*** 二〇二〇年 九月二十二日 火曜日
「なるほど……。だから君は琴葉ちゃんが生きてるんじゃないかって推理したんだ」
「あぁ。たぶんここまでの推理に穴はないし、この可能性が最もあり得ると僕は思ってる」
「確かにその推理だとこの事件に関して全て辻褄が合う。だけど別問題も出てくると……」
一ノ瀬さんは机に置いてあるノートの文字を目で追いながらそう独りごちた。彼女の思考を邪魔しないように僕は少し黙っていた。僕たちは互い慣れた学校の図書室ではなく以前から利用しているカフェへとやって来ていた。僕の推理をまとめたノートを読んでもらい、現時点での僕の考えをもう一度検討してもらっているのだ。
「君の推理についてはわかったし、私もこの推理が間違っているとは思わない。だから次はその別問題について教えてくれない?」
「わかった」と答える。
琴葉はなぜあんなにも緻密な計画が必要な方法を選んだのか、なぜあのタイミングで決着をつけようとしたのか、そして遺体はどこから入手したのか、以上の三つの疑問とそれに付随する推理を一ノ瀬さんに全て話した。
「――以上だ。最初の二つに関してはさほど重要ではないし、最悪考えなくても構わない。だけど、三つ目の遺体の出所については辻褄という意味では最重要だし、もしその出所が分かれば琴葉を探す手がかりになるかもしれない」
「……それはそうだけど、遺体の出所なんて、私たちみたいなただの学生には調べようがないよ。君の言うように遺体の出所はその二択だと思う。けどどちらにせよ、よっぽどの確証が出てこない限りどっちか決めつけて調べるのは非効率で時間の無駄だよ。だから最初の二つの疑問について考えるべきだと私は思う」
冷静に分析していた一ノ瀬さんは焦っている僕を宥めるかのように意見を述べる。協力者を得た今、いち早く疑問を解き明かして琴葉を探しに行きたかった。しかし彼女の言うように、一般人の僕たちが遺体の出所を調べるにはあまりにも時間がかかってしまうし、もしその二択を外してしまったときの遠回りのことを考えると得策ではないと理解した。
「そうだな、悪かった。少し冷静になる」
「うん。他に情報を集める手段が思い付かないし、とりあえず君が抱いた二つの疑問について考えていこう」
僕たちは共有した二つの疑問について精査することにした。
「じゃあ、まずは一つ目の疑問について考えようか。なんで琴葉ちゃんはこんなにも面倒な方法を取ったんだろう? ただ虐めから逃げたいんだったら不登校になるのが一番早い」
「僕もそう思う。たとえ虐めをやめさせたかったからだとしても、その内容が映った動画をSNSに匿名でばら撒けば虐めはなくなるはずだ。けど琴葉はそうはしなかった」
あらゆるSNSを確認しても、現実としてそんな動画は一切見つからなかった。ニュースでも報道され、学校で噂として広まっているのにも関わらず、虐めが映った動画がSNSで話題にならないということはそもそも存在しないのだろう。
「この事件を起こすことで、アリス、いや琴葉には大きなメリットがあったということか」
「そうだね……。あっ、一つ気になったことがあるんだけど」
「何が気になったんだ?」
「なんで、琴葉ちゃんは直接的な証拠を用意しなかったんだろう」
彼女が抱いた疑問の意味が不明だったので「どういうことだ?」と聞き返す。説明が足りないことに気付いたのか一ノ瀬さんは説明をしてくれた。
「もし君が考えたように、こんなにも面倒な計画を立てて虐めの主犯格を犯人として嵌めようとしたんだったら、それを示す直接証拠を用意した方が確実に罪に問えるでしょ? でも実際にはその人物が犯人だと示す直接的な証拠は出てきていない。それってなんだかおかしいと思って」
