*** 二〇三〇年 X月XX日 X曜日
あれから十年、アリスを捜し初めてから四年が経過した。僕の年齢は二十七歳となっていた。高校卒業までは週四で書店のアルバイトをして給料全額をアリスの捜索費用全てに充て、どのような経路でどのようにして捜索するかを一ノ瀬さんと共に繰り返し作戦を練った。斎藤健二から得た情報と搭乗記録が残るような航空機をおそらく利用しないことから東北地方を主な捜索範囲と定めた。青森県から岩手県、岩手県から秋田県と北から南へと移動しながら捜すという内容の計画だった。また、アリスは戸籍上死亡したことになっているため、個人情報が必要な仕事や住居の確保ができないはずで、極力顔を見せないために防犯カメラを避けるはずだ。そこから大都会から遠く離れた田舎に居候として住んでいると僕たちは推測した。就職するまでは時間のある限り、作戦の詳細な部分を詰めていった。
高校卒業後、僕はアルバイトをしていた近場の書店にそのまま就職した。その段階で貯金額は約二百万円となっていたが、一生働かずにアリスを捜索する予定だったのでもっと稼ぐため就職してさらにお金を集めることにした。仕事をし始めると案外忙しく、とてもじゃないが計画を見直すなんてことはできなかった。一ノ瀬さんは大学に進学したためそこまで多忙なわけではなかったが、そのせいで一ノ瀬さんと会う頻度は月に一回程度までに落ち、まともに作戦を練ることはできなかった。だが連絡は常に取り続けていたのでゆっくりではあるが計画の最終案へと着々と近づいていた。
貯金額が八百万へと届きそうになった頃、僕は退職していよいよアリスを捜索する旅へと出た。僕はまず青森県の津軽地方北部へと向かってアリスを探し始めた。実際に旅をし始める前、途轍もない疲労が重なり厳しいものになると十分に理解していると思いこんでいたが、広大な地域において一人の人間をたった一人で捜し出すと言うのは予想を遥かに上回って苦労するものだった。大都会であれば移動手段も多く他にもやりようがあるのだろうが、都会から離れた日本各地の隅では足腰の強さが重要であることに気付いた。あまり舗装されていない道路や時には近道のために岩場を越えて行かなければならない村もあった。そのせいで慣れるまでに青森県の津軽地方や下北地方だけで約一年の時間を費やしてしまった。二年目はある程度のコツを掴んだので一つの県にそこまで時間がかかることはなかった。
そして今現在はある県の北部にある農村部でアリスを捜していた。道行く人や家にいる人にノックし回って見知らぬ女性がやって来てないかを尋ねた。学生時代の顔写真を持っていたが使うわけにもいかなかったし、顔つきが変化して人によっては同一人物だと分からない可能性があったので現在の年齢と特徴を言うことで捜し続けた。田舎に住む人達全てが良い人で、たまにご馳走になることもあった。体力的にも精神的にもきつい旅であることに変わりはなかったが、案外僕も各地を回ることができていて楽しんでいた。高校時代の僕とは違って幾分かコミュニケーションを取れるようになったと思う。
ほぼ全ての住民に尋ね終わった頃、ある男性の老人が一年前に見知らぬ女性がやってきたという情報を教えてくれて、その女性が住む家へ案内をしてくれた。どうやらその女性は都会で生きていくことが難しく、事情があって警察には言えないため、年季の入った一軒家に一人で住んでいるのだそうだ。僕は高鳴る胸を落ち着かせようと深呼吸を繰り返しながらその老人について行った。例の一軒家の玄関先に辿り着いてドアをノックしようと手を前に出す。まだに胸の鼓動が治る気配は見せなかった。
正直、僕は彼女と対面することが怖かった。あれから十年が経過しているのだから僕ではない誰かをパートナーとして選んでいる可能性があったし、僕の助けを必要としていないかもしれない。漠然とした恐怖が僕の心を支配して目の前のドアをノックすることができなかった。後ろに立つ老人は突っ立ったまま何もしない僕を不思議に思ったのか「どうした?」と声を掛けてくれるが、僕は反応できなかった。
僕はアリスに出会ってから変わったのだ。そして、アリスを捜すために旅に出た。ここで怯えても仕方がないだろうと僕は自信を説得する。意を決した僕はドアをノックして「アリス、いるのか?」と久しぶりにその名を呼んだ。
一秒、二秒、三秒……。
一分、一分一秒、一分二秒……と時間がどれだけ経過しても反応はなかった。
老人男性が言うには少し出掛けているとのことだった。時々、例のその女性は周辺を散歩して男性の知り合いのお店で何かを買ったりするのだそうだ。その女性に会えなくて残念だと言う気持ち半分、本当はほっと胸を撫で下ろしていた。まだ確定したわけでもないので彼女に否定されずに済んだと安心してしまったのだ。僕は後日また来ることを伝えて一旦都会のホテルへ戻ることにした。
道中、今のアリスの容姿やどんな生活をしているのか想像を膨らませた。あの頃のアリスは高校生には似合わないほど大人っぽい容姿をしていたが、その反面笑った時の彼女はまるで子供のようだった。大人になったアリスには流石にそんな無邪気な部分が残っていないかもしれない。
そんなことを考えながら舗装の荒い道を歩いていると目の前から女性が歩いてやってきた。キャップをしているので彼女の顔はよく見えない。すれ違いざまに少し盗み見る。僕は驚いて思わず立ち止まってしまった。声を掛けなければ彼女は去ってしまうと思い、振り返った僕は思わずよく知っている名を呟いた。
「……アリス?」
声を掛けた瞬間、彼女は立ち止まった。その理由は分からない。だが僕の鼓動は再び高鳴っていた。そして彼女は振り向く。彼女の頬には一粒の涙が溢れていた。久しぶりに見る彼女はあの頃に比べてさらに大人びて見えた。僕は口を開くが何も言えなかった。ただいつの間にか僕も泣きそうになっていて、涙を溢さないよう一生懸命堪えていた。僕達は指し示したかのように近寄って抱きしめ合った。そこに言葉はなかった。
きっと誰もが物語のようなこんな再会があるとは思えないと言うだろう。だが間違いなく事実なのだ。抱き締めた彼女の体は間違いなく温もりがあり、間違いなく壊れそうなほどか弱くて、間違いなく力強く僕を抱き締めてくれているのだ。
月並みな表現かもしれないが僕はもう二度とアリスを離すことはないだろう。これから先は僕も一緒に彼女の罪を背負い、彼女の苦しみを共に感じるのだ。僕はさらに抱き締めるとアリスもそれに応えてより強く僕を抱き締めてくれた。
「ありがとう」アリスがほとんど掠れた声で呟く。
僕達の十年にも及ぶ物語はこうして幕を閉じたのだった。
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