*** 二〇二〇年 八月二十八日 金曜日
『約一週間前の十四時ごろ、〇〇市のある住宅が半焼し、中から女子高校生と思われる遺体が発見されました。発見されたのは帝柄川女子高等学校に通う有栖川琴葉さん。白骨化された状態で発見されたため、警察は殺人事件である可能性を考慮して捜査を進めており――』
ニュースキャスターは原稿を目で追いながら朗々とした口調でニュースを報道している。
アリスと出会ってから今日までの出来事が頭の中を駆け巡った。そうだ、これは紛れもなく事実で現実なのだ。彼女は当に死んでしまってもうこの世には存在しない。心だけでなく肉体すらも綺麗さっぱり消え去って、彼女本人と認識できるものは全て無くなってしまった。唯一、人間味のない遺骨だけが残っているだけだ。彼女の遺族や親族でもない僕は収骨に参加していないので、彼女の亡骸である白骨を見ることすらできていない。というかこの目で確認したところでなんの意味もないだろう。彼女の死を受け入れてしまった僕にとって、ただ彼女の身体を構成していた骨を見てしまっても驚くほど何も感じない。警察ドラマで出てくるようなどこか作り物めいた物体に何を感じろっていうのだ。
テレビに映るニュースキャスターはあの火災現場や遺体について原稿に目を走らせながら淡々と報道していた。この人にとって彼女の死は日々舞い込んでくるような報道する上で必要な情報の一つに過ぎないのだろう。今日という日を通り過ぎれば、この出来事の内容やどんな人間が亡くなったのかなんてすぐ忘れるだろうし、そもそも存在したという事実さえ家に帰ってしまえば仕事からの開放感によって頭の中から抹消してしまうはずだ。
今この時、登校前に朝食を摂っている中高生がバターを塗りたくった食パンを齧りながら報道されたこのニュースを見ているかもしれない。家事や出勤前の身支度を整えている両親が我が子と一緒にテレビに映し出されたこの報道を見ているかもしれない。画面に映った彼女の生前の姿を見て、火災で亡くなった遺体のことを聞いて、こんな会話が繰り広げられるのだろう。
『まだ若いのに可哀想だね』『何があるか分からないんだからお前も気をつけるんだぞ』『わかってるよ。行ってきまーす』
そうして日々送っている自分の日常にそれぞれ戻っていくのだ。同世代の若者が死んだという報道に可哀想だなというちっぽけな感想しか抱かない。皆にとってそれほど取るに足らない出来事なのだ。言葉では憐んでいる癖に、他人の死を本気で悲しんでなんかいない。所詮、筆箱にあったはずのボールペンが知らないうちに無くなっていると同等の、もしかするとそれ以下の感覚でその程度の悲しみしか感じないのだ。
こうやって、この事件を知った人間は特に気に留めることもなく忘れ去っていくのだろう。彼女は間違いなく生きていたはずなのに、まるで元々存在しなかったかのように記憶の中から消えていく。当然のことだ。頭では納得して理解しているはずなのに、なぜかたまらなく許せなかった。アリスの生きていたという現実がこの世から消えていくような感覚に陥った。
気付くと、いつの間にか番組は別のニュースを取り上げていたので、僕はテレビの電源を切って部屋へと戻った。ベッドに再び寝転んでこの衝動に対してどうのように対処すべきか思考を回した。
ある程度クリーンになった頭の中で、感情が昂らずに今後どうすべきかを考える余裕を得ることができた。昨日のことについて整理し終わると僕は今後について考えた。その中で一つだけ、抜きん出て強く願っていることが思い浮かんだ。考える必要なんて全くなくて、僕が今すべきことや知りたいことはあの遺影を見た時からすでに決まりきっていた。僕は……本当のアリスについて知りたいのだ。いつも楽しそうに目を細めて笑っていたアリスが、なぜ遺影やニュースで流れた写真にはあんな冷たい表情で写っていたのか。そしてなぜ、告別式の時に同級生の誰一人も涙を溢していなかったのか。
僕は本当のアリスを知らないのではないか、そんな疑念を抱いた。
あのアリスのことなのだから、学校には溢れるほどの友人がいるに違いないと僕は想像していた。確かにアリスは所謂クールビューティーと言われるような顔立ちをしているのでとっつき難いイメージが先行してしまい、初対面でコミュニケーションを取ることは難しいだろう。しかし、それとは真反対に天真爛漫な彼女の性格はギャップのおかげもあってか、特段魅力的に映るはずだろうからむしろ友人ができやすいと思っていた。
だからこそアリスに友人がいないということが信じられなかった。あの日、告別式で泣いていた、もしくは悲しんでいた同級生は誰一人いなかった。先生を含めた皆が顔を下に向けて俯いているだけで、アリスの死に対して嘆いているようにはどうしても見えなかった。あの葬式に出席した同級生の中にはアリスと親友と呼べる者がいなかったと考えるほうが自然だった。極め付けはあの遺影だ。同じく力強い双眸をしていたが、初対面で受けた印象とはまるで異なっていた。始めて僕が受けた印象が己の信念を貫くような絶対的自信を持っているようなものであったのなら、あの遺影から感じたのは人を拒むような冷徹なものだった。
以上の理由から僕はアリスについて知らないことだらけではないのかと思った。だから僕は彼女について知る必要がある。僕はアリスが死んでしまった理由を知りたい。なぜ、死ぬに至ったのか真実を知りたい。
そして、これがあの父の言うように殺人なのであれば、その殺した犯人を突き止めて聞き出す必要がある。あの日、何があったのか、なぜ殺す必要があったのか。場合によってはある程度この手を汚す必要があるかもしれない。その時は真実を知るために覚悟しなければならないだろう。あくまでこれは復讐ではない。その殺人犯を憎んでもアリスはもう戻ってはこない。その行為には何の意味もなく自己満足に過ぎないのだ。状況によっては痛めつける可能性だってあるが、ただ真実を知るためには致し方ない。むしろこのぐらいの意気込みがなければ真実に辿り着くことはできないだろう。今後の方針が決まると上半身を起こして一度深呼吸した。
絶対に何が起こったのか暴いてみせる。心の中でアリスに誓うと汗に塗れた体を洗い流すために僕は風呂へと向かった。
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