外は褒められるものではないが。

 目が渇いたのか無意識のうちに瞬きすると、目の前を歩いていた両親が突然跡形もなく消え去っていた。

 周囲を見渡そうとすると、その前に巨躯な物体が壁にぶつかるような衝突音と耳をつんざくような複数の女性の悲鳴が耳に飛び込んできくる。鼓膜が破れそうになる程の騒音に目を瞑り耳を塞いで、その場にしゃがみ込む。

 幾分か時間が経つと、次第に騒音は聞こえなくなって代わりにざわざわと群衆のどよめいた声が聞こえてきた。これでもかというぐらいゆっくりなスピードで瞼を開くと、まずはじめに黒ずんだ鼠色のコンクリートタイルが目に入った。

 視線を上げて衝突音が聞こえた方向へ顔を向ける。黒塗りの軽自動車が煉瓦の壁と洋服店のちょうど中央に衝突しており、車のボディフロントが押し潰れているのが見える。歪な凹凸が前方に集中してできており動き出す気配はない。煉瓦を積み重ねてできた壁が壊れた様子はなく、ガラス張りの洋服店は全てのガラス割れて周辺に欠片が散らばっていた。

 僕の視線はそのちょうど中間に横たわっている見知った姿に釘付けになってしまった。力なくぐったりとした二つの身体にはいくつものどす黒く赤い染みが胸の辺りに集中してできており、頭部からも紅色の液体が少量だが床へと向かって、ぽたっ、ぽたっと流れ出していた。清潔感が全面に押し出されていたスーツが赤黒く汚れていて、なんだかマネキンのように見えた。

 未発達ながらに僕の脳は数学を解く時のように、難関なパズルを構築し直すように、極限まで思考を加速させる。周囲の状況から交通事故だという結論に至るのはそう時間はかからなかった。

 壁と潰れた自動車に挟まれた二つの人影、紛れもなく僕にとって最低最悪の両親だった。その顔は血に塗れて、苦痛の表情を浮かべているのが遠目でもわかった。きっと即死ではなかったのだろう。僕が塞ぎ込んでいる間はまだ生きていたに違いない。

 息が荒くなり、口から白い吐息が漏れ出す。心臓の鼓動が早くなり激しく脈打ちはじめる。

「君、大丈夫か!?」

 通りすがりの男性に声をかけられる。様子がおかしい僕のことを心配してくれたのだろう。僕は何も答えなかった。

「……」

「良かった無事みたいだな。今すぐ警察を……え?」

 僕が無事な様子に安堵して何か言葉にしかけたが彼は言葉に詰まっていた。僕の顔を覗き込んだ彼の表情は、胸を撫で下ろしてホッとした表情から困惑した表情を移り変わり、そして徐々に畏怖の念を抱いたような表情に変化していった。かろうじて呟くことができた彼は言葉に詰まりながらもある質問を投げかけた。

「な、なんで……。君は、笑っているんだ……?」

 僕の視線は彼からすぐ近くのガラスの破片へと移る。半透明のそのガラス片には両親の死亡を間近に目撃しながらも無邪気な笑顔を浮かべている僕が映っていた。

 僕にとってこの日は良くも悪くも人生における初めてのターニングポイントになった。育ての親の死に笑みを浮かべるような僕の本性に気づき、たった今からクズの両親から指図されずに済むこと。すでに僕はこれからどう生きるかの人生設計を脳内で構築し始めていた。

 同時にさっきまで降り注いでいたはずの雨は灰雪へと変化を遂げて、空中をひらひらと舞ってクリスマスに相応しい風景だった。それはとても、とても綺麗でわざとらしく光る電飾より格段にも煌びやかに光り輝いていた。

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