ミディア1

 鳥のさえずり。そして羽ばたきの音。ミディアはパチリとその目を開けた。

 いつもの自分の部屋、いつもの自分のベッドの中。ぐっすり眠ったはずなのに、なぜかまだ体が重く感じた。気怠い体を起こし、窓の外、飛び立って姿の見えなくなった小鳥が揺らしていった木の枝を見やる。

「ニグレド……」

 そう小さくつぶやく。鳥のさえずりはもう聞こえない静けさの中。まだ明けきらぬ朝の空気に、ミディアの声だけが響いて消えた。


 昨日のニグレドの涙と笑顔。それが何か、ずっと心にひっかかっているような。

 ミディアはうつむき、まだ眠い目を両手で覆った。そのまま、深く長い息をつく。

(昨日。昨日は……余りにも目まぐるしい一日だった――)




「またね、ニグレド。また……」

 夜の冷えた空気の中。空っぽになったミディアの手の平。そこに感じていたはずの温かさを手放したくないとばかりに、先ほどからぎゅっと強く握りしめている。

「……また明日、会いましょう、ニグレド!」

『また』と繰り返すその度に。彼の背中が、この場所から、自分から、遠ざかっていく。

(行かないで……!)

 遠ざかるその姿に向かって伸ばしかけた手、踏み出しかけた足、開きかけた口。

 ミディアのそれは何一つ彼に届かずに、宙ぶらりんになったまま、ただ城の中庭に取り残された。

「ニグレド……」

 そう小さくつぶやく。噴水の流れる音だけが聞こえる静けさの中。もう深く更けた夜の空気に、ミディアの声だけが響いて消えた。


 立ち尽くすミディアの耳に、不意に蹄の音が聞こえてきた。顔を上げ、振り返る。

「お師様……」

 ミディアの視界に、馬に乗る老境の騎士アーバルの姿が映った。アーバルはそのままミディアの元まで馬を進める。

「ミディア、ここにおったか」

「はい。……ですが、もう持ち場に戻ります」

「いや、良い」

 アーバルは首を横に振った。

「丁度お前を探していたところだったのだ。……今日はもう、帰りなさい」

「え……? ですが、お師様」

 ミディアは困惑しつつそう口にした。

(まだ他の騎士団員たちは見張りの任に就いていると言うのに……)

 ミディアの戸惑いとは裏腹に、アーバルは毅然と言葉を続けた。

「予定外にこんな時間になってしまった。御家族、叔父君も心配なされるだろう」

 ミディアは唇を噛んだ。

(まだほんの子ども扱いだ。私も正式な王国騎士団員なのに)

 だが、師であり団長であるアーバルの指示は絶対だ。そう苦い気持ちを飲み込む。

「……はい、分かりましたお師様」

 ミディアの返事にアーバルはうむ、とうなずいた。

「南門の兵にはお前が帰ることを伝えておく。昨日から出突っ張りだったのだ、また明日からに備え一度ゆっくりと体を休めると良い。……本日の任務、ご苦労だったな」

 アーバルの鋼のように厳しい表情が最後、わずかにほころんだ。

 そうしてアーバルは、来た道を南に引き返して馬を駆って行った。


 それを見届け、ミディアはふっと全身の力が抜けるのを感じた。確かに師アーバルの言う通り、昨日から今の今までずっと働き通しだった。

(疲れたな……)

 一度それを認めてしまうと疲れが一気に押し寄せてくる。肩は何かがのしかかっているかのように重たく、両の足はまるで棒のようだ。まぶたが自然と落ちてくる。ミディアは疲れた体を引き摺るようにして家路についた。




 城の南門を出てしばらく歩く。豪奢な広い邸宅が建ち並ぶ石畳の敷かれた通りは、ひっそりと静まり返っていた。ここは城の大臣等が居住を構える住宅地。旧家であるミディアの屋敷も、このエリアに建っている。

「ああ、ようやく帰ってきたか……!」

 自分の家のある通りへ折れた矢先。そう言う声が耳に届き、ミディアは顔を上げた。そこには叔父のアンドレーが一人、きつく腕を組んで屋敷の扉のすぐ前に立っていた。

「早く中へ入りなさいミディア、早く」

 姪を内側に入れるや否や、叔父は瞬く間もなく大きな音を立てて扉を閉めた。


「まぁまぁミディアお嬢ちゃま、お帰りなさいまし。こんな遅くまで本当にまぁ……」

 玄関先に着いて、ミディアの元にメイド頭のゾーイがぱたぱたと駆け寄る。

「さぁさ、お腹空いたでしょう。御夕飯、召し上がってくださいな」

 年老いた小柄なメイド頭に背を押されるように促されるまま、ミディアは食卓に着く。

 ミディアの前にカトラリーを用意しながら、メイド頭はすまなそうに言った。

「お嬢ちゃま、どうもごめんなさいね、すっかり冷めてしまって。せめてスープだけでも温め直しましょうか、ねぇお嬢ちゃま?」

「ううん、良いわよこのままで。ありがとう、ばあや」

 長年この家に仕えている老いたメイド頭に、ミディアは微笑み首を振って見せた。

 テーブルの上を見やる。そこには伝統的な料理の数々が並んでいた。白いパンに、大鍋の魚のスープ、詰め物をした肉のローストに甘い菓子まである。

(どうしてこんなに豪華なんだろう)

 疲れた頭でぼんやりとそう思いかけて、ミディアは思い出した。

(そうだ、今日はお祝いの日だったのだっけ……)

 豪華な料理はあまりミディアの喉を通らなかった。

 食事もそこそこに寝支度を整え、そのままミディアは泥のように眠った。




 そして今。ベッドの上でミディアは顔に押し当てた両手で目をこすると、首を回しもう一度窓の外を見た。

 庭の木々の枝越しに、王城の方からのろしが上がっているのが見える。

(騎士団招集の合図だ!)

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