『戦いの刻』



「あー仕事おわんねぇ…!!」


「だよなぁ、『月末!プレミアムフライデーだぞ!残業すんなよ!』って社長は息巻いてたのにな」



 23時、あと少しで日付が変わりそうな時。2人の若者はそれぞれのパソコンで入力作業を行なっている。このままだと終電には間に合わない。


 正確には今じゃなく、月頭に必要な数値等を入力するのだが、今月の31日は月曜日なため、ここまで残ってする必要はない。



「マジであの部長…一回タイムカード切って、社長が帰ってから戻ってこいだなんて、人間のやることじゃないな」


「折角コンビニでビール買ったのに、帰ってこーいって本当に悪魔だな。あと5秒遅かったら今頃へべれけで気持ちよく寝てたってのに。おかげでぬるくなっちまった」



 愚痴は尽きず、そのまま会話をしながらパソコンに向かう。時折肩を回したり、天を仰いだり、ぬるくなったビールを恨めしそうに見たり。…しばらくして男の1人が何か閃いたようだ。



「あ、そうだ!今日は近くのカプセルホテル泊まって、明日温泉行こうぜ!このままだと終電間に合わなさそうだしな」


「泊まるのは構わないけど、温泉…か?まぁ…いいけどさ、俺は烏の行水だからそこまで好きじゃないんだよな」


「ふーん、じゃあサウナの良さも知らないって感じだな」


「サウナ〜?あんなのあっついだけじゃんか。あれに入るやつはすべからくドMだよドM」


「まぁ、ドMは否定しないけどさ。…さて、日が変わるまでに終わらせますか!明日はそれも含めて温泉の良さを教えてやるよ」


「へいへい。サクッと終わらせるか」



 2人は集中してパソコン作業を終わらせる。やはり終電には間に合わず、カプセルホテルに泊まることとなった。そして朝を迎え、2人は温泉のある駅へと電車に乗る。



「今は8時過ぎか。よし、これなら開店と同時に間に合うな」


「温泉って夕方入ると思ってたけど、朝から行くんだな。しかも開店と同時なんてさ」


「夜の露天風呂もいいんだけどさ、朝からの風呂も別の意味で良いもんさ。とりあえず言ったやつは買ってきたな?」


「あぁ、水1.5リットルとカリカリ梅…。しかも水は今から温泉に入るまでに半分くらい飲んどけって…中々しんどいけどな」



 今は夏に入る少し前。上着に昨日の仕事着を着るのは個人的に嫌だったので、柄付きのTシャツを温泉に誘った男が買ってきてくれた。正直ありがたい。その代わりに水などを買ってきたのだ。



「朝はコンビニおにぎりだけだから、入るとは思うけど、とりあえず半分な」



 しばらく揺られて目的の駅に着く。ビルの多い仕事場よりも田舎情緒あふれる風景。改札は比較的新しいものの、一歩外に出れば瓦屋根のお店や出店もあったりと新鮮な気持ちになる。



「うーん、ここに来ただけでもストレス軽減されるなぁ」


「これからが本番だからな。あ、出店の商品は買わなくていいぞ。今から行くところは食堂もあるしな」



 ちょっとだけ歩き、男の行きつけの店に着く。そこは大きな門構えのスーパー銭湯『宝燈の湯』。10時〜22時まで営業中だ。時刻はぴったり開店したばかり。


 門をくぐり中へと入ると、すでに冷房を使っているのかひんやりとしている。靴を靴箱に入れて鍵を持ってカウンターに向かうと受付が説明を行う。



「いらっしゃいませ、ようこそ『宝燈の湯』へ。この施設の利用方法はご存知でしょうか?」


「俺はわかるけど…説明お願いします」



 靴箱の鍵は腕輪として利用してもらい、これをかざせば入場、昼食、休憩室、湯上がり後の牛乳を頼むことができる。そして最後に精算するというシステム。



「へー、これひとつで出来るんだな」


「まぁ、買いすぎ、食べ過ぎには注意だけどな」


「本日は入浴のみご利用ですか?岩盤浴はいかがでしょうか?」


「今日は入浴だけでいいかな。あと、フェイスタオルとバスタオル2つずつください」


「かしこまりました。では腕輪を出してくださいませ」



 そう言うとバーコードを読み込み登録が完了したみたいだ。受付はタオルセットを2人に渡し、2人は改札口に腕輪をかざして入場する。


 施設内は岩盤浴場、フィットネスジム、漫画本棚が沢山並んだ休憩場、海の幸や山の幸を使った料理を提供してくれるレストラン。他にもネットが使えたり、最新式のマッサージチェア等、ここにいるだけで1日が潰せそうだ。


