ミディア2

 招集ののろしが目に入るや否や、ミディアはベッドから飛び起きた。

 レースの寝間着を脱ぎ捨て、飾り気のない簡素な服に袖を通し革のベルトを締める。部屋の戸棚から細身の剣を取り出すと、ミディアは玄関に向かって一目散に駆け出した。


 ミディアが玄関を出ようとしたその時。ぱたぱたと足音が近付いてきて、メイド頭ゾーイが心配そうな顔を覗かせた。

「あら、まぁまぁ、ミディアお嬢ちゃま、もうお出かけされますので? ああ、アンドレー坊ちゃま……じゃなくて旦那様を呼ばなくちゃ、いいえ、まずはミディアお嬢ちゃまの朝御飯を……」

「良いの、ばあや。急がないと……」

「良くはないぞ、ミディア」

 ゾーイの後ろから叔父アンドレーがぬっと現れた。舶来の生地のガウンの中で腕を組み、不機嫌なのを隠そうともしないしかめ面でこちらを見ている。

(もう起きていたなんて)

 ミディアは内心溜め息をついた。やはり叔父は良い顔をしないのは分かっていたから。


 ミディアはスッと背筋を伸ばし、なるたけ澄ました顔をして言った。

「騎士団の招集なんです、叔父上。ほら、お城の方でのろしが」

「それは分かっている。ああもご大層に上げれば、この街中のどこからだって見えるとも」

 アンドレーはわざとらしく片方の眉を上げ、玄関口から外、たなびく煙を見やった。

「だが、あんな煙一つで昨日ようやっと遅くに帰した名家の一人娘をこんな朝っぱらから呼びつけるなどと、この国の連中は、大層ご丁寧な礼儀作法をご存じなのだな」

 そう言って聞こえよがしにフンと鼻を鳴らす。ミディアはムッと口を尖らせた。

「緊急事態なのですよ、叔父上」

「ああ、緊急事態だとも」

 アンドレーはミディアの言葉を繰り返した。

「昨日の城での暴動のことは無論こちらの耳にも届いている。国の防備、警戒の強化が必要不可欠なのは明々白々だろう」

「ええ、なので私はこれで……!」

 そう言ってぐいと背を向けようとするミディアを、アンドレーの声がとどめた。

「だが、そんなものは軍属連中に任せておけば良いのだ」

 アンドレーはミディアに向かって人差し指を突き付けた。

「良いか、お前は名家の一人娘なのだぞ。次の誕生日で裳着の十五を迎える齢の、な。もうそろそろ、騎士サマの棒振りごっこなどは大概にしなさい」

 ミディアは眉の根を寄せ、グッと押し黙ってこらえた。心の中で自分自身に言い聞かせる。

(大丈夫、こんなの叔父上のいつもの勝手なお説教の常套句だもの……)


 アンドレーはそのままくどくどと続けた。

「お前には、名家の娘としてもっと他にふさわしい、するべきことがあるはずだ。良いか、それは剣術と馬駈けの鍛錬などでは決してない。刺繍と舞踏の練習だ!」

 頭ごなしに聞こえてくる言葉が、ミディアの胸にもやもやとした感情を吹き込む。

(何よ、いつも的外れなことばかり。叔父上にいったい何が分かると言うのかしら。つい最近になってようやくこの国に帰ってきた叔父上に。自分がまだほんの小さい頃に数度顔を合わせたくらいの叔父上に。いったい、何が分かると言うのかしら)


 黙りこくったミディアを前に、アンドレーは一際大きな溜め息をついた。

「そもそも第一に、こんな年端もいかない娘を国のためと駆り出すなどと、おかしいにもほどがあるだろうに……。なんと傲慢な」

「…………!」

 ミディアは目を見開いた。

 叔父の言葉は怒鳴りつけるわけでもなくむしろ静かなものだった。しかしその言葉はミディアにとって、もやの立ち込める中で見えないどこかから不意に突き刺された刃のようにすら感じられた。


『〝こんな年端もいかない娘〟』

 その言葉がこだまする。

(そう。昨日の晩、〝こんな年端もいかない娘〟の私だけが帰された)

 ミディアの脳裏に昨晩の記憶が蘇った。あの時から今の今まで意識しまいとしていたそら恐ろしい考えが、ふっと首をもたげる。

(もしかすると私は、本当は王国騎士団の一員とは認められていないのでは……)

 そこまで言葉を思い浮かべて、ミディアは全身がカァッと熱くなるのを感じた。

(……そんなはずはない! でも、そうかもしれない。いいえそんなことありえない。でも、もし。もし本当にそうだったらどうしよう……)

 不安が渦を巻き、混乱となって膨れ上がり、ミディアの中に一杯いっぱいに広がる。


 そしてついに。

「……っ、叔父上には分からないのよ! ずっと外国にいらっしゃった叔父上には、何も!」

 混乱の奔流に押し流されたように、ミディアはたまらず声を張り上げた。

 その声の響きにアンドレーは呆気に取られた。

 そしてそれは、ミディア自身も同じことだった。そう叫んだ後、自分自身の声に驚き、バッと顔を上げる。

 自分を見つめる叔父の顔が見える。驚き困惑したように見開かれた瞳。叔父のその目ははっきりと見えた。互いに顔を突き合わせてはいる。しかしそうであっても、互いに目が合ってはいない。なぜだかそのように感じられた。


「……っ!」

 先に我に返ったのはミディアの方だった。叔父の視線を振り切るように駆け出す。

 ミディアの肩のあたりで切りそろえた髪がパッと広がって、朝の光を煌めかせた。その一瞬の後、彼女の姿は角を曲がり見えなくなる。それはまるで、どこかへと飛んでいってしまう小鳥の羽のようだった。

 その残像が視界から消える、瞬くほどわずかで驚くほど長い間を経て。

「おじょうちゃまがあんな風に大きな声で叫ばれるのを、ばあやは初めて聞きました。アンドレー坊ちゃま……」

 ゾーイが小さくそう言う。

「……フン」

 か細く響いたメイド頭の言葉にわずかな間黙り込んだ後。アンドレーは意に介さないように再び腕を組むと、玄関、姪の駆け出して行った方向にぐるりと背を向けた。


「分からないな。ミディア、我が姪よ。お前の言う通り、長い間外国にいた私には」

 舶来の生地のゆったりとしたガウンを羽織った背を丸めて、溜め息をつく。

「ああ、分かりたくもないものだ」

 アンドレーはそう独り言ちて一、二度首を横に振ると、そのまま屋敷の奥へ引っ込んで行った。






「はぁ、はぁ……っ」

 城門の前まで来てミディアはようやく立ち止まった。脇目もふらず駆けてきて心臓が痛い。両膝に手を当てて息をつく。

(何も分かっていない! 私は、私は……!)

 吐く息が震える。悲しくて悔しくて、このまま下を向いていればやがて涙が零れてしまいそうだった。

(……ダメ、しっかりしないと)

 ミディアは息を吸った。

(今こうして騎士団の招集に来たのだもの。きちんと任をこなして、そうして、誰からも認められるように……)


(だって私、約束したのだもの)


 大きく息をついてミディアはぐいと顔を上げた。城からののろしが空に昇っていく。背筋を伸ばすと、ミディアは城の門をくぐった。

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