この空どうかな

紬こと菜

つまんない写真

『この空どうかな』


 マナーモードにしているスマホが振動して、勉強を一旦やめる口実ができた。顔認証でスマホのロックを解除する。中学からの同級生、伊南希いなみまれからメッセージと共に写真が送られてきていた。

 この空どうかな、は写真を送る時の伊南の常套句である。

 別に伊南は写真部所属とかではない。むしろ入部早々、女子卓球部で有望選手扱いされているようなバリバリの体育会系。足も速けりゃ愛想も良い、中学時代は僕と混合ダブルスを組んで、お互い自分のプレースタイルを譲らなかったせいで結成1日目から解散の危機にさらされた。まあそれは僕にも非はあるんだが、そんな感じの、写真が趣味とは想像できない強気で押せ押せな女子だ。

 送られてきた写真はやっぱり空で、なんというか……微妙。

 晴れ渡る青空とか真っ赤な夕焼けとかじゃない。ぼやぼやっとした雲がまばらに散っていて、なんとも言えない暗めの空だった。冴えない雨上がりによく見られるようなありがちな光景。

 伊南の空の写真のチョイスはいつもよくわからない。ほら、写真集に載るようなよっぽど綺麗な満天な星空なんかが送られてくるなら理解できる。そもそも僕は空にあまり魅力を感じないようなタイプなので、それで感動!とはならないだろうけど、さすがにいい空だなぁとは思うはず。

 コメントに困るな、と頭を抱えつつ、適当に返信してみた。


『これは何を撮ったの』

『えー、雰囲気!』


 雰囲気……も、普通な気がするが。

 伊南はフリック入力が苦手らしく、文字を打つのが遅い。


『あ、でも、あえて言うなら虹かな』


 ん?虹……?

 もう一度写真を凝視してみると、確かに虹があった。だが薄い。とてもとても薄い。赤や黄色がかろうじて見えるけれど、七色全ては確認できないくらい。しかも、根本から短く、一軒家の屋根くらいまでしか伸びていなくて、全然円を描けていない。


『虹か、なるほど』

『今回も滝川たきがわの琴線には触れなかった感じかー…』


 僕の返答がいささか無愛想だったせいか、伊南は少しトーンが落ちた声が想像できるような態度になった。ちょっと申し訳ない。

 たぶん、伊南の好みはノスタルジーな空やら光景で、それに興味がない僕を靡かせてみたいと画策しているんだろう。


『それとね、今日はこんなのも撮った!』


 ぽぽぽぽんと四枚の写真が同時に送信されて、それはまたしてもコメントしづらい、よく見るような空だった。

 僕は軽く迷って端的に済ませる。


『いいんじゃない』

『反応薄ーい』


 薄いのはさっき送られてきた虹の色では……と考えてしまったけど黙っておこう。

 はっきり言ってしまえば、別にこんな写真、嬉しくもなんともない。

 だけどもなんだかんだで、謎な空の写真が届くことを楽しみにしている僕がいる。

 同じ高校に入学したものの、ダブルス時代と比べたら接点は圧倒的に少なくなった。部活引退の時に気分で交換した連絡先も、長いこと動かずに眠っていた。

 そんな中でいきなり伊南が送りつけてきたのが空の写真だった。


『この空どうかな?個人的にすごい好きなんだけど』


 唐突すぎて最初は誤爆かと疑ったが、いつまで経っても送信取り消しされないから、そこでようやく自分宛てに送られてきたんだと認識した。


『いいと思う、綺麗』


 それは飛行機雲の写真だった。心の底から綺麗だと思ったんだ。

 あの日からこの夏まで、伊南は不規則に空の写真を送りつけてきては、『この空どうかな』とお決まりのセリフをぶつけてくるようになったのだ。


 正直な話。伊南以外からこんな、僕からしたらつまらない写真を送ってこられたら、無視してしまうかもしれない。

 今の伊南と僕の、唯一の接点。そう思うと不思議なことに、意図がわからない空の写真を無意識のうちに保存してしまう。

 本当は好きになって、この空いいね、この空はどう、みたいな何気ない会話を楽しくしたい。


 スマホを置いたのはいいものの、勉強に再び着手するのは厳しそうだ。考えあぐねて一旦ベランダに出てみた。僕の部屋はベランダと繋がっている。


「あっつ……」


 さすが夏、暑すぎる。冷房の効いた部屋から出たのは失敗だった。

 それから、そう、まるで伊南のように、空にカメラを向けてみて……。

 シャッターを切った。


 僕には空を見る文化みたいなのがない。

 基本手元を見ている気がする。星空にも大して興趣を感じない。

 でも、たった今目に映った夜空の中心には、ひとつだけ、眩しく輝く一等星があって。他の星は埋もれてしまっているのに、その星だけが存在していて。この何もない真っ黒な空に、生きていて。


 ……あー、こういうことか、とようやく僕は理解したのだ。

 ちょっとしたことを共有したくなる。大したことなくても、見てほしくなる。

 それは相手が伊南だからかもしれないし、それほどこの空が僕の心を打ったからかもしれないし、ただ誰かと話す理由が欲しいからかもしれないし、知らない。

 とりあえず、思うがままに撮ってしまった十枚越えの写真の中から二枚だけ選んで、メッセージを添えて伊南に送信。


『この空どうかな』


 既読は秒でついた。テンションの高い返信に余裕ぶった対応をして、僕はまた机に向かった。

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