第二章 アリスと僕と二十日間
*** 二〇二〇年 七月二十七日 月曜日
「着いたー!」
駅から降りて外に出ると、アリスは開放感に浸りながら開口一番にそう言った。ぎらぎらと照りつける日差しによって、一気に汗が湧き出てくる。目の前に広がるスクランブル交差点を横断している人々は各々、うちわや首にかけたミニ扇風機で顔全体に涼風を送ったり、ハンカチで額から滲み出る汗を拭き取ったりしていた。皆が急激な猛暑に困惑の表情を浮かべており、不満を漏らしている。かく言う僕たちも彼らと同じだった。
僕達はいま比較的都市部に近い場所にやって来ていた。
「今日はやけに暑いな」
「だねー。昨日まであんなに涼しかったのに、急に暑くなったね」
アリスも僕も体温を下げるようなアイテムを持っていなかったので、片手で煽って顔面に空気を送るが、特に変わらなかった。
「とりあえず、どこか入ろうか」
体温を下げることを諦めた僕はそれに同意して、僕たちは歩き出した。青信号に変わったスクランブル交差点を横断して、商店街を突き進んで行く。ポリカーボネート樹脂で作られたアーチ型の天井に、床には格子状に置かれた黒と白の大理石タイルが敷き詰められていてコントラストがきいており、お洒落な街というイメージを受けた。有名なファーストフード店やこぢんまりとしたショップ、一風変わった洋服店など多種多様な店が展開しており、賑やかな雰囲気が充満している。道中、僕たちはすぐ近くにあったファーストフード店に寄って昼食を摂った。
昼食後、人通りの多い商店街の中を進んでいくと左側に有名な洋服店が見えてきた。アリスが「ちょっとだけ、見て行こ」と言ったので渋々店内へ入る。自動ドアが開いて入店すると涼しげな風に一気に身を包んだ。直後、店内のきらびやかな雰囲気に圧倒され、僕のような地味な人間は場違いではないかと不安になる。アリスはそんなことはお構いなしにすでに店内の洋服を見回っていた。
服に興味がなかった僕は近くに置かれた椅子に腰掛けて、アリスの気が済むまで待つことにした。店内を歩き回っているアリスは店員と楽しそうに談笑している。
ふとある疑問が脳裏を掠めた。
アリスはなぜ、僕のような人間と夏休みを過ごすと決めたのだろう。彼女には彼女自身を大切にしてくれる友人がいるはずだ。心から気を許せるような友人達と夏休みという膨大な時間を過ごすべきだと僕は思う。僕と友達になりたいと彼女は言ったが、僕にこだわる理由が理解できない。わざわざ学校の門前に来たり、あの高架下でずっと待っていたり、彼女の行動は常に予測不可能だった。店の奥で服を選びながら笑っているアリスをじっと見つめる。大人びている容姿を除けば、やはり普通の女の子のようにしか見えなかった。
アリスが過ごしているはずの学校生活を想像で思い浮かべてみる。チャイムが鳴り響く教室で教師が授業の終わりを告げる。アリスがやっと終わったと溜息を吐きながら、机の上の教科書やノート、参考書を鞄ではなく机の中にしまう。アリスなら面倒臭がって家へ持ち帰らず、真っ先に置き勉を選択する気がした。そして友人達に声をかけられる。例えば、勉強が得意で陸上部のエースの高身長女子、低身長で疲れたと文句ばっかり垂れているショートへア女子だ。いつだって仲良しの三人組は校門を出て駅へ向かう。校門を出る道中、クラスメイトや部活の後輩に声を掛けられて「バイバイ」と別れの挨拶を交わす。アリスは多くの学生に慕われ人気者だ。あの人懐っこい笑顔には人を惹きつけるだろう。
「ねぇ」アリスの声によって僕の空想は煙のように掻き消され中断される。
「どうした?」
「これどうかな……。似合う?」
そう言ってアリスは手に持つ洋服を着ているワンピースの上に重ねた。今のアリスの服装が大人っぽさをふんだんに纏った女子大生のようなものだとすれば、アリスが手に持つコーディネートは幼さを敢えて残したような可愛さ全開を押し出したものだった。華やかな花が鮮やかにあしらわれたブラウスに白のジャンパースカート、所謂ガーリー系ファッションといった感じだ。服の組み合わせに関しては何も知識が無く分からなかったので「多分、似合っている」と曖昧な返事をした。
「ふふっ、そうかな。じゃー買ってくる!」
アリスは照れたように笑って、店員と共に会計カウンターへと向かっていった。
しばらく待つと会計を済ませたアリスと一緒に洋服店を出て商店街周辺を歩き回った。僕は完全にインドア派の人間なのであまり外出はしないし、ましてやこんな店が立ち並ぶような場所に来る機会はないので、僕は出店の多さや飲食の豊富な種類に驚いた。今大流行しているタピオカやカラフルに彩られたポップコーン、ガーリックソースの効いたケバブサンドなど僕が想像しているものとはかけ離れていた。
「これ美味しいね! 初めて食べたよー」とクリームブリュレがのったクレープを頬張りながら感嘆の声をあげた。
「確かにうまいな」
「でしょ! 評判が良かったから一度来てみたかったんだー」
外の焦がされた焼き目が食感良く口内でパリッと割れると、中のバニラカスタードクリームが滑らかな甘さとともに舌の上に流れ込んでくる。それに加えてクレープのもちもちとした食感は程よく弾力がいいので、全体的な食感が楽しめて見事にまとまっている味わいになっていた。値段は約八百円と少々高めだが、人生で一度だけなら払って食べる価値はあるだろうと僕でも思えた。
余すことなくクレープを平らげると僕たちはそのままベンチに座って休憩を挟むことにした。あちこちを歩き回ってさすがのアリスも疲れたらしい。
「食べ歩きってこんなにも楽しいんだねー。全部美味しすぎてお金が無くなるよー」
「友達とは来ないのか?」
「えっ? うーん。塾とかあるから中々難しいんだよね。門限も十九時で親も厳しいし」
アリスの表情が少しだけ曇る。彼女の通っている学校はお嬢様学校だし、なんとなく親が厳しいのは理解できた。門限がそこまで短いと友達と一緒に寄るのは難しいのかもしれない。
時刻を確認すると十七時を越えようとしていることに気付く。アリスは時間がもったいないと言って勢い良く立ち上がり、十八時まで僕たちはもう少し周囲を散策することにした。だが時間は早いものですぐに一時間が経過してアリスが名残惜しそうな表情をしながらも駅へと向かった。
「明日は何時集合なの?」
「そうだな、今日みたいにあの駅に集合で。時間は十三時」
「うん、分かった」
地下鉄線より本線を利用した方が自宅へ帰る時間が早かったので、地下鉄の入り口前で別れることになった。明日の集合時間について少し話した後、わかりやすく元気がないアリスと僕は別れの挨拶を交わす。
「ばいばい!」
アリスは物寂しい気持ちを消し飛ばすかのように元気よく笑いながら声を出した。僕は「あぁ」と声に出し、改札口を抜けたアリスがこっちに振り向いて手を振ってくる。僕も軽く手を上げることで反応して本線の改札口を目指して歩いていく。帰路に就く途中、面倒臭いと思いながらも日記にどんなことを書こうか一日の出来事を思い返していた。
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