第1話 誰かの『生』の裏側には、誰かの『死』が転がっている

「………きて、おきて、起きて!」


 揺さぶられる脳と体の中に入ってきたのは甲高い女性の声だった。朦朧とする視界の中で目に入ってきたのは見たことのある景色だった。


「ここは………ヨーロッパ?」

「よーろっぱ、じゃないですよ。頭でも打ちましたか?ここは危険です、早く逃げないと」

「頭は、うん、大丈夫。痛みも何もない」

「よかったです。ここは危険なので早く逃げ────


 ひゅー、と風を切るような音が聞こえた。突き刺さるやじりが血に濡れる。

 力無く倒れ込む彼女の身体が僕に重くのしかかる。見るとそれは右の脇腹を貫通していた。


「大丈夫ですか⁉︎」

「せ、攻めてきた、壁が破られた。何とかしないと」


 そう言うと、彼女は突き刺さった矢を引き抜いた。血液が溢れ、僕の服を赤く染める。しかし、その流れは彼女の一言で止まった。


「え?」

「………とりあえず止血はできた。行かないと」

「待ってください。止血はってことは、中はまだなんでしょう。足元がふらついてて心配です。相手が何だか分からないですけど、今は逃げるべきです」

「………私しかいないの、この村に、魔法使いは私だけ」


 意味がわからない。今のこの場所もそうだが、彼女の言う言葉もよくわからない。ただこの場所が、日常からは遠く離れた場所にあることは間違いなかった。


 考えている暇もないので、ぶつぶつと呟く彼女を抱き抱えて矢の飛んできた方向の真逆である森へと逃げる。なにか反論が聞こえてきたような気もするが、今は危難から逃げるべきだ。


 しかし人間一人には、当然人間一人ぶんの重さがあるわけで、どんなに華奢に見える人だとしてもそれなりの負担にはなる。


 距離はいくらかあるけれど、徐々にその差が埋まるのを足音で感じる。それでも闇雲に走り続けると追手の足跡は聞こえなくなった。


「はぁ………はぁ………」


 ただ闇雲に走っていたから息が整うまで深呼吸を繰り返す。水分を欲する喉を唾で黙らせてから顔を上げると一本の刀がそこにあった。


「これは?」

「………とりあえず、降ろしてもらえるかしら」

 パッと手を離すと彼女がズドンと落ちる。

「………ごめん」

「許さない」


 パッパと汚れをはらって立ち上がった彼女は突き刺さった刀に手をかけた。しかし刀は微動だにせず、ただそこにあるだけだ。


「………七星剣と呼ばれてる。あなたは何歳?」

「20だけど」

「なら試して。適格者は20の人間だけなの。だけど20歳なら誰でも抜けるわけじゃない。要件は分かってないけど厳格な何かがある。この剣じゃないと倒せない。アイツは倒せない、私の魔法だけじゃ足りないの。そもそも毒のせいで魔法が使えない。血液の循環が乱れてるからだわ。ともかく、だから、試して」


 期待のこもっていない、しかしどこか希望を見透かしているその瞳は力強く、僕はその剣の元へと向かう。


「何か期待させて悪いけど、僕は勇者なんて柄じゃない。剣なんて持ったことはないし、運動だってからっきしだ。

 そんな僕にこの今まで誰も抜けなかった剣が抜けるとは到底思えな───」

 抜けた。

 それはもうあっさりと。







「まじか」








 刀身は長く本来であれば人が扱えるものではない。しかし重さを感じない、その手に重力を感じないのだ。振り回すことは容易く、きっとこの鋭利さであれば何かを切断することなど容易であると素人目にもわかる。


 しかし、これで何を切ることになるのだ。


「………抜いたからには、よ」

 彼女が指差すのは騒乱の向こう。血と火薬の匂いが漂う地獄の最中さなか


「戦ったことない」

「戦うのよ」

「武器を持ったことがない」

「今は持ってるわ」

「人を殺したことなんて一度もない」

「それでも、戦うの。私は今は戦えない。毒を食らったから、貴方のせいで。だけど、だからこそ、貴方にはあそこに行って殺す義務がある。私の代わりに人を殺さなければならないの」


 強く、圧力を感じる。思わず目を逸らす、その先には、知らない黒無垢を纏った一人の少女。突然現れたその存在にどうしてか、僕は何ら違和感を抱くことはなかった。


(何お前、戦わんの?)


