*** 二〇二〇年 十月十一日 日曜日
「あんたに聞きたいことはたった一つだ。彼女がどこへ向かったか教えろ」
「しつこいな! さっきからそんな子知らないって言ってるだろ!!」
焦りを隠すように大声で怒鳴りつけているようだったが、中年男性にしてはやけに声が高かったので大して怖くはなかった。止めどなく額から滲み出てくる汗や忙しなく動かし続けている両手の指を見て、普段から怒り慣れていないことがすぐに分かった。横暴で自己中心ではなく小心者で従順になりやすい性格だから琴葉はこの人間を利用したのだろう。
「仮にその女の子をAさんとしよう。本当にAさんのことを全く知らないのだったら、なぜそんなにも焦っている? それになぜここへ来た?」
小心者な中年男性、斎藤健二は一度黙り込んだ。こういう性格の人間は徐々に追い込んでいけば自ずとボロを出してしまう。ゆっくりと精神的に追い詰めていくことで情報を引き出すのだ。
「もう一度聞く。なぜここへ来た?」
「そ、それは……いきなり知らない人間から『犯罪者になりたくなかったらここへ来い』なんてメールが送られてきたら来るしか無い、だろ」
メールというのは僕が斎藤健二に送り付けた脅しのことだった。僕は琴葉がどこへ向かったのか知るために最後の頼みとして、協力者である斎藤健二から情報を得ようとした。斎藤健二という男に接触することは案外簡単だった。琴葉があの山奥に埋めたのは日記のファイルと黒のスマホだ。僕の記憶違いでなければ琴葉のスマホの色はシルバーだったので、あのスマホは別人のものとなる。もちろん琴葉が新しく買い替えたとか格安スマホを購入したとも考えられるが、それだと警察が琴葉という人物を調査する上で電子記録に残ってしまう可能性があり、あんなにも緻密な計画を立てた琴葉がそんな単純なことに気づかないわけがない。
そこで黒色のスマホは協力者のものなのではないかと見当をつけ、書かれていたメールアドレスに『犯罪者になりたくなかったらここへ来い』というメッセージと共にいつもの喫茶店の住所を書いて送信した。もし僕の想像通りであれば痴漢の動画や遺体の盗難のことを考えて喫茶店にやって来るはずだと考えた。あのスマホが協力者のものでなかったら別の方法を考えようと思っていたのだが、運が良いのか琴葉の協力者である斎藤健二のもので合っていたようで『分かった』とだけ返事が返ってきた。後で気付いたのだが、そのメールアドレスは琴葉によってパスワードと共に送られてきたものと一致していた。だからこそ警察には協力者に辿り着かなかったのかもしれない。
まだ琴葉について隠せる余裕があるようだったので、問答無用にさらに追い詰めることにした。
「何もやましいことがなければ怪しすぎる脅しを見てここへは来ないだろ。僕に会いにきた時点でお前は終わりなんだよ。というか、僕はすでにお前の知られたくない秘密を知っている」
「なっ!!」と目を見開いて前のめりに反応し、何か言おうとして言葉が見つからず口を開いては閉じてと繰り返している。
「このニュースを知ってるか?」と言いながらスマホにある記事を表示して前のめりになった斎藤健二に見せつける。目の前の男は必死に記事に書かれた文章を目で追っているようで、僕は淡々と言葉を続けた。
「約二ヶ月前、ある遺体安置所に保管されていた身元不明の遺体が盗まれたらしい。その遺体は女子学生のものだったらしい。他にもその四日後にはまた別の女子学生の遺体が火災現場から見つかり、おまけには白骨化した上で頭部が粉々に潰されていたようだ」
斎藤健二は頭部破壊に反応して今度は僕の目を見た。後もう少しだ。
「なんでそこまで知ってるんだって顔だな。それはそうだ。白骨化まではニュースで報道されていたが、頭蓋骨の粉砕については報道されていない。そんなにも具体的なことを知っているのは事件に関わっているはずの容疑者ぐらいだ。だけど僕が関わっていないことをお前は知っている」
次に僕は無言で斎藤健二が映った痴漢動画を無音声で再生し始めた。すると斎藤健二は慌てて僕のスマホを奪おうと腕を伸ばしてきたがスマホを奴からすぐに離して同じ質問を繰り返した。
「もう一度聞く。Aさんはどこへ向かった? 質問に答えなければこの痴漢動画をSNS上に匿名でアップロードする」
「わ、分かったから。もうやめてくれ……」斎藤健二は頭を抱えながら弱々しい声で音を上げた。
「ほ、本当に居場所は知らないんだ。信じてくれ……」
「そうか……。じゃあ今ここでアップロードしてやる」
僕は無慈悲に答えたが「待ってくれ!」と大声で静止されたのでひとまずアップロード寸前で止めた。
「待ってくれ……。いま、何か言っていなかったか頑張って思い出す、から……。えっと……えっと……。確か、彼女は最後の日……。そ、そうだ!!」
何か思い出したようだったので「何だ?」と尋ねる。
「そういえば、北に向かうって言ってた! 本当だ!! 一人でひっそりと生きていくつもりだって……」
「それは本当か?」
「本当だ! だから頼むから動画をネットに上げないでくれ……頼む……」
そう言って地べたに額を擦り付けるように土下座をしてきた。店内の客が何事かと視線が集まっているのが分かったが、僕は気にせず念を押して聞いた。
「本当にその子はそう言ってたんだな? もし嘘を吐いていたら動画をSNSにばら撒くぞ」
「本当だ!! この通りだ!!」
気弱な性格の男が他人に見られながら土下座をしていて嘘を吐くようには思えなかったので僕はその発言を信じることにした。「分かった」とだけ呟きその店を立ち去ろうとした。その際、斎藤健二の耳のそばに口を近づけて呟いた。
「琴葉の助けになったことは感謝する。だが痴漢も十分犯罪だ。ネット上にこの動画は上げるかはお前次第だし、一生消しはしない。それだけ覚えておけ」
斎藤健二の土下座が店内の客から注目されて店員が声を掛けてきた頃、僕は何も言わず無言でその店を去った。
そして前に進むためにはあともう一つの問題を解決しなければならなかったので自宅へと向かった。養護施設から離れて以降、ずっと自ら避けてきたものに向き合う必要があった。
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