*** 二〇二〇年 十月十二日 月曜日

 斎藤健二から琴葉の大まかな居場所について聞き出した昨日、僕は家族全員へあるメッセージを送信した。十月十二日つまり今日、大事な話があるから夕食後にリビングに集まって欲しいというものだった。食事を摂っていた時、僕たちの間に長い沈黙が流れてしまい気まずい雰囲気となっていた。普段なら学校での様子や最近ハマっている趣味について妹の未希が楽しそうに母に聞かせながら食事を摂っており、基本的には僕は沈黙を貫いているのだが時々未希の質問に答えていた。今考えれば当たり前のことなのだろうが、自宅で家族とコミュニケーションを取る時の僕はあまりにも無愛想すぎたと思う。そんな僕に対して血の繋がっていない母は何も言えなかっただろうし、そんな兄と両親の関係性を幼少期から見てきた未希は僕と本当の兄妹ではないことにきっと気付いているはずだ。そして、父とはほぼコミュニケーションを取ることがなかった。互いにコミュニケーションを取り方が分からなかったのだ。

 だがそんなのはここまでだ。琴葉に前を進んで欲しいと言われたのだから僕が抱えている問題は解決しなければならない。僕がここで逃げてしまったら、いつかリスに再会した時にどんな生き方をしても幸せになることができると証明することができない。たとえ八年の空白があったとしても本当の意味で家族になって前向きに人生を歩むことができるのだから、世間の言う普通の生活ができなくてもきっと大丈夫だと琴葉に言わなければならない。だからまずは僕が目の前の問題に向き合って僕が幸せというものを経験する必要があるのだ。

 夕食後、僕の隣に未希が座って真向かいに両親という位置で一つのテーブルを囲む形になった。全員の視線が僕へと集まる。とりあえず口を開くことにした。

「集まってくれてありがとう……。今日は、僕から言いたいことがあって時間をとってもらったんだ。えっと、その……」

 何と言葉を続ければいいか分からなくなり言葉に詰まってしまった。こうやって家族と面と向かい僕が話すという状況は初めてであり、言いたいことは単純だったがどう説明すればいいか頭が混乱してしまった。とりあえず上手く説明しようとするのではなく、短い言葉で目的から順に話すことにした。

「えっと、その……。今日は僕の進路について話しておこうと思ったんだ。まだ高校一年生なのに、なぜ?って思うかもしれないけど、とりあえず聞いて欲しい」

 両親と未希は無言で聞いてくれていた。

「単刀直入に言うと、高校を卒業したら進学ではなくて就職しようと思ってる。理由は……行方不明になっているある人を探したいからなんだ……」

 ひとまず目的と理由だけを述べてから少しだけ家族の顔色を伺った。未希はよく分からないと言わんばかりに首を傾げており、母は驚いたのか口を手で塞いでおり父は真っ直ぐこちらを見据えていた。父は琴葉の事件を捜査していたし、母は父から事件について尋ねられていた僕を見ている。故に両親は僕の探したい人物が琴葉だと何となく察しがついているはずだ。ここから僕の説得が重要となる。僕がしくじれば父を通して琴葉の偽装死が警察にばれてしまう。僕のミスによってそのような最悪な状況に陥ることだけは何としてでも防がなければならない。何としてでも父を説得しなければならなかった。

「あくまでその人が生きているかは分からない。もし生きていれば日本にいることは間違いないけど、具体的にどこにいるのか分からない。だから、日本中を旅しながら探したいと思ってる。そのためにお金が必要で時間がかかるほど探し出すことが難しくなる。高校を卒業したら就職して資金を貯めて、卒業して五年以内には旅に出ようと思ってるんだ。どう……かな?」

 父は無言だった。しかし先程と比べて、目に力が入って眉が上がり僕に対する視線が強くなっていた。

 警察としては琴葉が生きている可能性があるということに対して調査しなければならない。だが僕は琴葉が生きているという証拠を提示していないし、その人物が琴葉だとも口には出していない。おそらく警察全体として捜査したくても捜査員一人の推測で動かすことができないはずだ。僕が狙っているのはその状況自体だった。これにより僕は前に進むことができ、同時に琴葉を探すことができる。

 正直、嘘を吐いてしまえばわざわざリスクを負うようなことをせずに済んだと頭では分かっていた。だがそれでは琴葉に合わせる顔がない。僕自身の問題と対峙せずに逃げ出してしまったら琴葉に生きるという希望を与えることができないし、そんな僕に対して心優しい琴葉のことだからきっと自分を責め立てると思う。僕はどんな問題にも立ち向かえると琴葉に証明しなければならないのだ。

 どれほど父の言葉を待っても何も口を開かなかった。代わりに母が「私は構わないわよ」と優しく笑って答えてくれた。父とは違って母は僕がどれだけ簡素な受け答えをしても一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてくれていた。施設から引き取られた時から今まで一切変わらず血が繋がっていない僕を見放さずに本当の息子として接してくれた。今回も前に進もうとしている僕を肯定してくれている。そんな母に対して僕は一度も感謝したことがなかっただろう。

 別に人と接することが怖くなった原因となるトラウマが存在するわけではない。施設にいた頃の親友と離れ離れになって、いきなりやって来た夫婦を親として信用することができなかった。誰かを信用するという行為に慣れていなかったから裏切られた時のことが全く想像できなくて怖くて必要以上に警戒してしまったのだ。その結果、信頼するとか関係無く、ただ両親として接することが苦手になっていた。

