*** 二〇二〇年 八月三十一日 月曜日
まずは情報収集が必要だった。あの日の事件について思考しようにも情報が足りなさすぎる。手っ取り早く調べることができるのは学校生活だった。何かしらヒントが隠れているかもしれないし、アリスのことを知るという意味では一番近いと考えた。
というわけで僕は今、アリスが在籍していた帝柄川女子高等学校の正門前に待機していた。門の左右には赤褐色の煉瓦が守るようにして積み上げられており、門の上には翠色のアーチ状をした看板のようなものが建てられている。校舎は白を基調とした英国の城を彷彿とさせるような建築物で、中央の中庭は鮮やかな花が囲むようにして植えられており、きちんと手入れされているのが遠目にもわかった。どの要素を切り取っても美しさを損なわないような雰囲気が素晴らしかった。お嬢様学校と呼ばれるに相応しい佇まいをしていた。
僕はその雰囲気に感心しつつも門から出てくるであろう生徒の流れを待ち続けていた。本当は三日前の金曜日にここへ来ようと思ったのだが、学校に関する情報を調べた方が効率よく動けると考えたので、土日の間は学校の調査に時間を費やした。
僕が利用したのは学校の情報が公に掲載されている学校サイト、在校生によってリアルタイムに投稿されるSNSのこの二つだ。学校の正式なサイトであれば学校内の地図や時間割などの基本的な情報を閲覧できるし、外部の人間が知れない情報が赤裸々に投稿されるSNSであれば、学校のリアルな内部事情や在校生がよく利用する電車など、学生の詳細な情報を知ることができた。また、事件について呟いていたり誰が犯人なのか名指しで書き込んでいたりする生徒もいたが、ただの憶測に過ぎず信憑性に欠けたので取り敢えず触れないことにしておいた。もしかすると有用な情報が載っていて今後必要になった時に削除されている可能性もあったので、定期的にタイムラインを録画して保存することにした。
ふと右手首に巻いた腕時計を見やると、そろそろ全授業の終わるチャイムが鳴る頃だった。僕はこれらの情報源からこの時刻に聞き込みをしようと決めていた。朝の登校時間を選ばなかったのは門の前に学年主任が交代交代で見張りをしているようだったからだ。二年生と思われる女子学生が門の前で学年主任かつ担任である先生にスカートについて注意されたという愚痴を投稿していた。僕はその投稿を見て朝での聞き込みは除外した。
教師が門へ来ないであろう放課後であれば、ある程度の数の生徒に対してアリスのことや事件について尋ねることができるはずだ。と言っても流石に十分以上も長居すれば、職員室にいるはずの教員に正門付近で聞き込みをしている輩がいるとばれるに違いない。これは時間との勝負だ。そう何度も聞き込みをすることはできないだろう。学校側に探られていることがばれてしまえば、下校時間にも教員を配置される可能性があるのだ。今日中に有益な情報を掴むことができなければ、アリスの学校での様子を知る手段はほぼ無くなってしまう。どうしても今日だけは何かしらの情報を持って帰りたかった。
そして待ちに待ったチャイムの鐘が鳴り終わると、校舎から生徒が溢れていくのが見えた。部活動に向けて体操服やそれぞれの様式にあった衣服に着替えた生徒もいれば、鞄を両手で持って正門へと向かってこちらへ歩いてくる生徒もいた。
これでもかというほどに息を吐き出して深呼吸を繰り返した。声を整えながら服の襟を無意識に正す。
するとちょうど門から大人しそうな女子学生二人組は出てきたので、覚悟を決めると近くまで駆け寄っていき声をかけ始めた。
これで何人目だろうか。時計を確認すると十分程が経過していた。現時点で話を聞くことができたのは四分の一程度の二人ほどだった。残りの四分の三の女子生徒に関しては明らかに警戒した様子で僕を避けるように門から出ていった。無視を決め込んでそそくさと帰って行った人もいれば、訝しげな視線を送りながら「知りません」の一点張りで逃げるように帰っていく人だっていた。
よく考えなくても当然のことなのだが、暗い雰囲気を漂わせた男子が門から出てくる全ての女子生徒に声を掛けるのは恐怖の対象でしかないだろう。何か良からぬことを考えているのではないかと考えると自然だった。むしろ僕の問いに答えてくれた人たちが異常すぎた。話を聞こうと声を掛けると、最初は警戒している様子だったが、何の害もないと分かると正直に僕の質問に対して答えてくれた。
質問の返答について結論から言うと、アリスのクラスメイトや部活仲間だった学生は誰一人いなかったので、学校生活については何も聞き出すことができなかった。どうやら放課後すぐのこの時間帯に下校している学生は部活を引退した三年生が大半らしく、部活動に入っていない一年生や二年生がいる方が珍しいらしい。この高校に在学している実に九十パーセント以上の生徒は何かしらの部活に所属している。だから必然とこの時間帯に下校するのは三年生が多いのだそうだ。
アリスについて知っている者は一人もいなかったが、遺体が見つかった事件について知っているかと尋ねたところ、話を聞いた学生全てに共通して皆が周知していた。詳しい話を聞くと、ほんの昨日までマスコミが学校に押し掛けてきて、生徒に対して強引かつ過剰なインタビューを無断で行っていたのだそうだ。しかもそれに加えて警察による聞き込みもあったので、学生の間で女子生徒が亡くなったという衝撃的な事実が流れてしまったらしい。テレビでも事件について見たことがあったので、アリスの本名や容姿だけは逆に知っているようだった。
