招集と王命1

 城壁内では、侍女や兵士、貴族のお偉方達すらも、慌ただしく駆けまわっていた。せわしないながらも、変に静まり返っているような沈んだ空気を感じる。

 ミディアは黙々と歩き進んだ。途中、のろしを再び見上げる。

(あの色の指示は、特例の……)

 それを確認すると、ミディアは騎士団訓練所ではなく謁見の大庭の方へと向かった。


 謁見のバルコニーに面した大庭。昨日は大勢の民の歓喜の声と色とりどりの衣装で飾られていたそこが、今は騎士たちの物々しい鎧姿と張り詰めたような囁き声で埋め尽くされている。

(やっぱり、昨日のことは夢じゃないのね……)

 今さらながらミディアはそうぽつりと思った。

 大庭の中に足を踏み入れ、師匠アーバルを探して辺りを見回し歩く。何名かの上官の姿が見えない。ミディアはそのことに気がついて、訝しげに眉をひそめた。


「ミディア、来たか」

 その知った声に振り返る。その途端、ミディアは驚いて目を見開いた。

「お師様、そのお怪我は……」

 老境の騎士アーバル。その顔の額からまぶたにかけて、まだ血のにじむ生々しい傷が深々とついていた。

(昨日、私が帰った後に何かあったんだわ……)

 ミディアの戸惑いと心配とは裏腹に、アーバルは安堵の表情を浮かべた。

「ミディア、無事であったか。ならば良かった」

 そしてアーバルは薄れかけたのろしを見上げる。

「あと半刻ほどで時間になるな。私は王をお呼びせねば……。話はその後でにしよう」

「は、はい。お師様……」

 ミディアの返事を背に、アーバルは城内へと去って行った。その足取りは実に、しゃんとして確かなものだった。それを見届けて、ミディアはまだ少し心配は残りつつもひとまずは大事なさそうだと胸を撫で下ろした。


「やあミディア。驚いただろう? 団長のあの怪我」

 振り返ると、顔馴染みの騎士団員、トム、ナッド、オーグの三人が歩み寄ってきた。

「ええ……。いったい、何があったの?」

 ミディアに声をかけた若い騎士トムが首を振って答えた。

「いいや、俺たちも何があったか聞かされていないんだ」

 彼の隣で、壮年の騎士ナッドが腕を組みながら言う。

「その辺りも含め、今日これから話があるのではないかとは思っているがね」

 年かさの騎士オーグが、顎を撫でつつ口を開いた。

「聞いたところでは、昨日の晩どうやら城の北の方で何か騒ぎが起きていたらしいな。恐らくはその関係だろうが……」


(城の北の方……!)

 体に電流が走ったようだった。ハッと目を見開く。何か予感がする。嫌な予感が。

「そう……。……私……、ちょっといったん外すわ。すぐ戻ってくる!」

 それだけを言い残すと、ミディアは居てもたってもいられず駆け出した。(時間までまだ、半刻ある)




(――いない。いない。どこにも、いない――)

 よく見知った少年の姿を探してミディアは城の敷地内を駆け回った。

 騎士団訓練場の方を覗き、王城内に入る立派な玄関口の門の前も通り、そして噴水の中庭に訪れる。

 しかし、昨日見かけてそのまま別れた彼の姿はどこにもなかった。

(もちろん、抜け出して出歩いたりなんかしないで、きちんとお城の中にいるのかもしれない。昨日の今日ですもの。疲れ切ってまだ眠っているとしても、何もおかしくはない。そう。きっとそう。そう、そのはずよ……)

 噴水の中庭に佇んで、ミディアは静かに流れる水音を黙って聞きながらそう思おうとした。しかし、胸に込み上げる言い知れぬ不安はどうにも治まることはなかった。

(……もう時間になる)

 のろしは既に、目を凝らしても見えるかどうかくらいにまで燃え尽きかけていた。

 木材を担ぎどこかへ運んでいく城の衛兵たちとすれ違いながら、ミディアは来た道を引き返し、謁見の大庭の方へと戻った。






 豪奢なベッド。その上でサムエルは上体を起こし、ただひたすらに暗褐色の両の目を見開いたままでいた。昨日の晩から、ずっと。

 あれからまんじりともせずに夜が明けた。目眩がして、頭の中で声が絶えず巡る。

(探せ、追え、逃がすな。進軍だ。進軍だ。兵を集めて、それから、それから――)


 ノックの音が部屋に響く。

「……入れ」

 サムエルは唸るように言った。扉が開きアーバルが姿を現す。

 額の大きな傷痕こそ生々しいが、昨晩息も絶え絶えにここを訪れた時からは信じられないほど壮健な様子だ。城の医務室にて処置を施されたからとは言え、あれから一晩で心身共にここまでの回復を見せるのは、さすがは王国騎士団をまとめ上げる騎士団長だと言えよう。


「王よ、恐れながら、あと半刻ほどで招集時間となります。どうぞ御準備を」

 ろくに手をつけなかった朝餉の盆を脇に押しやり、サムエルは広いベッドから這い出るように起き上がった。体を引き摺るような重い足取りで窓辺に近寄り、厚いカーテンに手を掛ける。わずかに隙間を開けて、そこから外の様子を垣間見た。

 朝の光がサムエルの目を刺す。サムエルは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。


「……魔導士殿はいずこへ?」

 戸口に立ったまま部屋の中を見回し、アーバルがそう訊ねた。

「元の持ち場に戻した」

 サムエルは顔を動かさぬままそう答えた。

 昨晩アーバルを追い返した後も、スターズは王のそばにと言って聞かなかった。それを無理矢理、持ち場に戻させたのだ。

(……あやつ、いらぬと申すのに何遍も薬を飲ませよう飲ませようと世話を焼いてきた。この私、王たるサムエルは、病気などではないのに)

「左様でしたか」

 アーバルはそれ以上のことは言わず、ただそう返事をしてうなずいた。


 サムエルは分厚いカーテンを引いて戻した。その手を離さぬままぐるりと振り返る。

 下す命は、もう決まっている。

 サムエルの脳裏に、昨夜の地下牢での出来事が蘇った。

(あの髪の色、あの力……)

 サムエルは全身に怖気が走るのを感じた。

(なんと、してでも……)

 グッと眉根を寄せる。口を引き結び、光を通さぬ分厚いカーテンの端を握りしめ、体を反らせて居丈高に背筋を張った。

「参るぞ、アーバル」

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