 脳内に響く少女の声は気だるそうな雰囲気で、その目はこちらを見下すものだった。


 僕は少しだけわざとらしく考える素振りをして見せたが、じっとこちらを見つめる二人の視線に耐えられない。しかし、だからと言って、自分が戦える道理は当然ない。

 もしかしたらこの世界は夢かもしれないが、あの血の色は本物で、この惨劇は現実だ。何の根拠もないけれど、それは本能が理解している。


 戦わずには生き残れない。


 それはあらゆる生物が持つ根源的な強迫観念で、つまるところごく普通の当たり前なことだ。


「………やるよ、やるけど意味があるとは思えない。無駄死には文字通り無駄なんだ」

(はぁ、戦わんの?ならアイが戦うからいいよ)


 黒無垢の少女はそう言ってこちらに飛び込んでくる。胸を抜けたその瞬間、視界が切り替わる。


(話せない、なんだこれ。間違いなくいつもと同じなのに思うように動かない)

「「行ってくるから待っててね〜」」


 魔法少女を置いて、足は戦場へと向かう。視界から黒無垢が消えた。そこで体を乗っ取られたことに気がついた。

(死ぬ気か?)

「まっさかー。まだ死にたくないでしょ?」

(そりゃそうだ)

「だよね!だから生き残るよ、絶対に。だから殺すよ、絶対に」


 魔法少女と出会った地点からさらに進むとそこはまさしく地獄だった。

 戦争とはこういうものなのかと、知らされる。見る気がなくとも瞳に映るそれに注目せずにはいられない。


 焼けた腕、折れた足、溶ける脳髄、爛れた皮膚。


 どれもこれも現実だ。それはきっとわざとだ。見なくてもいいはずのものに目を向けて、僕に戦う理由を押し付けてる。

 戦わざるを得ない状況に追い込んでくれている。選択肢が一つってのは分かりやすくて助かる。

 しかし、うん。背中を押してくれるのはいいが、そこが崖っぷちだったらどうする気だ。


「よし、ここからはわかりやすいっしょ」

(そうだね、間違いない)


 刀を構える。僕はただ見ていることしかできない。備えるは覚悟、人を殺すという覚悟。自分の意思ではなかったとしても、自分のこの手で人を殺すと言う覚悟だ。


 きっとこの兵士にも良心はあるのだろう。弓兵にも優しさはあるのだろう。しかしここは戦場だ。殺し合いの場なのだ。

 話し合うことは出来ず、同情こそすれど共感の余地はない。殺す者と殺される者、僕はどっちに回るべきだ?そんなのは当然、決まってる。


「その剣、知っている。あれだろう、例の抜けない聖剣。まさかここで、見られるとはなぁその刀身、その美しさ。あぁ、それは奪わせてもらおう。無名の伝刀、それがあれば」


(お前ってそんなに凄いやつなのか?)

「知らない、アイはただの精霊。この剣に憑いた精霊であってこの剣そのものじゃないから。だけど、うん。勝てるな。この剣の記憶は再現できる。モザイクが掛かってて見えにくいけど、あんたの記憶も混ぜれば………これならいける。けどこれって─────」


 男は強く、強く足を踏み入れてこちらに一歩近づいた。まだ届かない。互いの刀身は触れ合わない。圧力を感じるのはやつが大男だからか。それとも歴戦の勇姿だからか。

 分かることはその剣は欠けていてヒビが入っていて、それでもなお人を殺傷するにはあまりある暴力性を宿していることだ。


 対しこちらの刀身は傷ひとつない。新品同然のそれはおろしたてのスーツくらいピッカピッカの一年生だ。つまり、見かけだけで判断するのなら、頼りないことこの上ない。


 また一歩、さらに一歩、男は間合いを詰めてくる。わざわざ長いリーチを捨てて、存在しない鞘に刀身をしまい、身を低くする。


「それでいいのか?」

 男はほとんど目前まで迫った。いや、本当はそんなはずはないが、その外圧からか距離感はイカれている。だけど、刀身だけは真実を告げる。まだその瞬間ではないと。


 男が振り上げる。棍棒よりも鋭く、サーベルよりも粗暴な暴力が頭上に振り下ろされる。しかし


「──────居合いあい


 この世界には存在しない技術。この世界に一本しか存在しない日本刀に近しいそれは、何よりも早く男の腹を掻っ捌いた。


「ね、何とかなったでしょ」

 黑無垢の少女が視界に現れ、体は自由になった。少女はニッコリとこちらを見て笑った。

 それと同時にするりと戻った感覚が、生臭い殺人の衝撃を脳に焼き付けた。

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