結局、アリスの学校生活に関する情報は何一つ得ることはできなかった。この時間帯ではアリスに関する新情報を聞き出すことはできないだろう。できれば部活動が終わる時間帯にまたここへ来て聞き込みをすべきかと考えたが、それはあまりにも危険だった。部活終わりとなれば教員が帰宅する可能性が高まるのですぐに見つかってしまうリスクがある。今後のためにも教員にはあまり顔を知られるわけにはいかなかった。
そろそろ潮時かと思って切り上げるべきか迷っていた頃だった。正門から黒髪ショートの女子生徒が現れた。その女子生徒は明らかに不審者扱いしているような視線を僕に送りながら僕へと接触してきた。
「あのー。こんなところで何をしているんですか? 先生呼びますよ……」
その学生は鞄の中に片手を突っ込みつつ一定の距離を保ちながら警戒した表情でこちらを睨んでいる。何かとてつもない不幸が僕に降りかかろうとしているのではないかという予感がした。手探りで中から取り出されたのはスマホだった。一瞬だけ目をスマホ画面へと動かすと即座に何かしらの番号を入力して耳に押し当てる。
予感は的中した。この女子は僕を怪しい人物として校内にいる教員に電話で知らせようとしているのだ。耳に押し当てたままで電話をかけないのは僕に対して不審な動きを見せたら通報すると脅しているのだろう。今ここで教師を呼ばれたら僕は完璧に不審者扱いになってしまう。先生という言葉に焦った僕は必死に弁解しようと口を動かす。
「いや……別に怪しい者じゃない。あることに関して聞き込みしていただけで――」
「私からするとめちゃくちゃ怪しいです。あることって何ですか? 正直に答えないと警察を呼びます」
いつの間にか通報する相手が先生ではなく警察に変わっている。教師という立場よりも警察の方がよっぽどまずい。側から見れば僕は当然、不審者として彼女らの目に映るだろう。ここで何かしらのトラブルを起こしてしまえば、今後調べにくくなってしまう。どうにかしてこの黒髪の女子生徒を落ち着かせる必要があった。
「本当に何もしていない。ただあることについて知りたくて、ここの生徒に話を聞いていただけだ」
「だからその『あること』って何ですか? 十秒以内に答えてください。十、九――」
勝手にカウントダウンを始められてしまった。正直、僕はこの女子生徒に事件について調査していると事情を話すことを躊躇っていた。大人しく全てを話したところで余計に不安を募らせて通報されるかもしれない。このまま逃げてしまっても良かったが、彼女に捕まえられるという可能性だってあった。昨日の全力疾走で僕の体は未だに疲労感が残っているし筋肉痛も引き起こしている。逃走を図るのは得策のようには思えなかった。
となると僕には一つの選択肢しか残されていなかった。
「……分かった。大人しく事情を話すから通報だけはやめてほしい」
「じゃあ、その事情とやらを早く言ってください」
「あぁ」と僕は短く返事をすると、一度深呼吸をしてからゆっくりとした口調で話し始めた。
「君も知ってるだろうけど、九日前、この学校に在籍している女子生徒が火災現場から遺体として見つかった。信じられないかもしれないけど、その女子生徒は僕の友人だったんだ。そして、僕の知る彼女と本当の彼女が実は違うんじゃないかって疑ってる。そのためにここで彼女の学校生活について聞き込みをしていたんだ」
「……」簡潔に弁解し終わっても彼女は黙ったままだった。
「だから、別に怪しい者じゃ――」
「……それで、聞き込みをした結果は? 彼女の学校生活について何か知れたんですか」
唐突な問いに僕は遅れながらも正直に答えた。
「誰も知らなかった。というかそもそもアリス……有栖川琴葉と同学年である一年生にも会えなかった。大半の学生は部活動をしているみたいで、門を出てきた学生の全てが三年生だった」
「……」目の前にいる眼鏡をかけた彼女は視線を地面に落として何か考えている様子だった。僕が信頼に値するかどうか見定めているのだろう。そしてすぐに答えは決まったようで再び僕へと顔を向けた。
「事情は分かりました。どう考えても不審者にしか見えませんが、悪意を持っているようには感じなかったので、ひとまず通報はしないことにします」
「それは助かる。じゃあ、そろそろ帰ってもいいか? この時間帯じゃ何も得られそうにないから帰らせてもらうよ」
そう言って僕は半ば逃げるようにして後ろを振り返る。本当は帰る気なんて微塵もなかった。彼女が居なくなったのを見計らって再度聞き込みを続けようと考えていた。帰路に着く素振りを見せるために駅へ向かおうとした、その時だった。
「私は……彼女と同じ一年三組です」
「……。え? 今なんて……同じ組だって言ったのか」一瞬、間が空いてしまって頭で理解するのが遅れてしまったが、思考が追い付くとすぐに振り向きながら彼女に尋ねた。
「はい、私は有栖川さんと同じクラスメイトでした。それで聞きたいことって何ですか?」
ようやく彼女の学校生活について知っているであろう人物に出会うことができて僕は心の中で喜んだ。彼女から上手く話を聞き出すことができなければ、一時的に得た信頼を失くしてしまってさらに悪い状況が陥るかもしれないと僕は一瞬考えた。しかし、彼女の表情を見るとそれは無いなとすぐに結論付けた。
さっきまで明らかに僕を敵視した視線を送っていたが、今の彼女は警戒というよりも叱られた子供のような目をしていたのだ。もしかすると何か後ろめたいことがあったのかもしれない。目の前に立っている女子生徒、
むしろ重要な手がかりになることだってありうるだろう。
僕は友人としてアリス……いや、有栖川琴葉について知る義務があるのだ。
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