「なるほど……」顎に手を当てて僕も思考を始める。彼女の言うように工藤瑞稀が殺したと思わせようと計画したのであれば、それを示す証拠を用意しないのはおかしい。こんなにも緻密な計画を立てたのだから用意し忘れたなんてことはないはずだ。
「証拠を用意できなかったとか?」
「それも考えられるけどそこまで難しくないと思うんだ。例えば、その人物が身に付けていたキーホルダーとかに自分の血を塗り付けて現場付近に落とすとか。やりようはあったはず」
「それはつまり証拠を用意できなかったか、もしくは意図的に直接証拠を用意しなかった?」
「そういう事になるね」
もし本当に、直接証拠を意図的に用意していなかったとしたら、それはどんな場合が考えられるだろう。証拠を残すことができたはずなのに残さなかったということはその方が都合良かったからだ。確実に工藤瑞稀を犯人に仕立て上げることができたのにそうはしなかった。
「そもそも琴葉は工藤瑞稀を犯人として警察に捕まるよう仕向けなかったとか……」
「どういうこと?」と一ノ瀬さんは首を傾げてこちらを向く。
「例えば、あくまで工藤瑞稀が犯人かもしれないという噂を流すことが目的で、警察に捕まって犯罪者として裁かれる必要はなかったとか」
一ノ瀬さんは「噂を流すことが目的……」と自分に理解させるように小声で呟く。なんとなく脳内でその意味を咀嚼し終わると「でも……」と反論する素振りを見せる。
「それってなんの意味があるんだろう?」
僕は素直に「分からない」と答えた。あくまでのこの推測は可能性であったまだ確定ではない。大きく視野を広げて様々な側面から可能性の取りこぼしがないように推理しているだけだったので、僕にもそこまでする必要がある理由が思い浮かばなかった。数十分かけて思考を進めても互いにしっくりとくる意見が出てこなかったので、次の疑問について考えることにした。
「次はなぜこのタイミングで事件を起こしたのかについてか。学校がある時ではなくて夏休みの間に事件を起こしたのはなんだか不思議だね」
「やっぱりそう思うか……。でもあの事件を除いて、奴らと琴葉が接触したとは思えない」
琴葉が事件を起こしたのはちょうど彼女の高校の夏休み期間中のことだ。その期間に琴葉が虐めに遭っていたとは考えにくい。お嬢様学校に通う奴らはきっと自分たちが高尚な人間だと思っている。充実した日々を送ろうと必死だろうし、せっかくの長期休暇を無駄にしてまでわざわざ虐める理由や必要なんてないだろう。工藤瑞稀のようなクズは学校生活が退屈に感じるからこそ他人を貶めることに娯楽を見出す。学外にはたくさんの娯楽施設や楽しみ方があるのだ。だから夏休み中に工藤瑞稀と琴葉が事件を除いて接触したとは考えにくかった。
「二人が会っていないとしたら何かを見たり知ってしまったりしたとか? でもどんな情報を手に入れたら、こんなにも面倒な事件を起こそうと考えるんだろう……」
「例えば世間に見られたくないほど、酷い虐めの映像を工藤瑞稀が持っていたとする。その映像をSNSに投稿するって電話で脅されたとか?」
「それはないと思うよ。もしそうなら通話記録が残っていて、警察は琴葉ちゃんの両親にそのことを伝えているはず。でも君は琴葉ちゃんの両親からそのことを教えてもらっていないから可能性は低いんじゃないかな」
彼女の言う通りだと納得した。たしかに通話記録が残っていれば琴葉の両親に捜査状況の一部として報告されるはずだ。僕が知らされていないということが何よりの証明だった。
「やっぱり二人が接触したと考えた方が自然だよ。偶然鉢合わせたとか学校で会ったとか」
「いやでも夏休み中に学校で会うって、登校日以外にない……だろ……」