 だがこれまでだ。琴葉にもらったチャンスを棒に振らず、一歩だけでもいいから歩き始めなければならない。その一歩として父を説得するところから始めるのだ。俯いていた僕は顔上げて視線を父に向ける。視線が交わると父は威厳のなる口調で言葉を口にし始めた。

「そいつは誰だ?」

「悪いけどそれは言えない」

「……なぜ言えない?」

「理由も、言うことはできない……」

「もしかして――」と父は口を開けたとき、意図的に遮るようにして思い切り立ち上がって「僕は!」声を上げた。隣に座った未希が驚いて肩をびくりと震わせたのが分かった。そして父は口を閉じた。

「僕は……助けることができなかった。あちこちに兆しがあったはずなのに全く気付けなかった。僕をわざと遠ざけて、一人でずっと闘っているんだ。その事実を知っているのにも関わらず、知らないふりをして普通の生活を送るなんて……僕にはできない。彼女と一緒に闘いたいんだ」

 僕の本心を素直に言葉にする。僕のことを優しいと形容してくれた琴葉を見捨てて、幸せになろうなんて僕が許せない。そんなものは世間では本当の幸福とされていたとしても僕にとっては偽物だ。それならば、できることなら琴葉と共に僕たちだけの幸福を掴み取りたい。

「ずっと……家族のみんなのことを避けていたんだ。施設から引き取られた時はいきなり信用することができなくて、今は単純に関係の修復方法が分からなくて、どう接したらいいか分からなくて……。身勝手に壁を作ってこのままでいいと思ってた、彼女に出会うまでは。彼女は僕と友人になってくれたんだ。最初は元気すぎる人で正直に言えば鬱陶しいと感じてた。でも次第にその笑顔を見ることが好きになってた。彼女の側に居たいって無意識に願うようになってたんだ」

 琴葉と出会わなくともいつしか僕は僕自身を認めて真っ当に生きていたかもしれない。しかし、間違いなく僕が今変わろうと思えたのは琴葉おかげなのだ。そんな琴葉の側に僕のような人間が居てもいいと言ってくれるなら僕もそう願う。

「でも彼女は僕をこれ以上巻き込まないために僕から離れた。全く願ってもいないのに僕から距離を置いて、前に進むように言ったんだ。だけど僕は彼女の願いを聞き入れないことにした。どれだけ時間が掛かろうと彼女を見つけ出すって決心した。僕は……多分、彼女のことが親友としてではない意味で好きだから」

 最初はただの赤の他人だった。いつしか友人になりたいと願い、今では彼女と隣り合って笑い合いたいと願っている。そんな人を救いたいと思うのは当然のことだろう。

「その前に僕は彼女の言うように前に進んでから探したいって考えている。僕がいま解決すべき問題は僕自身が作り出した壁を壊すことだったんだ」

 僕は母を数秒見てから頭を下げた。

「今まで本当にごめん。ずっと僕と向き合おうとしてくれていたのに僕の身勝手に付き合わせてしまって本当にごめんなさい。そして、ありがとう。そんな僕は否定せずに本当の息子のように接してくれていて。本当にありがとう、母さん……」

 顔を上げて母さんを見るとその目には涙が溜まっていた。今まで一度も『母さん』と呼んだことはなかったので、きっとそうやって呼ばれるとは思ってもいなかったのだろう。

 続いて僕は未希に視線を移動させて頭を下げた。

「未希、今まで兄として何もしてこなくて本当に悪かった。ごめん。僕と両親の関係性を見て、僕たちが血の繋がっていない兄妹なんだって何となく知っていたと思う。小さい時から冷たくあしらって悪かった。いつも元気に過ごしていたけど、きっと無理に笑っていた日もあったんだと思う。本当にごめん。だけどこれからは兄としてやれることはやろうと思ってる。だからもう無理に笑わなくていいし、怒ったり悲しんだり喧嘩したりしてもいい。こんな人間だけど、お前の兄になってもいいか?」

 未希も母さんと違って涙が頬を伝い、ズボンの生地を両手で掴んでいた。すると大声で泣き始めて僕に泣きながら抱き締めてきた。

「ぅぅ……うわぁぁー!! 馬鹿っ! うっ……うぅぅ……寂しかったよー! 怖かったよー!!」

 未希には本当に悪いことをしたと改めて感じた。こんなにも小さな体なのにずっと我慢してきたのだ。これからは兄として責任を持たなければならないだろう。五分ほどかけて泣き続けると流石に限界を迎えたのかようやく落ち着いたようで、僕から離れて普通に座り込んだ。最後に父に向かって頭を上げた。

「今まで本当にごめん。これからしっかり家族の一員として接しようと思う。だから頼む。許してくれないかな、父さん」

「……分かった。好きにしろ」父さんはそれ以上何も言わずに自室へと向かった。

 何とか父を説得して僕自身の問題と向き合うことができた。今すぐ本当の家族のように接することはできないがこれで前に進むことができる。いつしか本当の家族として接することができるようになりたいと思う。その手始めに未希と一緒に今度映画に行く約束をして、風呂に入った後に初めて未希と一時間以上会話をして兄妹らしいことをした。階段で父さんとすれ違った時に「頑張れよ」と声を掛けてくれた。後ろを振り向いてありがとうと感謝を言おうと思ったのだが、僕の返事なんか元々聞くつもりだったのかすぐに去っていった。

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