 2人は脱衣所にて服を脱ぎらフェイスタオルで前を隠しながら浴場に入ると、ほんの数人がいるだけでガランとしている。



「これが朝一の魅力だな。人が少なくて色んなところを気兼ねなく使える。だが、一番はルーティンをしやすいってことだ」


「ルーティン?」


「まぁ、それは追々な。とりあえず一通り洗ったら露天風呂に集合な」


「了解」



 2人は体を清め露天風呂へ入る。昨日までの残業の疲れが天然湯へと流れ出ていく。他にもジェットバス、炭酸湯、電気風呂を堪能し、今回のメインイベントへと差し掛かる。



「よし、ここからは気合が必要だ。12時に最強の男も来るみたいだしな…!」



 ごくりと生唾を飲み込む男。しかし、もう1人はなんのこっちゃと首を傾げていた。



「初心者は口元にタオル巻けばいいからな。その代わりに股間は上手いこと隠せよな」


「おーけー」


「時間は10分。死ぬ気で堪えろよ…!」



 いざ参る…!扉を開けた瞬間に中から一気に熱波がやってくる。臆すことなく2人はサウナシートをひいて座る。テレビでは地元の番組が流れていた。



「熱い…!しかも、定期的に水蒸気が発生して…それが身体をすぐに加熱しているみたいだ」


「ロウリュってやつだな。ほら、あの爺さんみろよ。あの人は常連の『鉄爺』だ。鉄のような精神力であぁしてあそこで1番の蒸気を浴びてるんだ。俺もああなりたいもんだ」



 時間は過ぎるが、全く針が進んでいないように見える。10分は意外に長い。ただの1分ですら無限のように思える。いつも来ている男は顔色ひとつ変えることなく汗を垂れ流す。


 ここに来て水を飲んだ理由が分かる。大量の汗、それを早めに飲んで熱中症を防いでいる。



「あと…1分!」



 時計の針が進む。1秒、2秒…そして迎える至福の瞬間…!



「終わりだ、出たら右にある水風呂に入るぞ!」


「え…マジで?」



 水風呂なんて子供のころに入って以来、苦手になっている。あんなところに入るなんて…。でも、この身体をいち早く冷やしたい。



「よいしょ」


「冷て!」


「汗は流さないとダメだからな。よし、入るぞ。3,4分間じっとしてみな、すぐに慣れてくるからよ」



 素早く入り、身体を冷やす。初めは水の冷たさが嫌になるが、ゆっくりと馴染んでくる。20℃の水のはずなのに身体は拒否しない。3分と待たずに身体は順応した。



「そろそろ上がるか。次は外にあった編みソファーで寝転がるぞ。大体5分くらいだな。新感覚を味わえるぜ?」


「…あぁ」



 身体は疲れてきているのに頭は冴える。いままで味わったことのない感覚。この男について行けば次は何が起こるのかワクワクする。


 外に出ればすでに鉄爺は横になっており、精神統一しているように目を閉じている。それに見習ってソファーに腰掛け、ゆっくりと目を閉じる。



(なんだ…これ?身体がピリピリして…編み目から身体が溶け出しそうだ)



 じんわりと身体を巡る血流の一つ一つが分かる。心臓がフル稼働し、生命力を身体の隅々に届けていく。味わったことのない感覚に意識が飲み込まれそうになるが、声をかけられて目を覚ます。



「時間だ。これをあと2セットしたら一回戻ってカリカリ梅食べないとな。塩分補給は大事…と、水はその都度でいいから忘れず飲めよな」



 正直そこからはあまり覚えていない。合計3セットをこなし、今は脱衣所で風を浴びている最中だ。特に3セット目がやばかった。大きなタオルを持った男が現れたかと思えば、ただでさえ熱い空間を混ぜ返すようにタオルを振り回して熱波を与えてくる。それに応えるように汗をかき、脂を出し、そして戦いを終えた。


 カリカリ梅を食べ、水をごくりと飲んで項垂れていると声をかけられた。



「良いサウナだった。ナイスサウナ」



 そう言い残して鉄爺はマッサージチェアで口を開けて気持ちよさそうにしていた。



「ナイスサウナって何さ…」



 その後はレストランで食事をとり、ビールを飲んで休憩所で横になる。開店からいたはずなのに日が傾きつつあった。



「そろそろ帰るか。どうだった?温泉も良いもんだろ」


「あぁ…凄かった。凄くて…凄かった」


「ははは、無事『整った』みたいで何よりだ。…そう言えば結構飲んだりしてたけど、お金は大丈夫そうか?」


「……マズイかも。電車代貸して…。月曜に返すわ」


「まぁ、それも温泉あるあるかもな」



 戦いの刻は終わりを迎える。しかし、今日だけではない。またこの門をくぐり抜ければ戦いは再度口火を切る。


 仕事をし、上司にパワハラ紛いなことをされようと、男はまた戦い続ける。


 1ヶ月後…そこには戦士の顔をした男の姿があった。水とカリカリ梅を携えて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の脳内吐露作品-短編集- 舞茸イノコ @Inoko_Maitake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