ふと自分の口から溢れた言葉に引っかかりを覚える。夏季休暇の間は授業がないのだから学内で琴葉と工藤瑞稀が接触していないだろうと思っていた。しかし、夏休みに一度だけ学校へ行かなければならない日が僕にも琴葉にもあった。互いに同じ日が登校日だったので、会う約束をしていなかった日があったではないか。
記憶の中の奥深くを探る。異変を感じたあの日、琴葉の台詞が頭に浮かんだ。
「僕たちが夏休みの間に一度登校した日はいつだったか覚えてるか?」
「八月十日だったと思うけどそれがどうしたの?」
「火災が起きたのは八月二十二日で、登校日からは二週間弱だ。もし登校日に何か起きてしまって、それが事件を計画するきっかけになったとしたら」
「登校日に二人が接触したと……。たしかに時系列は合うし疑いたくなるのもわかる。でも何か根拠がないと推測の域を出ないよ」
彼女が抱いた疑問に対して僕は確信を持って「根拠はある」と答えた。
「最後にアリ――じゃなくて、琴葉と会ったのは登校日の翌日なんだ。その日の琴葉は何か隠そうとしている感じでどこか様子がおかしかった。八月九日に会った時はなんともないようだったから登校日に何か起きたんだと思う。それに……」
僕がもう一つの根拠を言おうとすると、一ノ瀬さんは一言一句聞き逃すまいと前のめりになっていた。
「それに、琴葉は二週間ほど会えないって言っていたんだ」
「それって……」
「多分、事件の計画を立てて遺体の準備をしていたんだと思う。実際にその日以降琴葉と会っていない」
琴葉が工藤瑞稀と決着をつけようとしたのは八月二十一日、最後に琴葉と会ったのは八月十一日。僕たちは登校日に何かが起きてしまったという確信を持ち始めていた。その確信を確実なものとするため、以前学校での様子を教えてくれた秋野さんに電話をかけた。前回尋ねた時は今回のように具体的に日にちを指定していない。登校日での琴葉の様子を聞いてなかったし、彼女の友達から何か情報を得ているかもしれなかった。
しばらくして彼女は電話に出てくれた。僕は自分自身を落ち着かせながら登校日について秋野さんに電話越しで尋ねた。
「……何か知らないか?」
『登校日……。ちょっと待って下さい、何か友達が言ってた気がする』
次々にページの捲る音が聞こえる。何かノートに色々とメモをしてくれているのかもしれない。琴葉を助けることができなかったことを悔やんで、もう後悔しないように彼女なりに前に進もうとしているのだろう。赤の他人のためにそこまで必死になれる彼女が僕は少し羨ましかった。
数秒ほどで彼女は再び話し始めた。
『私の友達の話なんですけど。その日の放課後、教室の中を覗き込んでいた有栖川さんが廊下を走り去っていく所を見たって。それも切羽詰まった様子で』
「教室の中……? その生徒はその教室の中を見たのか?」
『少しだけなら。工藤さんを含む数人が一人を囲っている感じだったって。その子が言うには虐めにも見えたみたいです。なんだかまずいもの見てしまった気がして、すぐ見なかったことにしてその場を離れたって言ってました』
頭の中の歯車が噛み合ってゆっくりと動き出すような感じがした。僕は最後にその生徒の名前を教えてもらい「わかった」と言って電話を切った。念のために今まで友達から聞いた情報を送って欲しいと頼んでおいた。
「彼女はなんだって?」一ノ瀬さんが僕の顔を覗く。秋野さんに今さっき教えてもらった内容を彼女に伝えた。
琴葉があの事件を起こそうとしたきっかけに関して、高確率でその教室の中の出来事が絡んでいる。事実かどうかはっきりするためにも僕は秋野さんが言っていた女子生徒に会う必要があるだろう。もしかすると琴葉と接触していたかもしれないし、何か工藤瑞稀の隠された事実を知っているかもしれない。
互いに顔を合わせる。僕たちの次の行動方針が決まった。
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