◇◇◇ 二〇二〇年 七月二十六日 日曜日
暗闇に包まれた住宅街を星が輝く空を見上げながら歩いていく。いや、正確には珍しく鼻歌を唄いながらスキップで帰路についていた。部活終わりに買い食いをしている中学生達や仕事で疲れてくたびれたサラリーマンとすれ違う度に、各々訝しげな視線を送ってくるが他人の目なんて気になりはしなかった。住宅街を吹き抜ける夜の小風は私の体に帯びた熱を誘っていこうとするが、私の心に籠ったこの温もりだけは奪い去ることはできないようだった。未だに高揚感が治まらなくて頬が紅潮したままだ。頬に手をつけると、じんわりと熱を感じることができた。
「まるで夢みたい」
現実であることを確認するかのように独り呟く。嬉しさのあまり道ゆく人に『こんばんわ!』と元気よく挨拶したくなる衝動に駆られるほどだった。
ようやくだ。ようやく彼と一緒に夏休みを満喫できるのだ、気分が高揚してしまうのは仕方がないだろう。彼を久しぶりに見かけた時からこうなることをずっと願っていた。私の記憶の断片に映っている幼い彼はもっと表情豊かだったはずだから、あの高架下で彼を見つけた時、あまりの変わり様に気付くことができなかった。目を輝かせながら小説に食いついてた頃の彼と、淡々と小説の文字を視線で追っていた今の彼は異様なほど違っていた。あの時の彼だと気付いたのは読書に耽っている横顔をなんとなく気紛れでじっと眺めた時だった。まるで感情が欠けてしまったかのように彼の表情は冷徹に見えたが、ページに書かれた文字をゆったりと視線で撫でていくその双眸は慈愛に満ち溢れていた。そこでようやく彼だと結論付けることができた。その後はあっという間の出来事だった。一気に鼓動が早くなった心臓を落ち着かせて必死に隠しながら、無意識に私は彼に声を掛けていた。今考えればあの場面で冷静になって入念に準備をすれば、もっと自然に彼と仲良くなれたのかもしれない。まぁ、友人にはなれないと結局は言われたのだろうけど。
彼に逃げられたあの日の夜、家に帰ると、高鳴る鼓動の後ろに身を隠していた羞恥心が一気に私を襲ってきて、顔を赤面させながらベッドの上で布団に包まって一人悶えた。よっぽど緊張していたのか意味不明な誘い方をしてしまい彼には余計に警戒された。当たり前だ、赤の他人からいきなりデートに誘われて警戒しない人間はいないだろう。後日、誤解を解くことはできたが、あれでは美人局だと思われても仕方がなかった。
結局、彼とは友人になることはなく赤の他人という関係で夏を過ごすことになったが、彼と過ごせるだけ良い結果だろう。いつか長い時間がかかったとしても彼と本当の友人になれたらいいと思う。
試しに彼の名前を口にしてみた。
あぁ、明日が楽しみだ。今日よりも目一杯お洒落をして彼を驚かせよう。再び空を見上げると、きらきらと輝いていた星がまるで私を応援してくれている様で、私のスキップはより大袈裟なものになった。
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