見上げて、ハレモヨウ
白鷺緋翠
見上げて、ハレモヨウ
見上げた空。どうやら雨みたい。
幸せが逃げると言われるため息を零す。今日は雨のせいか、彼を見れないせいか、学校に行く気すら失せてしまう。
それでも仕方なく朝支度を終え、水色の傘を持って家を出る。
夏休みといえど、構わず毎日通う羽目になる吹奏楽部。夏のコンクールに向けての部活地獄。
憂鬱な気分を抱えたまま、ミーティング開始の九時に間に合うように電車に乗り込んだ。夏休みだからか、平日の通勤時間であるというのに座れるほど空いている。
一番端の椅子に座って鞄から小説を取り出した。内容が頭に入ってこない。小説を閉じ、外の景色を見つめていた。
太陽の光を受け、輝くように波打つ海が、今日は雨のせいかどんよりとした波が砂浜に届いている。
景色を見てもこの気持ちが晴れることはない。重たい瞼が閉じないようにイヤホンを耳につけて昨日、先輩から送られた録音を聞いた。
学校に着いて、随分と汚くなってしまった上履きに履き替える。グラウンドからは、いつも聞こえてくる活気づいた声が聞こえてこない。モチベが何一つない状態で最上階にある音楽室に向かう。
階段をゆっくりと上っていると、微かにスネアドラムの音が聞こえた。パーカッションパートの先輩が恐らく朝練をしているのだろう。
夏のコンクールの課題曲に選んだマーチにとって、スネアドラムは重要な役割を果たしている。責任重大だと誰よりも努力している、パートは違えど憧れている先輩だ。
そんな先輩の音を聞いて、今までこれっぽっちもなかったやる気が少し湧いてきて今日も頑張ろうと意気込んだ。
三年の先輩たちが最後の大会なのだ。後輩である私たちが気を抜いていてはいけない。
楽器庫からトランペットケースを音楽室内に運び、チューニングを始める。
家にいるあなたに届けばいいな、なんて現実性のないことを思いながら音を空に響かせた。
一日の四分の一の時間を使った部活動。たくさん注意されたし、なかなか上手くなれない。けれど、できなかった所が一つでも増えていっていることに今日も喜びを感じた。
ミーティングが終わり、楽器をしまって家に帰る。毎日同じことの繰り返しだ。同じように学校に行って、同じ曲を練習して、同じように帰って。
でも、今日はいつもあることが一つ欠けてしまっていた。
今日何度目か分からないくらいため息を吐いた後、傘を開こうとした。が、傘は開かなかった。
人影が目の前に現れて、恐る恐る顔を上げる。
そこにはタオルを首に巻いた坊主頭の男子が立っていた。傘が開かないように押さえながら顔をくしゃりとさせた笑顔を浮かべている。
目を大きく見開いた。今日は来ないと思っていたのに。なぜいるんだろう。雨特有の湿気のせいでベタベタになってしまった髪に優しい風が通り抜ける。
「雨、もう止んでるよ。俺これから部活なんだ。吹部は今終わったの?」
いつもと同じ。優しい声が上から降ってくる。体を濡らす雨みたいに。ゆっくりと心を湿らせるように。心に響いていく。
「え、あ、本当だ。そうだよ。私は今終わったの。雨上がりに大変だね、野球部って」
「グラウンドの状況最悪だから室内でトレーニングだろうけどね。部活お疲れ様。気をつけて帰れよ」
そう笑顔を向けた彼が走って行ってしまう。その後ろ姿を見て、自分の胸元のシャツを握りしめて声をかける。
「そっちも、部活、頑張れ」
勇気を振り絞ったのに、弱々しい声だったかもしれない。それでも彼は振り返って後ろ向きで走りながら大きく手を振ってくれた。
踵を返して家へと帰る。朝の重たい一歩一歩からは考えられないほど軽い足取り。
見上げた空に太陽が顔を出す。
ぽつ、とどこからか落ちてきた一滴の雨が心に染み渡った。
見上げて、ハレモヨウ 白鷺緋翠 @SIRASAGI__HISUI
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