◇◇◇ 二〇二〇年 八月二十一日 金曜日

 室内が異質なほどの静寂に包まれているせいか心臓の鼓動は徐々に早くなっていった。手で触れずともこれ以上ない早さで脈打っているのが分かる。いよいよここからが本番だということに今更ながら緊張し始めたのかもしれない。ベッドに力を抜いて横たわっていた私は身体中に鳴り響かせている心臓の真上に手を押し当てて、一度大きく息を吸い込んだ。胸の上に重ねた手は僅かに震えていて、改めて自分は弱い人間なのだと再認識した。このままでは計画に支障をきたしかねないので、まずは準備を進める前に手の震えを軽減させることに努める。

 ゆっくりと息を吐き出す。

 しばらく見上げていた天井と自分を結ぶ線上に手を差し伸ばす。幾度か深呼吸を繰り返していると、心臓の鼓動は弱くなっていく気配を見せなかったが案外あっさりと手の震えは収まり始めてくれた。時計を確認するとそろそろ動かなければならない時間だったので、鼓動音が耳に五月蠅く鳴り響きながらも体を起こして準備を進めた。その間、この夏休みで彼と過ごした日々を私は思い返していた。こんなにも感情が激しくうねった夏はこれまでの人生の中で一度も経験したことがない。間違いなく一番幸福を感じたと言える日々を過ごせただろう。彼と過ごした夏休みは私の中でかけがえのない宝物になった。おかげでこの先、どんな酷い事態に遭っても私に勇気を与えてくれて、どんな困難にも立ち向かうことができる。

 彼にお別れを言えなくて本当に残念だが仕方がない。きっと彼なら辿り着いてくれるはずだ。黒色のスマホを右ポケットから取り出すとあらかじめメモアプリに保存しておいた文章をコピーして彼にショートメッセージを送った。

 全ての準備を終えて立ち上がると、カーテンで覆われた掃き出し窓からノックする音が聞こえた。ちょうどスマホをポケットに戻した時に奴はやってきたようだった。

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